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親方! 空から厄介事が!
萌え 2019/05/25 01:41


・諸伏景光は怪物と出会うの幕間で麻衣兄視点
・兄さんの名前は×××、親友の名前は***
・若干のグロ描写あり(ぬるい)





「お兄ちゃん、行ってきます!」

 クリスマスプレゼントとして俺が買ってやったマフラーを巻いた麻衣が、玄関先で俺に手を振る。大学入試直後の自己採点に付き合ってやり、お前なら大丈夫だと何度も励ましてやった妹は今日、合格発表を迎える。勇気が欲しいと俺に抱き着き、結果が分かったらすぐに連絡するねと言い残した彼女を見送った俺は、





 白いベッドの前で立ち尽くしていた。いつの間にか病室の中にいた俺は、目の前のベッドを見つめる。誰かがそこに横たわっていた。顔には白い布が被せられており、その誰かは既に亡くなっているのだと分かる。白い布の脇から覗いている髪が柔らかそうな薄い色をしていることに気付いた俺は、心臓が凍り付いたと錯覚した。一体どういうことだ。何故、あの髪は、麻衣と同じ色をしている?

 喉がカラカラに乾き、口蓋に舌が張り付く。上手く言葉が出ないまま、俺は震える足を踏み出した。そっとベッドの傍に寄り、恐ろしい想像に怯えながら、それでも顔に被せられた白い布を指先で掴む。恐る恐る剥いだ布の下にあった顔は――麻衣のものではなかった。遠い記憶を掘り起こした俺は、横たわる女性の正体に気付く。彼女は俺と麻衣の母親だ。

 俺は何かに導かれるように顔を上げた。ベッドを挟んだ向こう側には窓があり、外は夜だった。ガラスはベッドの前で酷い顔色をして立っている人間を映し出している。それは見慣れた平凡な顔をした男ではなく、幼い中学生ほどの少女――谷山麻衣。俺の妹しかいなかった。……俺はいつの間にか、妹だったあの子に成り代わっていた。俺は谷山家の母親が事故死したその日に舞い戻っていたのだ。

 身寄りのない一中学生と成り果てた俺が調べられる範囲では、谷山麻衣にはそもそも兄が存在しなかった。目の前で死んでしまった母親が最後の血縁で、中学校二年生の夏にしてひとりぼっちになってしまったらしい。それでも担任の教師がとても心優しい人で、俺は中学を卒業するまではその人の家に間借りすることが出来た。もしかすると、俺が関わらなかった本来の彼女も、そういう人生を送る予定だったのかもしれない。俺が兄であった時は、俺が高校卒業後にすぐ就職してアパートを借り、妹と共に二人暮らしをしていた。だがそれも今は無理な話だ。幸いにも奨学金制度を使って通える高校と学生向けの安アパートに巡り合えたため、中学三年生の冬には一人暮らしを始めた。アルバイトに至っては、居候を始めた段階で今の立場で出来るものをすぐに始めていた。谷山×××としての体験を経た俺であったが、妹を可愛がったことはあっても母親と交流した体験がない。そのせいか、母親を亡くしてすぐに現実生活の方へ頭を切り替えることが出来た。俺にとって、谷山家の母の喪失は、誤解を恐れずにストレートに言うならば痛手ではなかったのだ。俺が悲しんだのはそのことではなかった。

 自由が利く一人暮らしを始めてから調べる範囲を広げてみたが、少なくとも、俺が知り得る範囲ではこの世界に***は存在していないし、この分だとリドルもいないかもしれなかった(ただし、アメリカにミスカトニック大学が存在することは確かである)。しかしそれは別にいいのだ。なにせ俺や***、リドルは本来、この世界に存在しない。彼らが見つからないということは、彼らは俺と違ってここに放り込まれなかったということかもしれない。そうだと信じたい。それなら何の問題もないのだ。きっとこれが本来のこの世界の在り方で、これが正常なのだ。きっとイギリスにはナル君やリンがいるだろうし、原さんや松崎さん、ぼーさん、ジョン君、安原君もどこかで元気に過ごしていることだろう。……だけど、あの子だけがいない。かつて俺の妹だった、けれど本当は兄なんて存在していなかったかもしれない、それでも可愛いあの子が。

 まるで俺が妹を殺してしまったかのような世界。俺にとっての一番の痛手はそこだった。俺は妹のような「あたし」という一人称を使えず、かと言って今まで通りに「俺」とも言えず、「自分」と称することで誤魔化す日々を送っている。脳裏に時折、行ってきますと弾けるような笑顔で言った妹を思い浮かべながら。

 妹個人の才能なのか遺伝なのか分からないが、あの子には不思議な力があった、らしい。曰く、野生の勘。不思議な夢。……何とも表現しづらい。要は、悪いことに限って勘が働くだとか、夢の中で現実に起きている問題の原因が見えたり、他の誰かと交流したり(こちらは夢を介して実際に物理的なやり取りをしたのを知っている)、そういったESP(超感覚的知覚)に分類される能力のようだ。とはいうものの、専門家のナル君によれば、全く安定しておらず大した実績を積んだわけでもないので、信頼性には乏しいとのこと。ただ彼が気にかけている辺り、全く何もない人間とはみなされていなかったのだろう。しかしながらその超能力者的能力は、今の俺には全く備わっていなかった。単純に目覚めていないだけなのかもしれないが、俺はそうではないと思っている。何故ならば、俺には麻衣の兄であった頃の能力――クトゥルフ神話にまつわる異様な知識と、それを扱うだけの力が引き継がれていたからだ。大して嬉しくもないが凶悪な能力を与えられているので、さらに追加で超能力もなどといったトンデモ展開はないだろうと信じたい。いや本当に、設定をこれ以上生やしたくないし、なんなら現代日本に帰りたい。それが駄目なら麻衣の兄に戻して欲しい。とりあえず、妹のスリーサイズを嫌でも知らされる生活はとても困る。どうでもいいが俺はフロントホック派である。シリアスがもたない性格で申し訳ない。バックホックが意外と難しすぎたのだ……。俺に出来ることは、無駄な出費を抑えて将来、麻衣に体を返した時のために貯金を作っておくことと、おっぱいの型崩れを防ぐこと、そして貞操を守り抜くことである。可愛い妹に余計な虫がつかないように、セコムが魂に同居しているのだと思えば今の状況も悪くは……いや悪いわ。

 ただ、麻衣本来の能力がなくともクトゥルフ的フラグはビンビン体質(不本意)なので、まぁアレコレ巻き込まれる。知っている事件もあれば知らない事件にも巻き込まれ、ついでに幽霊も出る。後者はまだナル君と関わってもいないのにフライングもいいところである(今回も関わるとは決まっていないが。なにせ俺は麻衣本人ではないので)。お陰様で、そんな一般的には眉唾物な事件を取り扱う刑事と知り合いになれたのは僥倖ではあるだろう。俺の知っている世界では死んでいた相手が、今回では俺と出会うタイミングが変わったことで生き残り、俺と友人関係を築けたりだとか、そういう良かったこともある。そして俺は知り合いになった刑事から、神妙な面持ちで忠告されたことがあった。

「今にも死にそうな大怪我をした誰かを見付けた時、やることは救急車を呼ぶことだ。お前さんの“全力”を尽くすことじゃない」

 俺が扱える魔術の中に傷を治すものがあると知った時、彼は真っ先にそう言った。

「誰に対しても簡単に使っていたら、お前さんの持つ力が世間に広まってしまう。お前さんを頼ろうと大勢の人が押し掛けてくるだろうし、その力を金に換えようとする邪な輩も湧いてくる。助けを求める相手全員に対応するなんてまず無理だし、悪い連中を払いのけるにも限界がある。我々警察は、麻衣君をマスコミをはじめとした有象無象の食い物にするつもりはない。お前さんのような子を守るためにも、“こういう班”が存在するんだよ」

 それは警告ではなく、俺への心配も大いに含まれていた。

「“全力”を尽くさないことが助けないことにはならないし、見殺しにすることにもならない。人は誰でも自分の領分を越えたことはできない。当たり前のことだ。その力は本来、人の領分を越えている」

 などと、罪悪感を覚える必要などないのだと言い聞かされもしたのだから。あの人は本当にいい人だ。とてもよく気の付く人でもある。

 ――まあ、人間なんて“その時”に直面したら、そんな思いやりの溢れる忠告でさえ吹き飛んでしまうのだが。

 中学三年生の冬。合格発表も終わり、もう少しで春の芽吹きを迎える頃。

 バイト帰りの俺はその夜、ひと気のない通りにあるビルの前に差し掛かったところで、灰色がかった瞳と目が合った。

(……え?)

 ぐしゃ、とか。恐らくそんな音だったと思う。久し振りの登校日からのバイト後帰宅、というルートを辿っていた俺は警戒心ゼロだった。そもそも普段から目の前で人がスプラッタを演じる光景など想定して生きていない。そんな俺の目の前で、一人の人間がアスファルトに激突した。本当に鼻先ほどの距離だった。顔に、制服に、素足に、生温かいものがべとりと付着する。

(……は?)

 転落による全身打撲。凍り付いた頭の片隅の冷静な部分がそう告げた。更に分析すると左腕や両足がおかしな方向に折れ曲がって出血しているし、頭部からもじわじわと血の海が広がっている。もしかすると内臓もやってしまっているかもしれない。どこからどう見ても致命傷、というやつだった。

 それでも。耳に微かに届いた小さな音に気付いた俺は、弾かれるように動き始めた。細い細い、今にも消えてしまいそうな呼吸の音。よく見ると下顎が動いていた。……後から冷静に考えてみると、それは死期が限りなく近い人間に見られる呼吸だった。

 特殊なケースの修羅場慣れをしてしまった俺の脳は、目の前の人を助けるための最適解をあっさりと算出した。心得のある魔術師は、対象者が即死しなければどうにかできる。俺もそれに漏れない。“治癒”。それは呪文を掛けた相手を大体二分弱の間に速やかに回復させる効果がある。回復できるのは傷、病気、毒などによる症状と幅広い。つまり、傍らのビルから落下した(見上げたところ、開いている窓がなかったので屋上から落ちたのだろう)人間の傷にも効果がある。

 俺は素早く周囲を確認し、誰もいないことを確信すると小声で呪文を唱えた。誰もいないにせよ、大っぴらに詠唱するべきではない。やがて成功したらしく、俺の中から魔力などがごっそりと抜き取られる感覚と共に、相手の怪我が急速に癒え始めた。具体的には、割れた額の傷が塞がったり、手足の骨がゴキゴキと嫌な音を立てながら正常位置に戻ったりといったことだ。あまり見られたものではないし、骨が勝手に動くのは相当な痛みがありそうだが、相手に意識はないことだし状況的に四の五の言っていられない。幸いにも頑丈なのか落ち方が良かったのか、俺の呪文一回で目立った傷は癒えたようだった。“治癒”の呪文にも回復限界があるので、あまりにも酷い傷だと治りきらない可能性もあったのだ。

 治療をしてから改めてまじまじと見ると、倒れているのは随分と若い青年だった。二十代半ばくらいの年齢に見える。顎髭を剃ればさらに若く見えるだろう。なかなかのイケメンだが、今は血だらけで残念なことになっている。バッグなどの手荷物は身に付けておらず、周囲にも落ちていないので、もしかして身辺整理を済ませた自殺志願者だったのだろうかと考えかけた俺は、青年の右手を見て硬直した。

 拳銃。彼の手にはそれがしっかりと握られていた。

(や、やべー人を助けてしまった……)

 拳銃を持ったままビルの屋上から落下してくる人間なんて、碌でもない奴一択である。この男が実は穢れを知らない敬虔な神父様とかだったら、俺は土下座して謝ってもいい。銃を持っていてもいい神父なんて、別世界の神罰の地上代行者とかだけだ。だが邪神を祀る系宗教の敬虔な神父様というオチは勘弁な。なお、俺が知っているジョン君は本当に後光が差すレベルでピュアかつ敬虔な神父様なので、そこは間違えてはいけない。

 その時、俺は唐突に気づいてしまった。妹の能力とは全く無関係な、俺の数々の経験則から来る嫌な想像という奴である。

(……待てよ。自殺にせよ事故にせよ他殺にせよ、屋上には関係者がいるんじゃないか?)

 当然の推測だった。屋上から落ちたのならその原因が屋上にいるのだろうし、どんな要因であれ、落ちた奴がいるならそれを確認しようとするのは普通の流れである。動機が心配であっても、トドメを刺すためであっても。

(すぐにここから離れないと!)

 俺はすぐさま魔力と引き換えに身体能力を上げる魔術を行使し、目の前の青年を担ぎ上げた。ここまで来たら放置していくわけにはいかない。正確に言うと、せっかく助けたのにまた殺されたら寝覚めが悪い。屋上から降りてくるであろう誰かが青年の味方である可能性もあるが、それに賭けられるほど状況を知らない。三十六計逃げるに如かず、である。

 治療したので出血も止まっているし、血溜まりを踏むほど間抜けではないので、血痕を残していくようなへまは犯さなかった。その代わり、乾ききっていない血液が肩や腕、背中にじわりと染み込んでいくのは大変に気持ちが悪かった。しかし、自宅への道を辿る間、冬用制服は一着しか持っていないので、卒業式までにはどうにか血抜きをしなくては、などと考えられる程度には頭の余裕が戻って来ていた。やはり俺は、どうしようもなく修羅場慣れしているらしい。

 こうして得体のしれない男を衝動的に自宅へ連れ込んだ俺(女子中学生・一人暮らし)は、後ほど青年と友人(神話生物)が予定外の顔合わせをしてしまったことで、迂闊に彼を外界へ放逐できなくなってしまうことをまだ知らなかった。





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どこかゆるゆるな兄さんですが、なんだかんだでMPをがっつり使い込んだので結構疲れてます。その疲れました感は景光さんに「この子、繊細でか弱そう……」という印象を植え付けるかもしれませんが、実際は図太いしえげつない。

忠告した刑事さんは、400万打企画オマケの「足元の怪異譚」に出した但野刑事だと思います。なお、同シナリオに出した警視庁公安部の佐枝刑事も麻衣兄と知り合い設定なので、「さすがに公安の伝手はないだろ」という景光さんの予想は外れてます。ただし麻衣兄とは価値観が致命的に合わない人、かつ公安なので基本的に連絡は取れない。


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