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HH兄さんテコ入れできなかった文章
萌え 2014/07/22 22:13


・兄さんの名前は×××
・すっきりしない終わり方
・霊能力がチートな兄さん





 昔から、霊とは縁深い生活を送っていた。幼い頃は、生者とそれ以外の区別がつかず、イマジナリーフレンド(想像上の友人)どころかゴーストフレンドなるものを無意識に作っていた。自分の友人の何人かが生きた人間でないと知ったのは、小学校に上がってからであり、それまではごく普通の人間だと信じ切って霊達と接していた。要するに俺は、生者以外も見えるし聴こえるし触れる。小学校の高学年頃には、除霊もできるし、頑張れば浄霊もできるということにも気付いた。ちなみに、除霊は問答無用で霊を殺すことであり、浄霊は霊を説得して成仏させることだ。俺は基本スペックが凡人の癖に、霊能力に関してだけはチート級の力を持っているのである。……日常生活で使わないであろう能力がチートとは、一体どういうことなのか。

 そのチート級の霊能力は、俺がハンター世界に突っ込まれても変わらなかった。幻影旅団と初めて出会ったときは、彼らが背負っている霊の多さにびびったものである。彼らにくっついている霊に話を聞くことができたお陰で、念能力の実態からプライベートの趣味に至るまで、彼らについて把握できたのだが。俺にとって、幻影旅団のプライベートはないも同然である。こんなことを知られたら何をされるか分からないので、このことは末代までの秘密にする決意を固めている。

 クロロに捕まったせいで首輪を付けられたような生活を送っている俺は、ある日妙なメールに悩まされる羽目になっていた。旅団の強化系コンビと買いに行ったケータイには、差出人不明でこんなメールが届いている。

≪わたし、メリー。今、リンゴーン空港にいるの≫

≪わたし、メリー。今、ヨークシンにいるの≫

 文章は、まさに都市伝説のメリーさんである。本当に都市伝説ならば、このままメッセージの受け取り手に接近し、そして――となる筈だが。

(……これ、霊の類じゃないような気がするんだよなぁ)

 早朝と昼に届いたメールを、ヨークシンのとある喫茶店でコーヒーを啜りながら眺める。確かに、メールの文面は徐々に俺に接近しているのが分かるが、何と言うか、“違う”のだ。ハンター世界の霊たちが、現代日本の霊たちと同じことはこれまでの経験で理解している。そのため、ケータイのメールから霊の気配が全くしないということは、そのメールは霊の仕業ではないということなのだろう。

 念能力の類かもしれないと思い、両目にオーラを集めて凝(ぎょう)をしてからメールを眺めるが、それでも何も分からない。単純にメールの送り主の、オーラを隠す隠(いん)という技術が、俺の凝の技術を上回っているというだけかもしれない。あるいは、適当にアドレスを入力した結果、俺のアドレスに繋がったからいたずらメールを送っているだけかもしれない。もしかすると、異世界なだけに、俺では察知できない霊の仕業なのかもしれない。

(隠の検証は旅団の誰かに頼めば一発なんだろうけど、すぐに対応できる距離にいないだろうし、そもそも協力してくれる気がしない)

 今の俺は単独行動を取っているので(クロロの気が向いたときだけ、指定された場所と時間通りに会えば問題ない)、優秀な念能力者である幻影旅団は傍に居ない。その上、気ままな性質である彼らが、俺の頼みを聞いてくれる可能性は非常に低い。俺の師匠であるハザマさんなら助けてくれたかもしれないが、彼は確かジャポンをうろつくと言っていたので、ヨークシンには居ないだろう。

(適当に入力したアドレスが俺のものになった可能性は低そうだよなぁ。結構複雑だし)

 主に連絡を取り合うのが旅団の面子ということもあり、俺はメールアドレスをわざわざ複雑なものに設定していた。偶然、俺のアドレスと一致する可能性は低いだろう。

(俺の霊力では察知できない霊だとしたら、異様に強いか異様に弱い霊。ケータイに干渉できる力があるってことは、異様に弱い霊説はない……俺、実は結構ヤバくね? こういう死亡フラグは完全に想定外なんだけど)

 最終的にそう思い当たり、俺はざっと顔から血の気を引かせる。うららかな昼下がりの、レトロ感あふれる喫茶店には似合わない表情だった。

 その時、俺の目の前のテーブルに、コトリと小さな音を立てて白い皿が置かれた。皿の上には、こんがりとおいしそうな狐色に焼けた四角いビスケットが数枚乗っている。

「こちら、コーヒーの付け合わせのロータスビスケットです。……大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ?」

 俺よりも少し年下くらいの店員の女性が、心配そうにこちらの顔を覗き込んで来た。店の雰囲気に合ったシックなパンツスーツとエプロンがよく似合っている可愛い人で、俺はここ数日、動機の半分は彼女目当てでこの店に通っていた。

「大丈夫です。すみません、心配をかけて」

 俺は顔を上げると、二つ折りのケータイを閉じて、動機のもう半分であるハード装丁の本を手に取った。この店の穏やかな雰囲気が好きで、俺は古書店で購入した念能力に関する本をここで読んでいるのだ。元々、読書をして過ごすことを想定された店らしく、俺と同じ動機の客は他に何人も見られた。

 俺の顔色が戻ったことを確認すると、ウエイトレスの彼女はにこっと笑ってその場を立ち去る。可愛い笑顔に癒された俺は、世界を越えても可愛いは正義ということを実感しつつ、当初の目的である読書に戻ったのだった。

 その日の夕方、俺は喫茶店から泊っている安宿へまっすぐに戻ると、3階にある自分の部屋に、霊を侵入させないための即席の結界を張った。どんなに強い霊でも、これを破る時は必ず音を立てるので、目を覚ますことができる筈だ。さらに、発(はつ)である≪無垢なる全能(ツリーオブセフィロト)≫の自動防御を使い、しっかりと物理防御も固めた俺は、ひとまず安心した。帰って来る時にはドアも窓も閉まっていたので、何者かの侵入に備えさえすれば不意打ちは避けられるはずだ。そして俺は、部屋に置いておいたペットボトルのお茶を飲み、落ち着いて就寝したのである。

 ――俺が覚えていたのはそこまでだ。





 じゃら。

 じゃら。

 変な音がする。

 金属同士が擦れるような、耳障りな音だ。

 眠い。すごく眠い。泥のように眠ってしまいたい。

 でも、音が気になる。目を覚まして確かめたくなる。

 じゃら。ぎしり。

 ぎしり。

 変な音がする。

 何かが軋むような、耳障りな音だ。

 眠い。でも起きよう。瞼が重い。でも、起きよう。起きなければならない。

 結界が壊れる音はしなかった。自動防御が起動する音もしなかった。でも、分からない音がするから起きないと。

 俺は、ひどく重い瞼をなんとかこじ開けた。





 目の前には、寝る前にも見た天井が広がっていた。まだ夜らしく、光源はカーテンの隙間から細く伸びるネオンの光だけだ。頭と体の感覚がどこかぼんやりとしていて、現実感が遠い。少しすると、俺が何故か両腕を頭上に上げて眠っていたことに気付いた。

(俺、こんな寝相だったっけ……?)

 どちらかといえば、布団からはみ出すよりも布団に潜り込む派だ。こんなに腕がダイナミックに動くのはとても珍しい。そう考えたところで、ぎしりとベッドが軋む音がして、胸が何かに締め付けられた。

「っふ……」

 押し出された肺の中の空気と一緒に、思わず声も漏れる。すると、何かがもぞもぞと動く音がして、突然俺の目の前に人の顔が現れた。

「ひっ」

 怯えた声が出てしまったのは無理もないと思う。現れたのは、長い髪をだらりと垂らした女だった。見開かれた双眸は血走り、俺の顔に穴が開くのではないかと思うほどの眼差しが俺に注がれている。異様なほど蒼白い肌は、三日月形に弧を描く真っ赤な口と対照的で不気味だ。

 確かに俺は霊を見慣れている。だが、寝起きでこんなドッキリをされてびびらないほど強靭な心臓の持ち主でもない。俺は目を逸らして結界の確認をしたい気持ちを抑え、彼女と視線を合わせ続けた。下手に目を逸らすとヤバいという本能が働いたのだ。それに、霊の中で本当に危険なのは、泣いている霊でも怒っている霊でもなく、笑っている霊だということもある。下手な行動は取れなかった。

「起きちゃったのね、いけない人……でもいいわ。わたし、あなたとお話したかったもの」

 どうやら、眠る俺の上に乗って抱きついていたらしい彼女は、俺の頬を両手で包むと、うっとりとした顔になった。驚いた俺が少し身じろぎした拍子に、頭上と足元でじゃらりと音が鳴る。金属同士が擦れる音を聞き、俺は自分の両手両足が枷で戒められ、鎖でベッド柵に繋がれていることに気付いた。なにそれ怖い。

「わたし、あなたが好きなの。愛しているのよ」

(俺みたいなフツメンは選んでも面白くないからやめた方がいいと思いますというかやめてくれ頼むあと鎖外してください)

 内心で半泣きになりながらも、彼女から視線を逸らさないまま話を聞き続ける。彼女は俺に好意を抱いているようだが、方向性が明らかにヤンデレなので心底遠慮したい。ヤンデレで萌えられるのは二次元までだ。

「わたしね、天空闘技場であなたと出会ったの」

(俺は対戦相手と出会った覚えしかないんだけど。ついでにクロロとか)

「勇ましく戦うあなたは、誰よりも素敵だったわ。闘士の中では、あなたが一番格好良かったと思う」

(それは天空闘技場の顔面偏差値が低かったってだけじゃないですかやだー)

 俺を美形扱いするのは大変結構だが、俺がフツメンであるのは公然の事実である。むさ苦しい集団の中では、俺のようなフツメンでも輝いて見えたのかもしれない。俺が天空闘技場で活動している期間に、イケメンと名高いカストロがまだ200階闘士でなかったのも原因だろうか。

 俺が困惑した顔をしていたからか、彼女は突然声を荒げた。

「あなたは観客席に居るわたしに向かって、何度も笑いかけてくれたじゃない! わたし、すごく嬉しかったわ!」

(わ、笑いかけていません! 存在を認識してすらいませんでした! この人、チョロインってレベルじゃねーぞ!?)

 彼女が俺に歪んだ好意を向ける理由は、最早通り魔レベルである。俺には全く理解できない領域だ。だが、だからといって素直にドン引きしていたら、怒れる彼女によって俺の今後が危ういのも確かである。俺は恐れる心を無理矢理捩じ伏せ、申し訳なさそうな顔と声を作った。頑張れ俺の演技力。今の俺ならオスカーも狙えると信じている。

「ご、ごめん。俺、今まで君と、ちゃんと話したことがなくて。その、君のことをあまり知らないんだ」

 あまりどころか、全然知らない。しかし、建前というものは生き抜く上で重要になることだってある。ついでに、彼女に思わせぶりな態度を取った方が、この場は安全だろうか。

(そうだ、この人を恋人と思え俺。頑張れ、俺ならできる)

 俺は目の前の彼女に好意を抱いた顔を作るべく、可愛いと思える女の子を思い浮かべた。喫茶店の店員の彼女、あの子は癒される。幻影旅団のマチ。逞しいけど、クーデレっぽくて結構可愛い。それからシズク。童顔に巨乳の組み合わせは最早犯罪的である。素晴らしい。性格は不思議ちゃんだが。おっぱいならばパクノダも素敵である。実にけしからんもっとやれ。最終的におっぱいに落ち付いたおっぱい神たる俺は、そこまで考えると目の前の彼女に意識を戻した。

(ダメだやっぱり怖すぎる)

 自分の置かれている状況があまりにも怖すぎて、おっぱいまで目を向ける余裕がない。というか、おっぱいを見たところでときめけるとは思えない。さすがに“おっぱい<自分の命”だったようだ。体に力が入らず、力尽くで鎖を壊せないのも一因だろう。先ほどから試みているにも関わらず、何故か除霊も上手くいかないのも精神的に辛い。視線に“力”を込めるだけでも、ある程度の霊は除霊出来てしまう筈なのだが、彼女は反応すらしない。しっかりしろよ、俺のチート。

 しかし黙っているわけにもいかず、俺はおずおずと口を開いた。

「良かったら、君のことを教えてくれない、かな……?」

 すると彼女は、どんよりと淀んだ青い目を潤ませた。

「ええ、ええ! もちろんよ!」

 恍惚とした表情で俺を見下ろす彼女の頬は、血の気が戻ったのかうっすらと赤く染まっている。拘束された男の上に馬乗りの女というシチュエーションだと、この先はR18な展開が待っているのだろうか。そんな甘っちょろいことを考えている俺に対し、彼女はやはり不気味な顔のまま嬉しそうに言った。

「わたしと二人きりになれる場所に行きましょう! そのための準備はちゃーんとしてきたんだから」

 そう言うと、彼女は俺の死角から折り畳み式のノコギリを取り出した。……ノコギリを取り出した。

(R18−Gの方かよおおおおおお!?)

 さすがに泣いた。もう無理だった。拘束は外せない、除霊もできない、話も通じない、の3拍子が揃っているのだ。これで物騒な物を目の前に持ち出されたら、泣いてしまっても仕方がないと主張したい。男だって、泣く時は泣く。

「切った手足もちゃんと保存しておくわ。捨てるなんてもったいないもの。あ、ノコギリで切られるのは嫌? 他にも斧とか持ってきたから、好きな物を選んでね」

(もうやだ! 発狂してる人マジで怖い!)

 何が悲しくて、自分の両手足を切断する武器を選ばなくてはならないのか。恐怖のあまり、先程からぼろぼろとこぼれる涙が止まらない。すると、彼女の舌がべろりと俺の目尻を舐め上げた。頬に触れる冷たい手とは対照的に、肌を滑る舌はひどく熱かった。

「わたしが一生、×××さんのお世話をしてあげるから、安心して。最初からそのつもりでここに来たんだもの」

(最初から四肢欠損の達磨ルートが確定していた、だと……)

「ほら、切る時に痛くないように、お薬もいっぱい用意してきたの。さっきの量じゃ足りなかったみたいだから、もっとたくさん飲んでね」

 彼女の右手には睡眠薬か麻酔薬と思しき瓶。左手にはノコギリ。抵抗できない俺。……これはさすがに詰みだろうか。

「さあ、飲んで。眠くなるだけよ。目が覚めたら全部終わって二人きりになっているわ」

(いやだ。やめろ)

 女はにぃぃっと裂けそうなほど唇で弧を描くと、薬瓶から白い錠剤を自分の手の平に落とした。それを俺の口元に押し付けようとするので、俺は必死に首を逸らして逃れる。すると、彼女の形相がさらに醜く歪んだ。

「わたしの言うことを聞きなさいよ!」

 刹那、空気が爆ぜる音が響いた。恐る恐るそちらを見ると、女が左手で逆手に握り締めたノコギリを、俺の右腕に突き立てていた。自動防御が働かなくても切断はされなかっただろうが、働かなければ間違いなくズタズタな裂傷が出来ていただろう。彼女は、俺が無傷であることに気付くと、ムキになったのか何度もノコギリを俺の腕に振り下ろした。

 一撃。二撃。三撃。自動防御が破られていく。

「やめてくれ」

 四撃。俺を護る盾は消え失せた。

「どうして傷付かないの。どうしてなの。どいつもこいつも、どうしてわたしの邪魔をするの!?」

 女が薬瓶を放り出し、両手でノコギリを握り締めた。振り下ろす先は俺の右腕。もう自動防御はない。女は、振り下ろした。

「うっ……!」

 ぎりぎりで堅(けん)が間に合い、オーラの鎧が俺を護る。だがシャツは無残に切り裂かれた。女が嬉しそうに笑い、またノコギリを振り上げる。俺の堅はいつまでも維持できない。維持できなくなったら、本当に切断されてしまう。

「わたしと、二人っきりになりましょう?」

「いやだ」

「愛しているわ」

 弱々しい俺の主張など耳にも入らないらしい。彼女は今までで一番、大きく振りかぶった。そして。

「げぼ」

 唐突に、妙な声を上げた。彼女の蒼白い首に、銀色に鈍く光る何かが刺さっている。深々と肉に埋め込まれたそれは――鍵だ。彼女は口から血の泡を吐き出すと、鍵に押し込まれるかのように横に向かって倒れた。ベッドから転がり落ちて姿が見えなくなると、一気に俺の全身から冷や汗が滲み出し、激しい動悸を思い出して息が切れる。

(たす、かった……?)

「何やってんの、×××。そんなおっかなーい彼女を連れ込んでさ」

 不意に、部屋の入り口から聞き慣れた声が聞こえた。俺がどうにか首を動かしてそちらを見ると、いつの間にか開かれていた部屋のドアの前で、金髪の青年がへらりと軽い笑顔を浮かべて立っているのが確認できた。この部屋の鍵は、俺が持っている物以外は受付にあるマスターキーのみらしいので、鍵は受付で盗んだのだろう。そうして入手したこの部屋の鍵でドアを堂々と開け、さらにその鍵を女に投げ付けて殺したに違いない。

「もー。ダメじゃん、×××。こういう面倒な奴はさっさと殺っちゃわないと」

「なんで、ここに……?」

「その女、一ヶ月くらい前から×××の周りをうろついてたんだよね」

 金髪の男――シャルナークは、ドアを後ろ手に閉じながらこちらに歩み寄って来た。たった今、人を殺したとは思えない平然とした態度だ。

「×××は全然気付かないし、あんまり嗅ぎ回られて蜘蛛の邪魔されちゃ面倒だから、オレが様子を見に来たんだよ。感謝してよね」

 そもそも、どうして俺が女にストーカーされているのか知ったのかとか、そういうことは気にしない方が良いのだろう。彼らの情報網の素晴らしさは、俺の推測の範疇を越えている。

 シャルナークは俺の傍らまでやってくると、こちらを見下ろしてけらけらと笑った。

「うっわー、随分と熱烈に愛されちゃってるねぇ。フェイタンと趣味が合いそう。記念写真撮ってフェイタンに送ろうかな」

「やめてくれ切実に」

 彼はこちらを面白がるばかりで、床に転がる女を処理しようとも、俺の拘束を解こうともしない。死体はともかく、拘束くらいは自分でどうにかしろということなのだろう。俺は、少しずつ戻って来た体の感覚に安堵しながら、両腕に力を込めてみた。……鎖は千切れなかったが、代わりにベッド柵が引っこ抜けた。弁償の事を考えて頭が痛くなったが、そもそも部屋に死体が転がっている時点で、そんなことを悠長に交渉している場合ではない。恐らく、口止め料を含んだ金を部屋に残して、さっさととんずらすることになるのだろう。こんな物騒なやり取りがすぐに浮かんでしまう生活を送る自分が悲しい。

 俺がどうにか上体を起こすと、シャルナークは思い出した顔をして言った。

「あ、そうそう。そういえばさ、×××が捕まる前に、行きつけの喫茶店の女の子がその女に殺されていたよ」

「…………は?」

「大方、×××と話したことに嫉妬でもしたんじゃないかな。可哀想に」

 可哀想だなんて全く思っていない顔でそう言う。床に散乱している武器をよく見てみると、斧の方には俺ではない血と肉片が付いていた。恐らく、それが喫茶店に居たあの可愛い女の子なのだろう。それを理解した瞬間、ようやく部屋を侵食しつつある嗅いだ覚えのある饐えた臭いの存在に気付き、吐き気が込み上げてきた。だが吐き気を堪えることにも慣れてきているので、俺はその衝動を何とか噛み砕いて嚥下する。

「×××を助けたのはさ、クロロが“×××の腕か首が持って行かれそうになったら助けてやれ”って言ったからなんだよ。後で電話でもしておいた方がいいかも」

 シャルナークはそんなことを言っているが、つまりそれは、足くらいならなくなってもまあいいかということだろうか。確かに、俺の念能力は両腕があれば使えるので、腕と首が繋がっていればどうにかなるのかもしれないが。……女が俺の足ではなく、腕から先に攻撃し出したのは幸運だったのかもしれない。

「それにしても、すごいよね」

 唐突にそう言うと、シャルナークは床に転がっている斧を無造作に蹴飛ばした。

「この女、念能力も使えない生身の人間なんだよ。それなのに“こういうこと”を仕出かすなんてさ」

(生身の、人間? 生きている人間ってこと、だよな……?)

 彼の言葉に、俺はようやく彼女が霊ではなく、生きた人間だということに思い当たった。除霊や結界に効果がないのは当たり前である。だが、何かが引っ掛かる。シャルナークは何に感心しているのか?

「愛って、すごいよねぇ」

 シャルナークはからからと笑った。血の海に伏せった女を面白そうに見下ろしながら。

 その時、ふと女のある言葉が俺の脳裏に蘇った。

『さっきの量じゃ足りなかったみたいだから』

『どいつもこいつも、どうしてわたしの邪魔をするの!?』

 ――全てを理解した瞬間、ぞわっと背筋が怖気だった。





 この世界に来て、強く感じたことがある。それは、“生きている人間は、霊よりも怖いことがある”ということだ。



***



※どうして最後に兄さんがぞわっとしたのか。
・シャルナークが来るまで、物理的にも霊的にも外から部屋が破られた気配はない。
・女は兄さんを拘束する前に一度は睡眠薬を盛っている。
・兄さんは喫茶店からまっすぐに部屋に戻っている。
・兄さんを拘束する前に喫茶店の女の子が女に殺されている。
・兄さんの部屋は3階で、外出中に窓・ドアは施錠されている。
・マスターキーはシャルナークが使っており、女は使っていない。
・女は念能力者ではない。

 喫茶店の女の子を殺した後、超速で兄さんの部屋に先回りして、飲み物に睡眠薬を仕込んでからベッド下にずーっと隠れていたということになるから。念能力者でもないのにそんなこと(超速で先回り)ができちゃうの? とか、ベッド下に潜んでいることに気付かないで普通に過ごしていたの? とか、どうやって部屋に入ったの? という辺りでぞわっ。



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