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諸伏景光は怪物と出会うー上
萌え 2019/05/19 23:02


・魔術師麻衣兄×コナン
・景光視点
・コナン原作二年前に景光さんと麻衣兄さんが会っていた話
・景光さん27歳、麻衣兄さん15歳
・景光さんが自殺しようとするシーンから





 その瞬間、恐れたのは死ではなかった。景光が最も恐れたのは、同じ組織に潜入している幼馴染をはじめとした、大切な人たちに危害が及ぶことだった。だから足音が聞こえてきた瞬間、景光は発砲した。咄嗟のこととはいえ景光の覚悟を表すかのように照準は正確で、放たれた弾丸は誤って床に落としてしまっていた自身のスマホの中心を綺麗に貫いた。続けて、景光の突然の動きと発砲で硬直した目の前の男の隙がなくなる前にと、数歩後退しつつ自分のこめかみに銃口を押し当てる。発砲したばかりの銃口は少々熱を持っていたが、今の景光にとっては些末時であった。どうせこの数瞬後、暑ささえも永遠に感じなくなる。

 ――だが、引き金を引いてもカチリと空しい金属音が響くだけで、望んだ最期は訪れなかった。どうやら、弾は一発しか込められていなかったらしい。護身用というよりも自殺用としか思えない拳銃の有様に、持ち主に文句を言いたくなったがもちろんそんな猶予などない。持ち主の男は既に動き始めている。FBI(別組織)と言えど、この状況では捕まるわけにはいかない。敵はすぐそこまで来ているのだ。銃がなければ別の方法で今すぐに死ななければ。

 景光は素早く身を翻し、ビルの縁に空いたままの左手をかけた。そのまま腕に力を込めると、僅かな距離とは言えど加わった走力もあり、成人男性の体は呆気なく宙に放り出される。そう、ここは廃ビルの屋上だ。運の良いことに屋上を囲む高いフェンスはなく、精々胸の高さ程度の縁だけだ。その気になればすぐに飛び越えられるものだった。

(すまない、零(ゼロ)。お前は生きろよ……)

 夜空は遠く、地面に落ちていく体は軽い。忌まわしい柵(しがらみ)も、愛おしい繋がりも、全てが千切れて吹き飛んでいくようだ。景光は月に似た髪色の幼馴染に心中で別れを告げ、目を閉じようとした――が。

(……え?)

 誰かと目が合った気がした。まるで鼈甲飴のような色をした丸い瞳と。

 しかし次の瞬間、景光の体は確かに固い地面と激突し、目の前が真っ暗になってしまった。



 これは、いくつもの偶然が重なった結果、あり得てはならない奇縁を探り当てた話だ。





☆諸伏景光は怪物と出会う





 温かくて柔らかいものが頬に触れている。それに気づいた景光は瞼を上げようとしてふと気づいた。自分はビルから飛び降りて死んだはずだ。それなのにこの感覚だと、まるで生き残ったかのように思える。そう考えて目を閉じたまま体全体に意識をやると、自分がどうやら寝かされているらしいことに気付いた。寝具の質感がないので病院ではないだろうし、それどころかベッドの上でもない。恐らくフローリングの床だ。外の環境音が少ないので恐らくどこかの建物内の一室だろう。自分の鼻の奥から特有の血の臭いがする以外は埃っぽい匂いはなく、体の横に垂らした手指にざらついた感触もないので、掃除が行き届いた部屋だ。むしろ、微かに甘い香りがして、そんな場合ではないのだが別種の居心地の悪さを感じる。

(組織の女性構成員……の、理由はないよな。あの場面でライを出し抜ける奴がいるとは思えないし、女性幹部にしたってNOCだとバレたオレをわざわざ手当てする意味がない)

 そこまで考えた景光は、自分の体がどこも痛みを発していないことにようやく気付いて愕然とした。記憶の終わりでは、確かにアスファルトと体が激突したはずだった。肉と骨が叩き付けられる嫌な音すら耳の奥にこびりついている。それなのにその気配を感じないのは、強烈な麻酔でも使われたのだろうか。しかしそれにしては意識がはっきりとしている自覚があるのは不自然だ。

(一体何が起きている……あの後どうなった? ライは何をしている? ゼロは無事なのか?)

 柔らかい何かは、未だに景光の頬を撫でるように触れている。頬から顎、額、とまるで何かを拭くような動きだ。景光は意を決すると、相手の手の位置に見当をつけてから肩に力を入れた。幸いにも、左腕は当たり前のように動き、相手の手首を一瞬で掴んだ。……細い。

「……え」

 そんな呆けた声を上げたのは景光かもしくは相手か。今度こそ瞼を開けた景光の視界に飛び込んできたのは室内灯の白い光と、自身のすぐ隣に座り込んでこちらを見下ろす少女だった。中学生くらいだろうか。薄い色素の髪はボブで、見開かれた大きな瞳の色は鼈甲飴に似ている(ここで景光は、記憶の終わり頃で目が合った相手かもしれないと気づいた)。幼い顔立ちは人が好さそうに見えるし、現に彼女はどうやら景光の顔をタオルで拭いていたらしい。景光が掴んだ手には、血の付いたタオルが握られていた。彼女が部屋の主、かもしれない。男にとって腹の据わりが悪くなるような、気恥ずかしいような心地になる甘い香りがするのは、ここが彼女の部屋だからだろうか。

 しばし、景光は少女と見つめ合った。鬼が出るか蛇が出るかと構えていたら、無害そうな少女が現れたのだから反応に窮する。掴んだ手の平に広がる、柔らかくて薄い皮膚の感触を持て余すも、どう動いていいのか図りかねた。しかし、少女に「あの……」と声を掛けられたことで、景光はハッとして手を離した。少なくとも彼女に害意は見えず、手首を掴み続ける理由がない。仮に襲い掛かって来たとしても、景光ならすぐに制圧できそうな相手だ。セーラー服の裾から伸びる手足は、健康的という範疇に収まるものの細く、白い首も景光が本気で力を込めれば容易く骨ごと砕けそうに見えて頼りなかった。

 流れのまま上体を起こした景光は、改めて自分の体に何の異常も見られないことに驚愕した。死を約束された衝撃がこの身に訪れたはずなのに、やはり痛みすら残っていない。残されていたのはどうやら血痕くらいのようで、見下ろした自分の体は血塗れだった。それだけが、自分が確かに致命傷たるものを負っていたことを証明するよすがだった。

「君は……誰だ? それにここはどこなんだ?」

 あまりジロジロ観察していると悟られない程度に、ぐるりと周囲を見回してから少女に尋ねる。一見したところ、ここはやはり少女の部屋らしかった。物が非常に少ないことが気になるが、置かれている服や本などを見る限り、持ち主は彼女で間違いないだろう。気になるのは物の数だけではなく、ここが一人暮らし用の場所に見えるということもである。景光と少女がいる部屋から仕切りもなく伸びる廊下の突き当りには玄関が見えたのだ。中学生くらいの少女が一人暮らしをするというのは考えづらいのだが。

 少女は逡巡してから、景光の質問に答えた。

「えっと……自分は通りすがりの学生です。ここは自分の部屋で、お兄さんが倒れていたので連れてきました」

 名乗らない辺りはしっかりしていると言いたかったが、倒れていたからと見知らぬ男を部屋に連れ込める辺りは不用心にも程があった。それに、景光は少女の名前には見当がついた。部屋の隅に置いてある教科書の裏に“谷山麻衣”と書いてあるのが見えたのだ。

「……もしかして、オレを手当てしてくれたのか?」

 状況的にそうだろうと推測しながら尋ねると、少女――恐らく谷山麻衣は「連れてきて寝かせただけです」と言葉を濁した。景光は「そうだったのか」と返事をしながら、ようやくいつも通りの速度で回転し始めた頭で思考を巡らせた。おかしなことがいくつも浮上したのはすぐだ。

 まず一つ目。彼女は何故、血塗れの景光を見付けたのにその場で救急車を呼ばなかったのか。意識を失う直前の記憶が間違っていなければ、彼女は景光がビルから落下して地面に激突したのを目撃している。彼女の服や肌に飛沫血痕があるため、血が届くほどの至近距離に景光は落下したのだろう。……彼女にぶつからなくて良かった。だがその場合、救急車を呼ぶのが普通だ。間違っても家に連れ帰るなどあり得ない。救急車を呼ばれなかったのは、公安部の景光にとっては結果的に正解であったが。公安の潜入捜査官は、身の危険が迫っても警察を含む公共機関を頼れない。自分の本来の身分が暴かれてしまうからだ。

 二つ目。彼女はどうやって景光を自宅まで連れ帰ったのか。景光が自殺を試みたビルからこの部屋までどの程度の距離があるのか分からないが、気絶しておりそこそこ体格もいい成人男性を運ぶのは楽ではない。軽く部屋を見た範囲では、成人男性を乗せて移動できそうな台車やキャリーケースといった類の道具は見当たらない。背負って歩くにしても、彼女は目測だが景光より頭一つ分は背が低そうであり、手足も細く華奢だ。気絶した人間を簡単に持ち上げて運ぶ消防士搬送といった方法はあるものの、彼女にはそれをこなして移動するだけの基礎体力があるようにも見えない。すぐに思い浮かぶのは別の誰かが景光を運んだというものだが、その誰かの気配はこの場にはない――今は。

 三つ目。誰かの正体にも関わってくるが、ライ――FBIの赤井秀一の気配がどこにもない。もしかすると彼女が赤井に景光の保護を頼まれたのかもしれないが、それならばわざわざ隠す理由がない。赤井ではなく、幼馴染の方の息が掛かっている可能性はすぐに排除した。彼は目的のためには手段を選ばない男だが、ギリギリまで合法手段を残しておく男でもある。社会的な規制が多く、成人よりも動きづらい未成年者を、Non Official Cover――NOCと疑われ命を狙われている捜査員を匿うための協力者として使うはずがない。そもそも、彼の獲得工作を受けた協力者ならば、景光とこういう曖昧な会話をしないはずだ。残る可能性は組織側の人間が背後にいると言うものだが、それもまた考えにくい。わざわざこの少女を介入させる意味がないのだ。そして赤井をはじめとした関係者の気配がないということは、あのビルから彼女が誰の目に留まることもなく景光をここまで連れ出したということに繋がる。……そんなこと、考えられない。

 四つ目。……怪我が、どこにもない。高所から飛び降りた場合、頭からにせよ足からにせよ、落下した人間は複数個所に怪我を負う。景光とて九死に一生を得たにせよ、後遺症を抱える程度には酷い怪我を負ったはずだ。それは服に染みついた出血の後や、鼻の奥に残る鉄錆の匂いでも察せられる。それでも、“それだけ”しかないのだ。景光は当たり前のように上体を起こせるし、当たり前のように首を動かして部屋を観察できるし、こうしてものを考えられる程度に頭も無事だ。見たところ、足だっておかしな方向に曲がっている様子もない。死を選ぶしかなかったとはいえ、死にたいわけではなかった景光にとっては望外の幸運ではあるのだが、それでもあり得ないという強烈な違和感が素直に喜ぶことを邪魔している。景光が意識を失ってからこうして目を覚ますまでの間、一体何があったのか。そしてどれほどの時間、意識を失っていたのか。

(この子は一体、何者なんだ……?)

 数々の疑惑を羅列すると、善良にしか見えない少女の中身が、急に空恐ろしく感じる。先ほどまで顔を拭ってくれていた手の優しさは嘘ではないし、こちらを心配する様子も偽りには見えない。それなのに、善良な怪物を目の当たりにしたような、奇妙な不安感がある。

(この疑問点を放置するわけにはいかないな。オレの今後の動きにも関わる)

 何にせよ、組織に狙われる身となったため、ほとぼりが冷めるまでは潜伏生活を送る必要があった。景光の情報がどこから漏れたのか分からない以上、迂闊に日本警察とも接触できない。赤井とコンタクトを取ってFBIに保護を求めるのがベストだったのかもしれないが、今となってはまず赤井に接触するのが非常に困難を極める。下手に近付こうものなら、今度は赤井自身の身が危険になる。そして身分を偽っているのでパスポートも使えない現状、国内で逃げ続けるしかない。

 景光は自分の身の振りを考え――まずは目の前の少女を懐柔することにした。元来、景光は血気盛んな人間ではないし、厳しく当たるよりは優しく接する方が好きだ。加えて相手は年端も行かない少女で、今のところ景光に対して親切だ。なおさら穏やかに話を進めたいと考えるのは至極真っ当だった。



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