兄さんの家にボカロが来た件その2
萌え 2014/04/06 15:20
とりあえずKAITOをほったらかし(一種の現実逃避である)、クッションに頭を乗せ、ゴロゴロしながら買って来たジャンプを読み耽る。読み耽ろうとする。しかし、視界の端にちらちらと映る白いロングジャケットが気になって仕方がない。彼は相変わらず俺の隣で正座し、漫画を読む俺をじーっと観察しているのだ。彼の精神構造やら精神年齢がいかほどのものかは知らないが、似たような年齢の男に見つめられ続けるのは非常に不気味である。結局、ジャンプに集中しきれなかった俺が、雑誌からちらりと視線を上げると、すぐに気付いたKAITOがそわそわとし出した。おいやめろ。男がデート前の思春期少女のようにそわそわするな。
(窓を開けて放り出してもいいかな)
そもそも、俺が妙に異世界慣れしてしまったせいか、さらっとKAITOの同居を受け入れつつあるのがおかしいのだ。だが、ここで欲望のままに彼を窓から放り出したら、恐らく窓の前で大泣きするだろう。そんなはずはないと言いたいが、彼に愛玩動物の耳としっぽを幻視してしまった俺にとって、それは十分にあり得る最悪の結果であった。間違いなく近所迷惑な上に、ご近所さんから白い目で見られる。もちろん、俺が。KAITOが白眼視されようとどうでもいいのだが、関係者と看做されて俺まで被害をこうむるのは困る。
そんなえげつないことを考えていると、不意に俺の携帯が鳴った。どうやらメールが来たらしい。差出人は親友で、暇だからとカラオケに誘うものだった。気分転換をするには良い機会だ。俺はすぐに了解と返信して立ち上がった。俺が身支度を始めると(さすがに近所のコンビニに行く時の服装では行く気がしない)、KAITOが不思議そうに首を傾げる。
「マスター、またどこかに行くんですか?」
「友達とカラオケ」
そう答えると、KAITOの顔が急に輝き出した。
「俺もカラオケに行きたいです!」
「却下」
「えええええ!? どうしてですか!?」
すぐさま却下する俺に絶望するKAITOを見ながら、俺はそういえば彼がVOC@LOIDであることを思い出した。歌いたがるのは当然だろう。黙っていればよかったと後悔するも、時既に遅し。とりあえず俺は、彼を連れ歩きたくない原因のひとつを挙げた。
「いや、真夏のクソ暑い中、暑苦しい格好をしたコスプレーヤーを連れ歩きたくない」
「俺、コスプレしていませんよー!」
「それは知ってる」
KAITOの格好は、ブーツを脱いでいる以外はKAITO V3のものと同じだ。つまり長袖長ズボン。真夏に外を出歩くには非常に暑苦しい。そんな格好で外をうろうろする不審者と一緒に居たくない。
「今までは時々、外に連れて行ってくれたのに」
「過去の俺は旅に出た」
この世界の俺は、彼を連れて出歩くことにあまり抵抗はなかったのかもしれないが、俺にはある。俺の意思が固いと知ると、KAITOは思い付いたと言わんばかりに手をぽんと打った。
「じゃあ、マスターみたいな服に着替えればいいんですか?」
「平たく言えばな」
彼は簡単にそう言うが、俺よりもでかい図体をしたKAITOに、俺の服が着られるとは思えない。そう考えていると、KAITOは予想外のことを口にした。
「じゃあ、モジュールをダウンロードしてください。マスターが選んでくれたモジュールに変更します」
「……は?」
彼の言う“モジュール”とは、ボカロが主役となる音楽ゲーム“Project DIVA”シリーズに登場する着せ替え衣装のことだろう。それはゲームステージをクリアすることで手に入るDIAVポイントを使い、ゲーム内のショップで購入することができる。それをキャラにセットすれば、髪や肌の色、服装を変えられるというものだ。
しかし、それはあくまでゲーム内の話であって、KAITOという音声合成ソフトには当てはまらない筈である。俺が理解しきれずに眉根を寄せると、KAITOは何を勘違いしたのか、しょんぼりとした顔になった。
「だってマスター、今まで俺のモジュールをダウンロードしようとすらしてくれなかったじゃないですか」
(さすがこの世界の俺。納得の放置)
恐らくネットで手に入れられるであろう衣装を、俺は今まで何一つダウンロードしてこなかったらしい。それだけ手間がかかるのか、あるいは単純に面倒臭かったのか。高確率で後者だろう。
ともかく、KAITOを萎れさせたまま放置するのも気が引けたので、俺は彼の指示に従って、ローテーブルに乗っていたノートパソコンを起動させた。ネットに繋いで公式ホームページを開くと、俺が知っている内容とは違い、モジュールのダウンロードコーナーがあった。そこには、無料のモジュールが数点載せられている。中には、ゲームに使用された原曲にまつわる衣装(PVでキャラが着ていた衣装や、絵師がデザインしたもの)が載せられていたが、そちらは有料だった。
「ダウンロードしたファイルを、ここにある俺のシステムのこのフォルダ内に入れたら完了です」
KAITOがそう言うと、勝手にパソコンの画面内で光の線が描かれ、彼が指定するフォルダが表示された。……いつの間に、俺のパソコンにKAITOがダウンロードされていたのか。ひょっとすると、このシステムがKAITOの本体なのだろうか。俺のパソコン内に収められたデータ達が、全てKAITOに知られている可能性に気付いて居た堪れなくなったが、俺は何も言わずにKAITOに頷いた。
続いて俺は、公式ホームページ以外にもモジュールがないか検索してみた。するとあっさりと、ネット上の有志が作成したと思われるモジュール倉庫を見付けた。イメージとしては、ニコニコ動画で栄えているMMDの倉庫だろうか。俺はずらりと並ぶボカロキャラ名リストからKAITOの名前をクリックした。何故俺の隣に居るのがミクではなかったのか、と3回ほど考えた。嫌いなわけではないが、何故男キャラ。
「あれ? お前、ひょっとして髪の色も変えられるのか?」
「もちろんです」
「へー……あ、このシリーズはみんな黒髪っぽいな」
ずらっと並ぶサンプル画像の一部が俺の目に留まった。それは、黒髪のKAITOだった。片目が前髪や包帯、眼帯で隠されているものが大半だが、そこに目をつぶれば、青髪よりも遥かに普通である。自分のことだから知っているのか、あるいはネット上のことなら知っているのか、KAITOはすらすらと説明した。
「それは帯人(たいと)ですね。ネット上で俺の派生キャラとして生まれたんです」
「弱音ハクみたいなものか。ふーん、地味な黒髪はポイント高い」
「このシリーズにしますか?」
「そうしようかな」
ふむと俺が頷くと、KAITOはにこにこと笑いながらさらに説明を続けた。
「じゃあ、一緒にAIもダウンロードするといいですよ! ……ここにあるものは、ほとんどが最初から付属しているみたいですね」
「AI?」
まるで某通販番組の社長のようにガンガン勧めてくるKAITOは、今までよほどモジュールのおねだりを却下されて来たのだろうか。それとも、それすらなくスルー状態だったのか。どちらもありえそうである。
「はい。モジュールと一緒にセットすると、性格も“帯人”に近づきます」
彼の話振りを聞いていると、KAITOの性格は、俺との生活で構成された部分が垣間見える。先程公式ホームページで一読した商品説明には、ボカロの性格は、購入時のベースは同じだが、マスターとの生活で徐々に変化するのだという。つまり、今、俺の目の前に居るKAITOは、異世界の俺との生活の積み重ねで創られた人格なのだ。AIとは、その人格のベースを変更するか、もしくは人格が創られる方向を誘導するものかもしれない。
結局はプログラムなのかもしれないが、KAITOの見た目が人間である以上、頭の中をいじくるAIのダウンロードは気が引ける。AIのダウンロードはしないと決めた俺は、帯人のAIの内容だけを聞くことにした。
「後学のために聞くけど、帯人の性格ってのは?」
「ヤンデレです!」
「このシリーズは一生選ばない」
どうやら、やめておいて正解のようである。
「マスターはヤンデレが嫌いなんですか?」
「たまに遠くから眺めるのはいいけど、関わるのは嫌だ」
リアルでヤンデレに絡まれたら碌な事にならないのは、ワールドスタンダードだと思われる。俺は画面をスクロールし、黒髪の一群を視界から消した。
熱狂的なKAITOファンがいるのか、有志が作成した彼のモジュールは結構多い。選ぶのも飽きた俺は、俺の背後で正座してそわそわしている彼に話しかけた。
「どれがいい? ただし、AIの付属がないやつで」
「マスターが選んでくれたものがいいです!」
間髪入れずに返されたのは、忠犬を彷彿とさせる答えだった。だから尻尾を振るな。期待に満ちた目でこっちを見るな。
「いや、俺じゃなくてお前の好みを聞いているんだけど」
「俺の好みですか?」
「この際、髪の色はどうでもいい。余程奇抜な格好でなければ許すから、好きな奴を選べ」
KAITOは首を傾げる。自分の好みが分からないのだろうか。だが彼は、難しい顔をして画面を見つめ始めた。マウスもキーボードもなしでパソコンを操作されると、本格的に俺のお宝データ達が彼の目に晒されているという羞恥プレイを想像しかねないが、必死に意識を逸らす。今度暇を見つけて、お宝データフォルダには鍵を掛けておこうと固く誓った。
やがてKAITOは、俺の様なフツメンには着用する気も湧かないような、お洒落なモジュールを選び出した。なんとなく既視感があったが、デザインは夏でも問題ないものだったので、大人しくダウンロードする。ダウンロードしたファイルを指定されたフォルダに入れると、KAITOは大はしゃぎで俺に礼を言って来た。どれだけモジュールが欲しかったんだ。
KAITOがその場で立ち上がると、再び彼の服に電子回路の様な模様が浮かび上がった。そしてそれが分解されたかと思うと、入れ替わりで電子回路が浮かんだ新しい服を身に纏っており、それは模様がすーっと消えると同時に現実味のある衣服として現れた。某美少女戦士の様なセクシー変身じゃなくて本当に良かった。男の全裸とか見たくない。
先程までとはうって変わって涼しげな服装になったKAITOは、七五三の子どものように、俺に服を見せびらかした。
「似合いますか?」
お前は女子か、と内心でツッコミながらも、俺は大人しく頷く。変に冷たくしたり文句を言うと、話が面倒になることを俺もさすがに学習したのだ。しかし、イケメンは何を着ても似合う。おのれイケメン、とこっそり嫉妬していると、満足げな顔をしたKAITOがにこにこしながら俺に告げた。
「***さんみたいな服にしました」
「はぁ?」
彼が唐突に挙げたのは、先程、俺をカラオケに誘った親友の名前だった。
「だってマスター、***さんのこと好きですよね」
「……まあ、一番仲の良い友達ではある」
釈然としない思いを抱きながらも、肯定しておく。その口ぶりからは、KAITOと俺の親友が顔見知りである可能性が示唆される。親友はよく俺の家に遊びに来るので、居候(KAITO)のことを知っていてもおかしくはない。だが、親友が自然にKAITOの存在を受け入れている可能性を想像すると、妙な違和感を覚えた。現実と、現実に近い異世界との差異に対する戸惑いなのだろう。
「***さんみたいな恰好をしたら、マスターに喜んでもらえるかなと思ったんです」
「お前、どうしてそんなに俺が好きなの」
何故、わざわざ親友の真似をしてまで俺のご機嫌取りをするのだろうか。そう思った俺が訊ねると、初めてKAITOが言葉に詰まった。そう、初めてなのだ。今まで彼は、俺に何を言われても何を聞かれても、様々な表情や口調になるものの、それほど間を置かずに答えていた。言葉に詰まるという状況は、非常に人間らしいものなのだと俺は気付いた。システムの中で該当する回答を検索している時間だと言ってしまえばそれまでだが、俺の目の前に居る彼からは、あまりそのような雰囲気が感じられなかった。
「――マスターが、望んで俺を購入したわけではないと知っています」
そういえば、誰かが俺にKAITOを押し付けたらしいが、それは一体誰なのだろうか。俺がそれを訊ねる前に、KAITOは言葉を続けた。
「それでもマスターは、俺をインストールしてくれました。時々、一緒に歌ってくれました。散歩にも連れて行ってくれました。俺がマスター達と同じ物を食べられないと知っていても、朝ごはんだけは必ず2人分作ってくれました」
(うーん。そのくらいなら俺でもやりそうだなぁ)
こちらの俺も、今の俺と大して感覚の違いはないらしい。完全にほったらかすのも気が引けて、同居人として普通に構っていたのだろう。そんなことを考えていると、いつの間にか目の前でKAITOがにこーっと笑っていた。
「俺はマスターが大好きだから、マスターに喜んでもらえると嬉しいです。マスターが俺を好きになってくれたら、もっと嬉しいです」
(う、うわあ……。こいつ、無自覚で人の心を抉って来るタイプだ)
後光が差すのではないかと思わんばかりの超笑顔に、俺は思わず仰け反りそうになった。今の言葉の裏を返すと、KAITOは俺から好きという気持ちを返されなくても構わないとも思っているのだ。ただ、俺が喜んでくれればそれでいいという、健気とも自己犠牲的とも受け取れる考えの持ち主だ。それは、受け取り手としては時と場合によっては嬉しいのかもしれないが、彼と大して面識のない俺にとっては、むしろ気持ちが重過ぎて構えてしまう。無邪気過ぎて怖い。
(ヤバいぞこいつ。扱い方を間違えたら、何を仕出かすか分からない)
つまるところは、そういうことだった。
(とりあえず帯人のAIは絶対にダウンロードしない。した瞬間に死亡フラグのジャングルができる)
光り輝くイケメンの笑顔を見ながら、俺は異世界怖い、と思ったのだった。
* * *
2人分の朝ごはん:KAITOの分は昼に兄さんの弁当として食べられる。
今まで散々な経験をしてきたせいか、素直にKAITOの好意を受け取れない男。
↓兄さんとKAITOの擦れ違い具合。
兄さん「目の前に人がいるのに自分だけ飯を食うのは気が引ける」
KAITO「マスターが俺のためにわざわざ朝ごはんを作ってくれた」
兄さん「暑苦しいから涼しいモジュールにしろ」
KAITO「マスターが俺のためにそんな口実を使ってまでモジュールをくれた」
以下、色々できてしまった妄想設定。
パソコンにインストールしたら、家の中でボカロが具現化できるという謎システムです。家の外に連れて行くには、携帯でもユーザー登録をする必要があります。
ボカロは人間と同じご飯は食べられませんが、モジュールと同じように、公式や有志が作成したご飯は、ダウンロードすれば食べられます。家ではボカロが喜ぶ以外はあまり意味がありませんが、外ではバッテリーの充電的な意味があります。ちなみに、飲食店の一部では有料でボカロ用のご飯(店と同じメニュー)がダウンロードできるシステムがあったり。
兄さんが今までボカロ用のご飯をダウンロードしなかったのは、その存在を調べもしなかったからです。調べてやれよ。
外に出る場合、ガラケーでは連れ出す&お店ご飯のダウンロードで精一杯ですが、スマホだとモジュールの変更ができたり、色々便利という設定。ガラケー使いの兄さんには厳しいですが、細けぇことはいいんだよ!的な兄さんは気にしていません。だってKAITOは嫁じゃない。
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