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ゾル兄さんinゼロ魔その5
萌え 2014/05/18 21:43


 ひたり。固い床を、裸足でそっと歩く音がする。夜半頃、俺は浅い眠りから浮上し、目を閉じたまま周囲の様子を窺った。外気の流れを感じないので、窓や床が開いていることはないだろう。少なくとも、それらが外側から開けられるようなことがあれば、すぐさま気付いて行動している。部屋の中の気配は俺を含めて2人。ベッドの上にあるはずの気配がそこから離れ、ゆっくりと俺の方へ寄ってきているのが分かる。十中八九、動く気配の主はルイズだろう。彼女の行動の理由は、大体推測ができた。

(……懲りないというか、逞しいというか)

 そうこうしているうちに、ルイズが俺のすぐ傍でしゃがみ込んだ。藁がさくさくと音を立て、俺の体が斜めに沈み込む。どうやら、至近距離で俺の顔を覗き込んでいるようだ。俺の鼻先を、彼女の甘酸っぱい香りがふわりと撫でた。ルイズは俺が寝ていると思っているから平気だろうが、そうではない俺にとっては、じろじろと観察されると居心地が悪い。早く諦めるなりなんなりしてくれと思いながら待っていると、今度はつんつんと指先で俺の頬をつつき始めた。俺が本当に寝ているのか確かめているのだろう。実際は狸寝入りだが。頬をしばらくつついて満足したかと思っていると、ルイズはさらに俺の前髪をちょいちょいと引っ張り始めた。痛くならない力加減なのだが、さすがにそろそろ鬱陶しい。もう目を開けても良いだろうか。

 その時、俺の顔にかすかな風が触れた。俺の目の前で、何かを振ったような感覚だ。そして、ルイズがぼそぼそと呟く。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

「長い名前だな」

「ひゃっ!?」

 予想通りの展開だったので、俺はようやく目を開けた。すると、寝ていると思った相手に返事をされたせいで、ルイズがぎょっとして飛び上がった。淡い桃色がかったネグリジェを着たルイズは、右手に杖を構えたまま、床に尻もちをついてぱくぱくと口を開閉させる。まるで陸に打ち上げられた魚のようで、いささか間抜けに見える。俺が上半身を起こして、さすがに呆れた目でルイズを見下ろすと、ルイズは羞恥と怒りで顔を真っ赤に染め、床に座り込んだまま俺を怒鳴り付けた。……もう深夜なのだが、近くの住人に迷惑ではないのだろうか。

「いきなり何なのよ!」

「そう言う君は、寝ている俺に何をしようとしたんだ?」

 俺がそう言い返すと、彼女はバツが悪そうに黙り込んだ。さすがに、後ろめたいことをしている自覚はあったらしい。俺はゆっくりと立ち上がると、体についた藁を落としながらルイズを横目で見た。

「大人しく寝ないと、寝坊するぞ」

 すると、ルイズはつんと俺から顔を逸らし、澄ました表情をする。泣いたせいで目元が赤くなければ、完璧な生意気お嬢様だった。

「わたしは真面目な学生なのよ。寝坊なんて一度もしたことないわ」

「それは立派だな」

 そう生返事をすると、俺は有無を言わせずルイズを抱き上げた。ここでまた問答をしていても、睡眠時間が無駄に減るだけだ。抱き上げるついでに、彼女からさり気なく杖を奪っておく。当然、朝まで勝手に預からせてもらうつもりである。横抱きにされた彼女は目を白黒させると、すぐに足をばたつかせて暴れようとしたが、俺がさっさとベッドに降ろすと大人しくなった。俺の真意を測ろうとしているのか、眉根を寄せてじぃっとこちらを見上げるルイズに、からかうように目を眇めてみせる。

「子どもは寝ないと身長が伸びないぞ」

「ば、馬鹿にしないで!」

 案の定、ルイズはあっさりと挑発に乗った。そのまま杖のことを忘れて、さっさと寝てくれるとベストである。だが、その後のセリフには、思わず俺も仰天した。

「16歳のレディを捕まえておいて、子ども扱いするなんて失礼ね!」

「はぁ!?」

 薄い胸を張る少女は、どう見ても16歳には見えなかった。小柄であることと、主に胸が大平原であることと、童顔であることが原因だろう。俺の分かりやすい反応を見たルイズは、半眼になって俺を睨みつけた。

「……ちょっと、あんた。わたしを何歳だと思っていたのよ」

「……12歳くらいかな、と」

 ベッドの上に座り込んだルイズが、無言で右手を振りかぶる。俺も、今度ばかりは大人しく平手打ちを受けることにした。一瞬後、肌が肌を叩く軽い音が鳴る。頑丈すぎる俺の顔(面の皮が厚いわけではない、多分)を叩いてルイズの柔い手を傷めないように、上手く受けつつ流すように気を遣ったため、痛みは感じない。気の遣いどころがおかしいかもしれないが、一般人の基準から見てもか弱そうで、おまけに叩き方も下手なルイズが、生身でも異様に丈夫な俺を叩くと、どう考えても手が壊れるのだ。俺が無傷でルイズが打撲や捻挫に苦しんでいたら、さすがに申し訳ない。当然、そんなことなど知る由もないルイズは、平手打ちできて多少溜飲を下げたのか、もぞもぞと布団に入り出した。

「ともかく、もう寝ろよ」

「わたしがいつ寝ようが、わたしの自由でしょう」

 そう言いながらも、やはり眠いのだろう。大人しく布団の中に収まった。俺を平手打ちしたことで、溜飲が下がったのかもしれない。俺もほっとして踵を返しかけた。だがルイズは、目を閉じる前になって、がばりと上半身を起こして俺の後ろ髪を掴んだ。

「わたしの杖!」

 ぐいぐいと遠慮なく引っ張られ、さすがに振り向いた俺は、正直にルイズに告げた。

「朝まで俺が預かる」

「勝手に触らないで!」

「俺に勝手なことをされたら困る」

 返す返さないで問答が始まり、5分もすれば俺の髪はぐしゃぐしゃにされてしまった。何だかんだで、頭皮が痛むほど引っ張られなかったのは幸いだろうか。俺はルイズの手をなんとか自分の髪から引っぺがすと、髪紐を解きながら彼女を見た。ルイズは、最終的にベッドの脇に膝立ちになった俺の頭に片手を乗せ、疑わしげに俺を睨む。

「あんたが杖を持ったまま、どこかに消えない保証なんてないじゃない」

 そう言って、ぐしゃりと俺の前髪を握る。いい加減、ぐちゃぐちゃになるからやめて欲しいのだが。俺は後ろ髪を手で梳きながら、深いため息をついた。

「明日の朝もちゃんとここに居る」

 そう言いながら、俺は左手首から腕時計を外し、ルイズに手渡した。俺の手持ちで、一目で価値がありそうな物がそれしかなかったのだ。ルイズは、文字盤の上を動く針を興味深そうに見つめた。

「何これ。すごい……」

「家族から貰った大事な物だ。一晩だけ杖と交換しよう。朝になったら杖を返すから、それを返してくれ」

 俺とルイズは、しばしじーっと見つめ合う。やがてルイズは俺の前髪から手を外すと、見よう見真似で自分の左手首に腕時計を嵌めようとした。だが、なかなか上手くできないので、俺が金具を留めてやる。俺の手首に合わせたサイズなので、ルイズではぶかぶかだが、彼女は満足したらしい。その様子を見た俺はほっとして、手櫛で前髪を直しつつ立ち上がろうとしたが、再び後ろ髪を掴まれた。結んでいないため、体の前に髪が流れてしまったせいだった。

「……明日の朝、ちゃんとわたしを起こしなさいよ」

 そう言うと、ルイズは俺の髪を掴んだまま布団に入ってしまった。強制的にベッドの傍に張り付けになり、俺は顔を引き攣らせる。彼女が俺の髪を掴んでいる限り、俺は床で横になることすらできないのだが。

(つーか、俺の髪は手綱じゃないんだけど。……抜けたらどうしよう)

 額が広すぎるコルベールを何となく思い出し、ぶるりと内心で身震いした俺は、ルイズの寝相が悪くないことを祈った。20代でハゲにはなりたくない。ルイズが俺の髪に致命的なダメージを与える前に、さっさとこの手に取り戻さなければと俺は決意した。





 壁一枚挟んだ向こう側で、人が動く気配がした。背中に朝日を浴びた俺は、ゆるゆると目を開ける。俺の上半身は、柔らかくて滑らかな肌触りのものに埋まっていた。どうやら、ルイズのベッドに突っ伏す形で眠ってしまったらしい。変な体勢で寝ていたせいで、背中が少し固まっている。解さないといけないと考えた俺は、そんなことよりも重要な事に気付いた。

(嘘だろ!?)

 気付いた瞬間、あまりの驚愕にがばっと上半身を起こした。その拍子に、俺の髪を掴んでいたルイズの手がベッドに落ちる。それでも起きなかった彼女にほっとしながら、俺は混乱しそうになる思考を整理した。

 昨夜の俺に、眠った時の記憶がないのだ。ルイズが布団に入った後、俺は彼女が寝るのを待ち、彼女から髪の毛を取り戻すつもりだったのだ。それから藁の上で眠れば良いと考えていた筈なのだが、今朝の寝起きの体勢から思うに、いつの間にか彼女のベッドに突っ伏していたということになる。

(絶対におかしい。大して疲れてもいないのに、他人の目の前で“ゾルディックの俺”が寝落ちするなんてあり得ない)

 俺が心から安心して眠れる場所は、ククルーマウンテンの森林に隠された自宅だけだ。それ以外の場所では、いかなる場合でもある程度気を張り、ちょっとしたことでもすぐに起きて行動できるほどの浅い眠りだ(もちろん、自宅でも何か異常事態があればすぐに起きられるが)。ましてやここは後ろ盾が全くない異世界。本来ならば、本気で寝落ちできるほど油断できる筈がない。

(俺はルイズにそれほど気を許していない。隙を見せたら勝手に使い魔契約しようとする子なんだ、油断できるわけがない。だから、この子の前で気が緩むとは考えにくい)

 自分の腰を確認すると、ベルトに挟んでおいたルイズの杖は、昨夜と同じ場所にあった。動かされた気配はないので、俺が寝ている間に使い魔契約を結ばされてはいないだろう。なんなら、自分の体にルーンとやらが刻まれていないか確認すればいい。そしてそれ以前に、この至近距離にルイズがいるのならば、たとえ俺が寝落ちしていても、不穏な何かがあればすぐに起きられる。……寝落ちが納得できないが。

(まさか、あの鏡の水をくぐった時点で、俺に何らかの精神操作が施されている? あるいは、コルベールが俺に施した術がそういう類のものだったのか?)

 確かに俺は、ルイズに対して殺意はおろか、攻撃する気が湧かない(そもそも俺は、暗殺の仕事以外で本気の殺意を持つことがない)。同時に、油断できるとも思っていない。それは、普段の俺の思考から見ても普通のことだ。何の違和感もない。これでは俺の精神に異常があるのか、判断することができない。

(コルベールを探るか? あるいはいっそ殺す? いや、仕事でもないのに殺しはしたくない。日常生活の選択肢に殺人なんて入れてたまるか。殺すのはあくまでも最終手段だ。念能力のように、死んでから強固な効果を発揮する魔法が存在する可能性もある。……ん?)

 ここで俺は違和感に気付いた。俺は確かに、殺人に対する忌避感を持っている。だが、コルベールに対しては、生存のためにどうしても必要ならば殺せるとも思っている。恐らく、コルベール以外の相手に対してもそうだろう。現代日本に居た頃では考えられないようなシビアな思考は、ゾルディック家に生まれてから培われたものである。この考え方にも違和感はない。だが一人だけ例外が居た。それでもなお、命がかかっていても殺害の決意が揺らいでしまう可能性があるのは、ルイズだけだ。俺はルイズに対してだけは、ゾルディックの思考回路で考えようとしても、異様なほど殺意を持てない。俺が迷いを抱いてしまうのは、ルイズに対してだけなのだ。

(彼女が子どもだから? 俺を召喚したことに罪はないから? 彼女に絆されたから?)

 殺害への回避的思考は、単純に彼女に好意的になりやすいというよりも、心の底で、ルイズに対してだけは最後のストッパーが力強く利いているような感覚だ。そもそも彼女に対して害意を抱いていないのではっきりと言えないが、俺がルイズに対して殺意を抱こうとすれば、かなりの心理的反発が起こり、二律背反に陥る可能性がある。

(コルベールがそういう精神操作を行ったと考えていいのか? でも、そうだとすると、どうして対象者がルイズだけなんだ? 安全を確保するなら普通、周りの人間全員を含める筈だろう? 対象者が一人しか選択できないのか? いや、元々被召喚者が召喚者に敵意を抱かないようにする魔法だとしたら、ひょっとして、召喚の儀式とやらの監督者が、どの召喚獣にもかけている魔法なのか? ……召喚の儀式に絡めて、その辺りをすっとぼけて生徒に聞けば分かりそうだな)

 一通り考えをまとめると、俺は頭を振って立ち上がった。

(……とにかく、目的意識をはっきりさせて行動すれば問題ないはずだ。第一は身の安全、第二に帰還方法。俺が他者と、使い魔を初めとした何らかの契約を結ぶときは、必ずこれらの目的を達成させるためか、目的達成の邪魔にはならないものでなければならない。ルイズに対する一時的な感情に流されることだけはあってはならない。俺はルイズのために命を賭けられないんだ。ルイズを理由にしなければ、いつも通りの行動ができる筈だ)

 俺にはもう、ハンター世界に大切な家族ができている。教師として働ける職場を持っている。25年間生きてきた居場所を捨てる真似なんてできるわけがない。俺はもう、居場所を失いたくないのだ。大切なものをこれ以上、理不尽に奪われたくないのだ。だからこの異世界からは、何としてでも抜け出さなければならない。

 それでも、もし。

(……召喚者を殺して元の世界に戻れるとしたら、俺はどうするんだろう)

 果たして俺はルイズを殺せるのだろうか。ただ偶然、俺を呼び出してしまっただけの少女を、理不尽に殺せるのだろうか。

 俺はじっとルイズのあどけない寝顔を見下ろした。どんなに見つめても、ナイフの柄に指を滑らせても、やはり俺は彼女に対して一欠けらの殺意も抱けなかった。この気持ちは誰かに操作されたものではなく、殺人を好まないはずの自分自身のものだと信じたい。

「……よし」

 俺は後ろ髪を髪紐で結ぶと、自分の両頬を軽く手で叩いた。俺の気持ちを誰かに悟られると面倒だ。当然、隠し通さなければならない。気を取り直した俺は、早速ルイズを起こしにかかった。



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