兄は知り過ぎている
萌え 2019/05/05 22:52
・クトゥルフ調査譚設定で麻衣と兄さんの話
・×コナン世界だけど、そっちのキャラは直接出てこない
・麻衣視点
谷山麻衣は明るく真面目な勤労少女だ。SPRに勤めるようになってからバイトの掛け持ちこそしなくなったものの、シフトは出来る限り入れるようにしているし、交通機関の乱れ以外での遅刻だって一度もない。兄との二人暮らしでお金の大切さは身に染みて理解しているから、無駄使いだってしない。年頃の女の子として気になるものは世の中にたくさん溢れているけれど、それに惑わされないくらいにはしっかりした心持ちだ。それはきっと、兄が妹を養うために身を粉にして働いていることを知っているし、分かりやすく目いっぱい愛情を注いでくれていることを知っているからだろう。
そんな麻衣が、珍しく友人の誘いでちょっとした贅沢気分を味わうために立ち寄ったのが、米花町にある一軒の喫茶店だった。そこは近頃、女子高生や若いOLの間でひそかに人気のスポットらしく、大層素晴らしいハンサムな店員が勤めているらしい。
(でも、ハンサムって言ってもナル以上じゃないよね)
どういう星の巡り会わせなのか、麻衣のバイト先は美形が多い。筆頭である所長は、性格はともかく顔はそこら辺のモデルなど比較にならない程麗しいし、助手も陰のある美形だ。茶髪の坊主はハンサムなミュージシャンだし、巫女は大人の雰囲気漂う美女、霊媒師は和装の似合いすぎる美少女、祓魔師は聖歌隊にいそうな天使めいた美少年だ。霊能者ではないが優秀な事務員である少年も整った顔立ちをしている。麻衣は日々、アルバイト仲間の女子高生とそんな顔面格差社会に耐えているのである。兄に言わせれば、「うちの子はバカ可愛いんだよ!」とのことだが。バカはとても余計だ。
ともかく、美形というものをそれなりに見慣れている麻衣にとって、喫茶店の店員の美形度など大したことがないかもしれない。そもそも、ナルの飛び抜けた美しい顔を知ってしまったら、大抵の顔が霞む。そういえば兄の友人のイギリス人もナルレベルの美形だったので、彼は別枠にしておこう。しかしそんな顔の持ち主はそうそういるものではない。だから、期待し過ぎない程度でちょうどいいだろう、なんて考えながら、麻衣は友人と共にその喫茶ポアロに足を踏み入れたのである。
「お兄ちゃんどうしよう」
その日の夜。兄の帰宅を出迎えた麻衣は、普段は楽しい食事の席だが深刻な面持ちで口を開いた。ちゃぶ台を挟んで対面に座っていた兄は、箸を置いて背筋をただした。麻衣の様子から、並々ならぬ何かを感じ取ったようだ。麻衣は俯きがちだった視線を上げ、正面からきちんと兄を見つめた。
「あたし、ホストにハマる女の人の気持ちが分かっちゃったかもしれない」
「よーし、お兄ちゃんに隅から隅まで話してみようか」
妹の言葉を聞くなり、兄は食いついた。なんなら、語尾を遮るほどの勢いだった。「場合によってはアップを始めちゃうぞ」と謎の言葉を吐く兄に、麻衣はおずおずと話を進める。
「今日ね、友達と一緒に喫茶店に行ったの。そこの店員さんがすっごくハンサムで、これから通っちゃいそう……」
「ナンパされたわけじゃないのか?」
疑わしげな眼を向ける兄に、麻衣は首を横に振った。ナンパなどとんでもない。アレはそんな安いものではないのだ。
「ううん。でもね、人懐っこい笑顔で、とっても優しくて爽やかでね、気配りもできるすっごいお兄さんだったの。聞いた話だと料理も上手でスポーツもできて、頭もすっごくいいんだって。本業が私立探偵でね、有名な探偵の弟子みたいなの」
「属性盛り過ぎ」
うっとりとする麻衣に告げられた兄の言葉は端的に過ぎた。話盛るのも大概にしろよ、とでも言いたげな顔だった。それはとても心外である。顔も性格もスペックもすごい眉唾な人間が喫茶店に実在したのは事実なのだ。麻衣はぷくっと頬を膨らませた。
「これ、嘘じゃないからね。本当なんだから。米花町の喫茶ポアロってお店の」
「待って」
麻衣が店名を告げた瞬間、兄の様子が一変した。顔から血の気が引き、疑わし気な表情が凍り付き、麻衣と同じ色をした瞳孔がかっぴらいた。どうしたんだろう、と首を傾げる麻衣に、兄は心なしか震える声で尋ねた。
「ごめんな麻衣。お兄ちゃん、ちょっとよく聞こえなかったな。もう一度喫茶店のことを教えてくれ」
「米花町にある喫茶ポアロだよ」
「バーロー」
今度はよく聞き取れるようにゆっくりと発音してやると、兄が酷い声を上げた。まるで道端で潰れた虫の行列を目撃したかのような、生気の失われた声だった。そこで麻衣はふと閃いた。米花市は東都でも犯罪率がぶっちぎりで高い場所だ。軽い物ではひったくりを始め、重い物では銀行強盗も殺人も爆弾事件もやたらと多いらしく、そして何故か盗聴器やその発見器の売り上げが好調だという。米花市民向けに爆発保険なんてものがあるとの噂もある。口さがのない者は、日本のヨハネスブルグなんて呼ぶ始末である。そんな場所にある町に行ったのだから、兄はものすごく心配になったのかもしれない。ところでバーローとは何だろうか。回鍋肉(ホイコーロー)の亜種だろうか。
「もしかして、治安があまり良くないから心配してくれたの? ありがと、お兄ちゃん」
「うん……犯沢さんとか多そうだしね……」
犯沢さんとは一体誰なのだろうか。兄の友人だろうか。時たま謎めいている兄の交友関係が気になったが、その前に兄が口を開いたので関心はあっさりと消えた。
「ところで、参考までにその店員さんの名前を聞いてもいいか?」
「えっとね、安室さんっていうの。安室透さん。金髪で褐色の肌でね、エキゾチックなハンサムさんなんだよ」
麻衣の脳裏に、安室の甘い笑顔が浮かび上がる。すらりと背が高かったし、細身のようでいて、捲られたシャツから見えた腕は筋肉質だった。兄と同年代に見える童顔は驚くほど整っていたし、青い垂れ目も魅力的だった。おまけに言葉一つ、態度一つ取っても女の子をときめかせる好青年だ。何から何までナルとは全く違うタイプだが、ナルに恋する身でありながら安室は別腹であると乙女センサーが判断を下したのである。あれはいけない。とてもいけない。貢ぎたくなってしまう。
一方、兄の顔がとうとう土気色に染まった。麻衣は兄に何かしらのとどめを刺したらしい。彼は唐突に死んだ顔ながら目を瞠るようなスピードでノートパソコンを引っ張り出すと、とんでもない速さでキーボードを打ち出した。いつもは食事中にそんなことをしないのだが、そんな場合ではないようだ。そして「マジかよ……G●ogle mapにいつの間にか米花市が出現してる……」と呟いて項垂れる。麻衣には兄が何に対してショックを受けているのか分からない。
「あのね、ホストにハマる女の人の気持ちが分かるって言ったけど、安室さんはすっごくいい人なんだよ。今度、お兄ちゃんも一緒に行ってみる?」
気を遣った麻衣がそう提案してみると、兄は「心の準備ができることがあったらいずれ」と、準備できそうにない声色で答えた。
+++
兄「神話生物と幽霊だけでもつらいのに、いつの間にか米花市という魔窟が生まれていた件」
麻衣ちゃんが寝静まった後、兄さんは全力で親友とリドルに電話する。眼鏡の小学生に気を付けろ的な(奴は全部暴いてくる)。
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