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諸伏景光は怪物と出会う−下
萌え 2019/05/19 23:09

・諸伏景光は怪物と出会う−上の続き
・景光視点
・400万打企画で登場したキャラの出番がある





「ありがとう。随分君の世話になったんだな」

 努めて優しく微笑むと、左の目尻が引き攣ったような感触があった。彼女が顔を拭いてくれていたことから考えると、固まった血がこびりついているのかもしれない。一方の少女は、少し意外そうな顔をしてから「いえ、そんな」と謙遜した。どうしてそんな表情になったのだろうかと考えかけた景光は、ふと少女の肩越しに黒い塊を見て凍り付いた。彼女の背後の床にそっと置かれていたのは、景光が赤井から奪った拳銃だった。確かに景光は右手に拳銃を掴んだままビルから飛び降りた記憶がある。意識を失っても握り締めていたのだろう。それを少女が取り上げ、背後に置いたということか。

(血塗れで拳銃を持った人間が優しくしたところで、信用されるか?)

 されるわけがない。景光だったら絶対にしない。少女の微妙な表情にも納得がいった。彼女は、景光がもっと荒れた反応をすると考えていたのかもしれない。……それならば、やはり何故彼女が助けてくれたのかが分からなくなるのだが。

 一方、彼女は少し考えてからタオルを景光に差し出した。

「顔、拭いた方いいですよ。けっこう酷いです」

「え? あ、ああ。ありがとう」

 差し出されるまま受け取ったタオルからは、石鹸の香りと血の臭いがした。左の目尻を拭ってみると、予想通りにタオルが赤く汚れた。

 次の言葉を考えながらしばし顔を拭う作業をしていると、少女がおずおずと口を開いた。

「……あの。事情を聞こうとは思わないですけど、警察呼んだ方が都合がいいですか?」

 相手が相手なら危なっかしいセリフだ。警察に見つかりたくない犯罪者だったら、こんなことを言い出した瞬間に絞め殺されてもおかしくない。景光とて、警察からも身を隠したいという点は同じなので動揺した。しかし、犯罪者の中にはあえて警察に捕まって身の安全を確保する輩がいることも事実であり、少女の口振りからはそれを匂わすようなものを感じた。

「自分、知り合いの刑事さんがいるので、そっちに直接連絡つきます」

 続けられた言葉は、その予感を確証に変えるものだった。110番通報をすると、都道府県警本部の通信指令室に繋がるが、ここが東都内だとすれば警視庁本部あるいは多摩に繋がる。そうなれば秘匿も何もあったものではないが、刑事個人に直接繋ぎを取れるのならば、話が変わってくる。だからこその口振りだったのだろう。

「知り合いの刑事? 身内か何かなのか?」

「いえ。何というか、妙な厄介事に巻き込まれることが多いので、必然的に知り合いになってしまったと言いますか」

 景光はその言葉に素で眉をひそめる。

「……どこの課の刑事?」

「捜査一課、とか」

(とかって何だ!?)

 かろうじてツッコむ言葉は飲み込めたものの、煮え切らない少女の言葉に景光は目を剥いた。とか、なんて言い方をされると、まるでそれ以外にも複数の部署の刑事と繋がりがあるように聞こえる。まさか、景光を拾ったのはそれ故の誤った万能感だろうか。そもそも、警察が出てくるような厄介事に頻繁に巻き込まれるという状況が分からない。推理物の主人公でもあるまいに。

(なんて言っても、さすがに公安刑事とは繋がってないだろう)

 そんな気休めのようなことを考えた景光は、二人ほど警視庁の刑事を思い浮かべた。刑事部捜査一課強行犯三係に所属している伊達航と、公安部の風見裕也だ。あの二人なら信用できる、と景光は考えている。だが公安部の風見と安全に接触する方法などないし、伊達に至ってはそもそも管轄外の案件を持ち込むことになる。巻き込めない。

 ……だが、彼女の連絡相手に伊達が含まれていたら、という期待はあった。実際に連絡しないとしても、連絡する手段があるかないかでは心の持ちようが変わってくる。あの男なら、絶対に景光に手を貸してくれると確信していた。

 しかし、ストレートに名前を聞き出すのは憚られる。ただでさえ怪しまれているだろうに、下手に探りを入れると頑なになられるかもしれない。いや、怪しむ要素を相手に見出しているのは景光も同じではあるのだが。

(怪我のことを聞くのは不自然じゃないはずだ)

 警察への連絡のことは「助かるけど、少し考えさせてほしい」と一度脇に置き(“助かる”と言葉にして見せることで、警察に連絡されることに抵抗感があまりないように見せかける意図があった。その方が警戒心が下がるだろう)、景光は「ところで」と話題を変えた。

「オレはビルから落ちたはずだけど、君は大丈夫か?」

「え?」

「服にオレの血が付くほど君の傍に落ちたんだろう? ぶつかっていないか気になったんだ」

 馬鹿正直に自殺と言ってしまうと引っ掛かりを覚える要素を増やしてしまいそうだったので、落ちたとだけ伝えて様子を見る。少女はきょとんと目を瞠ってから、ふっと目元を和らげた。驚くほど優し気な表情だったので、景光もまた僅かに目を瞠る。彼女が怪我をしていないだろうことは見ればすぐに分かったが、念のためという意味を込めた質問だった。それが、彼女の琴線に触れたらしい。

「自分は大丈夫です。お兄さんこそ、体の調子はどうですか?」

「いや……どこも痛くない」

「それは良かったです」

 あどけなさを残る顔立ちの割に、妙に大人びた微笑みだった。あまりにも毒気のない様子に、いっそ追及をやめてしまいたくなる。だがそれは立場が許さなかった。

「ところで、誰が治療してくれたんだ? 俺は酷い怪我をしていたと思うんだけど」

 その質問をした途端、柔らかかった少女の表情が引き攣った。優し気な笑顔がたちまち困ったようなそれに変わり、口の端が歪む。やはり彼女は何かを知っている。景光の興味は恐らく命の恩人である彼女を困らせるものらしいが、それでも死ぬはずだった景光を救った魔法のような手段を知りたい。今後のために知らなければならない。内容次第では、彼女もこちらの事情に巻き込んでしまうかもしれないのだ。景光を部屋に引き入れた時点で、もう手遅れかもしれないが。

「……えー。それは……」

 彼女はしどろもどろな様子で言葉を探している。可哀想に思えてくるが、諦めてやれない。景光は彼女自身の善意、善性を信じる信じないとはまた別に、瀕死レベルの重傷を治療してもらったことへの何らかの代償はあるだろうと考えている。金銭だけなら問題ない。そうではない場合が恐ろしい。情報を強請られるだとか、こちらが誰かからの頼みを断れない“貸し”にされるのは困る。助けられるのはありがたいが、動機が分からないのは落ち着けないのだ。いっそ、彼女自身の口から何かの要求を出してもらった方が嬉しいくらいだ。

 そう思った時だった。景光の足が投げ出されている方向――短い廊下の突き当りにある玄関から、誰かがノックをする音が聞こえてきた。日本では主流とはいえない、3回ノックだ。海外では親しい友人や知人が訪れた時の回数らしいが、このタイミングの訪問者は誰だろうか。少女は玄関ドアを見てやや瞠目した後、景光を見た。どうやら居留守を使った方がいいと判断したらしい。だが、窓はカーテンで覆われているとはいえ、室内灯がついている以上、中に人がいることは明らかだ。彼女の目的は景光と誰かを会わせないためだろうが、会わないことは果たしてどちらにとっての利になることだろうか。インターホンを使わずにわざわざノックで呼びかけてくる辺り、一般的な知人や友人の類ではない可能性がある。

「……出なくていいのか?」

 少女はしかし首を横に振った。……そういえば、彼女の服には血が付いたままだ。誰が相手であれ、そのまま玄関先に出るのは向かない格好と言える。景光としてもそのままで行けとも言えず、口を噤む。少女は景光を置いて立ち上がると、玄関ドアへ歩み寄った。ドア越しに応対するつもりなのだろう。その予想に違わず、彼女はドアの前で足を止めた。

「ごめん。今日はお客さんがいるんだ。また今度会おう」

「――入レテ」

 ドアの向こうから聞こえてきたのは、恐らく女の声だった。恐らく、というのは、思いのほかくぐもった声をしていたからだ。ドア越しというのを差し引いても、マスクか何かをしているかのように聞き取りづらい。それでも、相手が少女の意向に反して部屋に入りたがっているのは分かった。

「今日は駄目なんだ」

 またノックの音がする。3回。よく聞いてみると、どこか水っぽいような音だ。先程よりも強く叩かれたから判別がついた。

「入レテ」

 相手は何故か執拗にドアをノックしては部屋に入りたがっている。景光は少しずつ不気味さを感じ始めた。まるでB級ホラーのようなシチュエーションだ。

「この埋め合わせはまた今度するから」

 少女は相手を宥めようとするも、ノックは止まない。少しずつ強くなる音に、景光は思わず立ち上がった(立ち上がるのに何の不都合もなかった。飛び降りたのが嘘であるかのように)。ドアの向こう側にいる少女の知人は、少々危ない人物ではないのか。相手に自分の顔を見られることより、少女の方が心配になった景光が、無言のまま彼女の薄い肩に手を置いた時だった。景光はドアから強烈な視線を感じ、思わず肩を強く掴んだ。

(――しまった、ドアスコープか!)

 ドアスコープは外側からでも内部を覗くことが出来る。景光が咄嗟に空いた手で少女越しにドアスコープを塞いだと同時に、向こう側からぽつりと言葉が届いた。

「ちノにおいガスル」

 ――分厚いドア越しに? 景光はぞわりと背筋が総毛立つのが分かった。いくつも修羅場を潜ってきた自負はあるが、こんなことは想定していない。片手でドアスコープを塞いだまま、景光は少女を見下ろして囁いた。

「君の知人は……言っちゃ悪いがまともな相手か? 危ない奴じゃないか?」

「……友人想いの一途な子です。ちょっと度が過ぎた一途なんです」

「ちょっとか?」

 一歩間違えば悪質なホラー紛いのストーカーのようなノックの執拗さだった。正直に言うと、あの強烈な視線と最後のセリフには少々身の危険を感じるくらいだった。何故かそれきりノックの音は止んでいるが、もう少し時間を置かないとドアスコープで向こう側の様子を窺う気になれない。うっかり覗いたら最後、超至近距離で目が合うような、そんな嫌な予感がするのだ。遠ざかる足音は聞こえたのだが、本当に去っていったのか定かではない。

 ……そういえばこの部屋は何階だろうか。部屋の様子からしてさほど大きくないアパートか何かだろうと思われるが。

「なあ、君。この部屋って何階なんだ?」

「え? 一階ですよ」

 その答えを聞いた景光は、すぐさまドアスコープから手を放してそこに目を当てた。向こう側には誰もいなかったが、今はそれが逆に危険だ。景光は先ほどまでいたリビングまで取って返すと、床に無造作に置かれたままの拳銃を素早く拾い上げた。「あっ」と背後から声が上がるが今は無視してジーンズの後ろ腰にそれを挟み込み、カーテンが閉められたままの窓を見やる。

「お兄さん、どうしました……?」

「君の知人だったら、窓に回り込んで力尽くで部屋に踏み込んで来ようとするか?」

 駆け寄ってきた少女にそう尋ねると、彼女は思い切り顔を引き攣らせた。どうやら踏み込んでくる相手らしい。少女は慌てた様子で景光の腕を引いた。

「お兄さん、風呂場に隠れてください。自分が誤魔化しますから」

「残念だけど、ドアスコープでこちらを見られたかもしれない。それに、相手は興奮しているかもしれないが本当に誤魔化せる?」

「ど、努力義務くらいは果たします」

 何の義務だろうか。なお、努力義務に強制力はない。

 ――その時。バン、と強く窓が叩かれ、ガラスにヒビが入る音がした。本人が入って来るなというのに、ガラスをぶち破ってまでお邪魔するような友人がいてたまるか。窓を睨み付ける景光の前で、とうとうガラスの一部が割れ、手袋に包まれた太い腕が飛び出してきた。窓に穴が空いた瞬間、まるで魚のような生臭い空気が部屋に吹き込む。腕は窓の鍵を開けると引っ込み、当たり前のように窓をスライドさせた。

「お兄さん!」

 小声で少女が叫ぶがもう遅い。少女の友人とやらは、窓を破った割に靴はきちんと脱いで侵入してきた。いや、そんな律義さはどうでもいい。問題はその風貌だ。景光ほどではないが少女よりも高い背丈の相手は、黒いロングコートと黒いキャップ、黒いサングラス、大きなマスクで全身を覆い隠すような姿で、見るからに不審者であった。ここまであからさまに怪しい人物なんてなかなかお目にかかれないだろう。こいつはやはり友人ではなくストーカーではなかろうか。景光は持ち前の正義感を発揮し、未だに止めようとする少女を背後に庇った。怪しい風貌なのは血塗れの景光も当てはまるが、そのことは頭の隅に追いやった。侵入者は、ドアスコープ越しに感じた強烈な視線を景光にぶつけた。

「アナタ……麻衣サンニ何ヲシタノ? ドウシテ血塗レナノ……?」

「キョーコさん、落ち着いて。自分は何ともないから」

 景光の背後に庇われたまま少女――やはり谷山麻衣というようだ――が必死に弁解するが、キョーコさんとやらはあまり聞いていないらしい。彼女は「麻衣サンノ……タメナラ……」と何やら不穏なことを言いながら、マスクとサングラスを外した。

 ――その素顔を見た瞬間、景光は人生で一二を争うほど驚愕した。それは、人間の顔ではなかったのだ。離れた目はまさしく魚眼の様で、ぎょろりとした眼球が景光を睨んでいた。口は異様に裂け、首の左右にはエラのようなものがついている。皮膚の端には鱗のようなものが生えており、塗れたような皮膚は室内灯に照らされ全体的にぬめぬめと不気味に光っている。人間の胴体に魚の頭部が乗せられたような、まさしく半魚人のような奇妙な生き物が景光の前に立っていた。特殊マスクでも、こんなクオリティは出せないだろう。なにより魚の生臭い香りが景光の鼻腔を突き刺している。今まで信じてきた常識をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されるような不快感が景光を襲った。

「マ、麻衣サンカラ離レナサイ……!」

 魚の頭をした怪物は、震える声で一歩、景光に近付いた。景光は緊張からの冷や汗を背中に感じつつ、油断なく構えた。

「だから待ってくれって!!」

 だが、緊張が高まりきる一瞬前に、麻衣が景光の背中からどうにか抜けて仲裁に入った。

「このお兄さんは自分が勝手に助けて部屋に入れただけ! キョーコさんは心配しなくても大丈夫!」

「……本当ニ……? 怪我ハ……?」

「本当本当。嘘じゃない。怪我だってしてないよ」

 麻衣がにかっと魚人間に笑いかけると、ようやく落ち着いたのかサングラスとマスクを付け直す。本当は顔を出したくなかったらしい。麻衣は続けて景光に向き直った。

「見た目がちょっと変わってるけど、この人は本当に友人です。びっくりされると思って、会わせるのに抵抗があったんです」

「本当に……?」

 図らずしも、魚人間と同じ言葉を使ってしまった。だが友人だという不審者が落ち着いたのは間違いないので、景光は矛を収めることにした。

 麻衣はほっと安堵の息をつくと、割られたガラスに目を遣り――そっと視線を逸らしてから口を開いた。景光は魚人間が窓ガラスの弁償をすることを祈るしかない。後で破片の片づけと目張り程度はしてやろう。

「今更ですけど、自分は谷山麻衣といいます。こちらは友人のキョーコさんです」

 本当に今更だった。仕切り直しの意味合いもあるのだろう。何だか色々と聞けていないことが多いし、不可解なことが多すぎる。それでも麻衣には、そして今のところキョーコにもこちらへの敵意が見られないのは幸いだった。

「お名前、聞いていいですか?」

 そう尋ねられた景光は、予想していた問いかけにほんの一瞬だけ考えた。

「――ゆい」

 我ながら単純だと景光は自嘲した。相手の名前が“マイ”だから、自分は“ユイ”とは。それに、偽名はそう気軽に増やすものではない。増やし過ぎると管理しきれなくなり、相手に正体が暴かれるリスクが高くなるのだ。しかし、組織のコードネームをいう訳にも、組織に知られている表向きの偽名を使うわけにもいかず、本名などもっての外だ。ならば新しく人間を作り出すしかなかった。本来ならばある程度の人物設定を練ってから偽名を名乗るものだが、今はそうも言っていられない。それに相手は社会的影響力がさして高くないであろう一学生だ。そのくらいなら潜入捜査官として生きてきた景光の経験と技術でどうにでもできる自信がある。キョーコに関してはまだ疑問点が多いので考慮しきれない。



 結局、景光は麻衣に対して“緑川唯”と名乗ることにした。……景光は知らなかった。その名前を聞いた瞬間、谷山麻衣の皮を被った異世界人が「グリーンリバーライトかよ……」と胸中で天井を仰いだことなど。仮に聞いていたところで、意味など分かるはずもないのだが。





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麻衣兄「CV.緑川って絶対なんかあるやつ」(正解)
せっかくなので一時期、この界隈でスコッチさんの本名(か偽名)として一定の評価を得ていた「みどりかわ ゆい」を偽名にしました。みどりかわの漢字を本家からそのまま使ったのは、単純に一番読みやすそうだったからです。目立ちたくない故の偽名なら特殊な漢字は使わない方がいいよね的な。

なお麻衣兄さんは、自分の部屋が女の子の香りがすることを知らない。自覚できない。逆に男の子の部屋の匂いとか分かるようになっていて「あれ?」と思うかもしれない。

麻衣兄さんは自宅で「ああ! 窓に! 窓に!」をやる探索者の鑑。
キョーコさんは400万打テコ入れの「水底〜」に登場した深きもの(♀)です。シナリオとは違って間に合って友人になれたルートです。筋金入りの面食いなので、イケメンと思しき景光さんが惚れられる可能性は高い。やったね景光くん! JKと同居できる上に一途な乙女に片想いされちゃうぞ!
(後でシナリオ読み返したら面食いは彼氏サイドだった罠。でもどちらにせよ優しい景光さんが好かれる可能性は高い。多分、安室≧景光>降谷くらいで)
マリコロ様のシナリオを読み込んでいただけると分かりますが、彼女の一途さは相当ヤバい(真顔)。普段は控えめな心優しいお嬢さんですが、いったん心を決めてしまうと一線を越えられる類のお方。エンディングAを見て欲しい。



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