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諸伏景光は物件選びで躓く−上
萌え 2019/06/21 23:28


・景光さんと麻衣兄同居シリーズ続き
・景光さん視点
・元ネタはネット上の怖い話
・景光さんはやたらと引き当てる設定





 杯戸高校に進学するのだから杯戸町内にした方がいい、というのは表向きで(もちろん理由の一つではある)、景光にとってのセーフハウスでもある同居先にはいくつもの条件を満たす必要がある。3LDK以上などという贅沢は言わないし拘りもないが、思春期の少女と同居する上、秘密の多い自分のスペースを確保したいので最低でも2DKは譲れない。個室の鍵はその気になればいくらでも後付けできるので問わない。侵入しやすい1階は論外で、3階以上だといざという時逃亡しづらいため、飛び降りて逃げられる2階がベスト。目立つ大通りには面していない立地で――など、麻衣には言っていないいくつもの条件を満たしたのが、過去最速で即決した現在の住処だった。少女を養う(麻衣はその気がないだろうが、大人であり保護者である自負を持つ景光はそのつもりだ)に当たって、本来ならもっと治安の良い場所の方が好ましかったが、多少良くない方が潜みやすい場所なので仕方がない。

 とあるアパートの2階の部屋であるそこは、2DKの間取りでいくつかの家具・家電がついていた。どうやら歴代の住人が置いていったものらしく、目立った汚れや損傷もない。麻衣に隠れてこっそり探知機で盗聴器の有無を調べたところ問題がなかったため、ありがたく使わせてもらうことにした。これで家賃もお手頃価格というのは良心的だ。大家曰く、家具・家電が気に入らない場合の処分は住人負担でやってもらうため、多少色を付けているらしい。そんなものだろうかと景光は首を傾げたが、家具・家電はどれもそこそこの年数が経っているため、そういうものなのかもしれないと納得することにした。使用始め早々に不具合が出るかもしれないが覚悟しろということだろう。

 地味にありがたかったのが、個室の一つにあったシングルベッドと、ダイニングキッチンに置かれていた大きな革張りのストレートソファだ。寝具となるとどうしても必要になる大型家具だが、それを搬入する作業がいらないのだ。ベッドは麻衣に使わせ、ソファは景光が使えばいい。景光がベッドを勧めると麻衣は体格を理由に断ろうとしたが、「命の恩人をソファに寝かせられない」という口実で押し切った。確かに麻衣の指摘する通り、ソファは大きかったが景光の身長では足がはみ出すサイズではある。それでも少女をソファに追いやって自分はベッドでなどという無体なことは、景光の性格上できることではないし、体力に自信はあるのでソファで寝るのは平気だ。麻衣は渋ったものの、最終的には「逆なら自分もそうするかも」という謎の理由で納得した。命の恩人に対する対応ということだろうか。

 とはいえ、ベッドは骨組みとマットレスのみで、敷布や掛布団、枕はない。そのため、初日は買い足した衣服の中のコートやバスタオルに包まって寝かせることになってしまい、景光は段取りの悪さを後悔した。ほぼ身一つの景光と麻衣の生活必需品の調達が最優先だったため、同じ階の住人への軽い挨拶すら済ませていない。夕方、隣の部屋の住人らしき小太りの男とすれ違ったが、内向的な性格なのか、男は俯いたまま景光を見ようともしなかった。あまり近所付き合いしたい類ではないが、男への正式な挨拶は明日に回せばいいか、と結論付けた景光は、物品の調達と部屋の掃除、周囲への警戒と働き詰めで疲弊した体を少しでも休ませるべく、革張りのソファに寝転んだ。麻衣が高校の入学式を迎える前までに、ある程度生活が安定すればいいのだが、と考えながら瞼を閉ざす。車中泊に比べれば、ソファの上での就寝など上等な部類だ。景光はすぐに眠りに落ちていった。





 ――ちくり。

 右の肩甲骨辺りに、細く短い針を刺すような痛みが走った。その痛みは点々と背中を覆っていき、気づけば針の筵に仰向けで寝転がったような感覚に陥る。あちこちを同時にプツリプツリと刺され、その痛みが首筋にまで到達した段階で、堪らず景光は飛び起きた。

「ってぇ……」

 思わず小さく悪態をつきながら、ソファに腰かけた状態で背中に手をやる。シャツ越しに触れてみても、特に異変は分からない。虫刺されなどの傷口と思しき凹凸を感じないし、皮膚が熱を持っている様子もない。ただ、痛みの残滓だけが景光の背中から首筋に存在を主張していた。

 次いで景光は暗闇の中、手探りでソファの座面に触れる。何の変哲もない、革の感触しかない。ダニが繁殖している可能性を考えるとぞっとするが、しかし背中と首筋に感じるのは痒みではなく、針で刺されるような痛みだ。ダニに咬まれてそういう症状が出るものだろうか。物知りで蘊蓄好きな幼馴染に尋ねてみたくなったが、彼とはもう会えない身の上だ。最低でも数年、下手をすれば一生。唐突に孤独を感じた景光は部屋の静けさに息を呑むが、扉一枚向こう側に保護すべき子どもがいることを思い出し、頭を振った。幼馴染も、景光も、今は自分たちの場所でできることをするだけだ。

(午前2時過ぎ……まだ寝られるな)

 過去の住人が置いて行った卓袱台(ソファとの不釣り合いさはどうしようもない)に置いていた腕時計を確かめると、景光は再びソファに横になった。神経が高ぶって体が痛みを訴えたのかもしれないし、そもそもビルから飛び降りて死にかけた時の後遺症が出たのかもしれない。自分がどういう手段で助けられたのか分からないが、それなりの代償があってもおかしくない程の重傷だったはずだと思われる。全身を強く叩き付けられたはずなので、そのせいかもしれない。

 景光は深いため息をつくと、ジャケットを被り直して目を閉じた。





 翌朝。景光は顔を合わせるなり、麻衣から心配されていた。

「唯さん、昨日ちゃんと寝ました? 目の下のクマ、すごいことになってますよ」

「あー……そうかな。そうでもないと思うけど」

 二度寝しようと試みた景光はその後、何度も背中の痛みに襲われる羽目になり、結局まともに寝ることが出来なかった。飛び起きては横になり、と繰り返した結果無情にも時が過ぎ、景光は呆然と黄色い朝日を拝むことになったのである。太陽が黄色いというのは徹夜で生活リズムが崩れて自律神経が、とつらつら蘊蓄を垂れる幼馴染の顔が見え隠れする。実質徹夜明け一発目で蘊蓄はつらいので、せめて昼まで待って欲しい。職務上、徹夜の一日二日で不調はそうそう出ない体だが、一晩中背中や首筋を痛みで苛まれたのでストレスは相当なものだった。一般人……一応、とりあえずは一般人の枠組みに入る麻衣でさえ一目で分かる程度には不調だ。

「今夜は唯さんがベッド使ってください。自分がソファで寝ますから」

「いや、大丈夫だ。ちょっと夢見が悪かっただけなんだ。気にしないで」

 半ば予想通りに麻衣がベッドを譲ろうとしたので、景光は笑顔でそれをかわす。布団がないと寝られないほど繊細ではないのは事実であり、背中の痛みとて今夜まで持続しないかもしれない。そう信じたい。せっかくの2DKだというのに出だしが最悪だ。麻衣が元々住んでいたアパートの小さな一室がふと恋しくなったが、あの部屋だと半魚人に就寝を見守られる可能性があることに気付いたためそっとなかったことにした。いや、キョーコという彼女は悪意のある半魚人ではないと分かってはいるが。……良心的な半魚人とは一体何だろうか。

 あらぬ方向へ逸れた思考を素早く戻し、景光は朝食の用意に取り掛かった。とはいっても、コンビニで調達したものを並べるだけだ。しかし話題を打ち切るには十分だったため、景光はほっとした。





 引っ越してから三日目。景光はとうとう音を上げた。降参したのだ。

 とにかく背中が痛い。夜毎に針を無数に刺される痛みに襲われるのはさすがに堪える。何より、貴重な睡眠時間を削られるのが辛い。ソファで寝る時だけ痛みに襲われるので、景光はコンビニで購入した除菌スプレーを念入りに座面に塗布し、麻衣にやや引かれるくらいの勢いでソファを浄化した。投身の後遺症というよりは、年代物のソファを根城にする凶悪なダニの可能性の方が高い状況だからだ。さらには清潔なバスタオルを座面に敷いた上で三日目の夜に臨んだのだが、努力を嘲笑うかのように背中の痛みに襲われ、景光はめでたく徹夜三日目に突入した。通常、三日も徹夜を続けると幻覚を見る可能性も出てくる。早急にどうにかする問題だ。日中に小仮眠を重ねて誤魔化してはきたが、景光とてそろそろ限界だった。

 朝から泥のようになりつつある思考回路を叩き起こそうと、景光がインスタントコーヒーの瓶を掴もうとしたところで、瓶を麻衣が横から奪い取った。

「唯さん。今日は絶対に寝る場所チェンジですからね」

「それは絶対ダメだ」

 大の大人である景光ですら参る、文字通りの人をダメにする曰く付きソファで、麻衣を寝かせるわけにはいかない。虫の息の脳みそでもそれだけははっきりしていた。反射的に麻衣に反論した景光は、ふと自分の思考を思い返す。

(あれ……オレ、このソファのことを“曰くつき”って表現したよな……)

 曰く。隠れた事情、込み入った事情のこと。例えば、心霊現象など。

(……あ゛ー……)

 景光はふと自分が、とても、とても、面倒で厄介で、それでいて最近何故か慣れ親しみつつあるアレに遭遇しているような気がした。あまりにも嫌すぎる予感に、ただでさえ融けた思考力がどろどろになる。

 その時、小さな手が景光の背中を気遣わし気に撫でた。彼女には大した意図はなかったのだろう。目に見えて体調が悪そうな景光を心配しての行為で、悪意など一切なかったはずだ。しかしここ最近、背中を集中的にいたぶられている景光にとっては酷な行為だった。

「一体どうし……」

 麻衣の言葉が途中で止まる。彼女の手が背中を撫でた瞬間、たわしで撫でつけられたような痛みに襲われた景光が飛び上がったからだ。明らかに何かあると分かる動作だったが、咄嗟のことだったのでどうにもならない。予想通り訝しんだ麻衣は景光に理由を尋ねたが、景光は苦笑を浮かべて誤魔化した。最近ソファで寝ていると背中を針で刺される痛みがある、と言っても心配をかけるだけだ。まだ心霊現象的なアレコレだと決まったわけではないし、彼女曰く「自分はオカルト専門ではないです」とのことなので、そちら方面だったとしてもあまり頼れないかもしれない。……景光としては、オカルト専門ではないという言葉が信じられないのだが、どうなのだろうか。霊能力はすっからかんですと胸を張って言われたが、では不思議な力は一体何だと言うのか。

 景光が困った顔で微笑んでいると、麻衣は深いため息をついた。とりあえずは諦めてくれるようだ。しかし、早急にどうにかすべきであることに変わりはない。いっそ今夜からは床で寝ようか、などと景光が考えていると、「……しゃらくせぇ」という呟きが耳に届いた。その時点で気づけば良かったのだが、結局のところ、思考回路が緩んでいる景光には無理なことであった。冷蔵庫からお茶を出そうと、彼女に背中を向けたのも悪かった。

「そぉーい!!」

「わああああ!?」

 いきなり勢い良くシャツの背中を肌着ごと捲り上げられ、景光は思わず悲鳴を上げた。生まれてこの方、女の子にこれほど乱暴に服を剥かれたことはない。景光はどこの生娘かと言わんばかりに自分を抱きしめ、背後を振り向いた。

「麻衣ちゃん何してるの!? 女の子がこんなことしたら駄目だろう!?」

「心は20歳の成人男性のつもりなので大丈夫です」

「絶対嘘だ!」

「うわっ、背中に赤い痕が点々と付いてますね」

 景光の抗議は完全に無視された。見た目だけなら本当に大人し気な文学少女だというのに、その行動は情け容赦がない。不意を突かれまくった景光は盛大に恥じらったが、麻衣の言葉ですぐに頭を冷静な状態に戻した。背中の赤い痕というのは、少なくとも昨日までは確認されていなかったものだ。日ごとに症状が進行しているのかもしれない。

「素直に白状してください」

 年下の少女にきっぱりと告げられ、景光は観念した。





「だから昨日、あんなにソファを除菌しまくってたんですね」

「ああ。無駄だったんだけどね……」

 二人でソファの傍らに立ったままため息をつく。結局、幼馴染に「お前それでも公安か」と詰られる勢いで洗い浚い吐かされた景光は、事態を飲み込んだ麻衣から同情めいた視線をいただいていた。そこで怪奇現象をすんなり受け入れる麻衣も、十分に同情されるべき環境に置かれているのだが。そんな麻衣は、ソファを見下ろしながら顎に手を遣った。

「日中、二人でここに座って食事をしていても、ソファに触れている部分にそんな痛みは感じないですよね。だからダニ説は却下で、唯さんの状況はおかしいです。大家さんに確認しに行きませんか?」

「え? 大家さんに?」

「はい。もしかしてここの歴代の住人も、唯さんみたいな理由で家具を置いてまで早々に逃げ出したのかも」

 それはとても納得のいく推論だった。こんな曰く付きのソファなんて怖すぎるし、持ち込んだ家具まで曰くつきにされそうで怖い。景光は頭を振って嫌な感覚を振り払うと、思考を切り替えた。最近馴染み深いオカルトにせよ何にせよ、ともかく何がトリガーとなって景光を襲う事態になっているのか特定したい。肝の据わった麻衣と状況を共有したお陰か、ようやくまともに頭が回り出したようだ。

「何でオレの背中だけこんなことになるんだろうな。寝るのが悪いのか、深夜なのが悪いのか」

「ちなみに唯さん、痛みを感じ始める時間って大体同じなんですか?」

「ああ。午前2時くらいかな」

「ワー、丑の刻ダー」

 時間を聞いた途端、麻衣があからさまな棒読みになって視線を明後日の方向へ向ける。確かに言われてみれば麻衣の言う通り、痛みを感じ出すのはいつも午前2時――丑の刻だ。それはオカルトに疎い景光でも知っている。神社で憎しみを込めて藁人形に五寸釘を打つような、ヤバい時間帯である。気付きたくなかった。

「唯さん、誰かから呪われるほど恨まれるような心当たりあります?」

「あー……」

 呪われるかどうかはともかくとして、命を狙われる心当たりはあった。それはもう、十二分に。しかし景光が誤魔化すような苦笑を浮かべかけたタイミングで、麻衣が先手を取って口を開いた。一瞬だけ見開いた目に見えたのは後悔の色だろうか。

「――失言でした。すみません」

「いいんだ、別に。むしろ悪いな、気を遣わせて」

「気を遣うなんて、そんな」

 麻衣は謙遜しようとするが、明らかに気を遣われた。景光が隠し事をしているのを承知で、うっかりそれに言及してしまったと詫びられたのだ。景光は麻衣の都合の良さに顔を顰めそうになった。そう、彼女は景光にとってあまりにも都合が良すぎる。

「気を遣ってもらっているよ。オレなんて、怪しさの塊みたいなものだろうに、君は何も言わず、詮索せず、傍に置いてくれる」

「怪しいのはお互い様ですよ。詮索しないのだって、自分がそうされたくないからしないだけであって」

 確かに、景光も麻衣がはっきり言おうとしない不思議な力について、無理やり聞き出そうとはしていない。けれどいつかは教えて欲しいと思っているし、彼女を守るためには正確に把握する必要があると感じている。いずれは心を開いてもらって、自分から秘密を明かしてもらおうと考えているのだ。景光は自分の身分を明かすつもりなんて今後一切ないというのに。お互い様などでは決してないのだが、景光はそれを口にしようとはしなかった。景光の勝手さを受け入れてくれるかもしれないが、傷つけてしまうだろうからだ。意図する成果はともかく、彼女を守りたいとか、優しくしたいと思うのは打算だけではない。

「秘密を暴くことが必ずしも良い結果に繋がるわけではないと知っているだけです」

『迷宮を解体できないのならば、人目に触れないよう隠蔽する。それが対策班の仕事だ』

 佐枝の言葉が景光の脳裏を過ぎる。秘密裏に事を進めて事件化を未然に防ぐのが公安の役割だが、対策班の捜査員が関わる案件はそれを彷彿とさせるものがある。そういう事件に何度も触れてきた麻衣が捜査員たちに通ずる思考に至るのは、当然のことかもしれなかった。

「とりあえず」

 麻衣は少し声を大きくして、無理やり話題を戻した。

「今日の午前2時、自分と唯さんの二人でソファに座ってみます? そうすれば唯さん狙いなのかとか、時間帯が悪いのか、寝なければいいのかとか分かりますよね」

「駄目だ」

 景光は即答した。麻衣が提案した方策はなかなかに合理的だが受け入れがたい。身分こそ明かさないものの、景光の心はあくまで警察官だ。民間人に被害が及ぶかもしれないことをさせたくない。

「麻衣ちゃんにそんなことはさせられない。背中にこんな痕がついたらどうするんだ」

 そう言うと、麻衣は少しばつが悪そうな顔になった。

「痕は……まあ。でも、背中にいきなり五寸釘をぶち込まれるわけではないでしょう? 初心者には針でマイルドに責めてくる感じですよね?」

「全っ然マイルドじゃなかったからな。底意地の悪さを極めるような、徹底的な刺し方だったからな」

「そうでしたか……」

 景光に向いていた鼈甲飴の視線がソファに戻る。見た目だけは至って普通、どころか幾分か上等な部類に入るソファなのだが。寝心地が底辺なのが残念でならない。

 悪辣な現象の原因は究明したいし、どうにか改善したい。しかしその前に景光の体力が尽きる方が早いだろう。そして麻衣にも無理はさせたくない。となれば、ひとまず今夜の動きはある程度定まってくる。検証は後回しにして今夜は床で寝るか、と考えた景光の前で、麻衣がぽんと手を打った。



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