兄さんの家にボカロが来た件その1
萌え 2014/04/06 15:19
茹だるような暑い日だった。セミがミンミンだとかジワジワだとか鳴いて、婚活に大忙しな季節である。大学に入学してから二度目の夏休みを迎えた俺は、真夏のお供であるアイスクリームとジャンプをコンビニで購入した帰路についていた。ちなみに、真冬のお供もアイスクリームとジャンプだが、たまに前者がミカンに変わる(なお、こたつという必須家具がなければならない)。
Tシャツに赤いジャージのズボンという涼しい格好で、サンダルをつっかけ夏の道路を歩く。鬱陶しい太陽のせいで気温以上に熱せられたコンクリートから、じわりと立ち上る熱気がきつい。だがそれも自宅に到着するまでである。家に付いたら速攻でクーラーをかけ、ゴロゴロしながらアイスを食べつつジャンプを読むという、素晴らしく堕落した生活を送る予定だ。
俺の家は学生向けアパートの1階にある角部屋である。部屋の前に辿り着いた俺は、ジャージのポケットから鍵を引っ張り出し、それを鍵穴に突っ込んで回した。こんにちは天国。さようなら真夏日。
しかし、部屋のドアを開けた瞬間、何故か部屋の中からこちらへ走り寄る足音が聞こえてきた。ついでに、どこかで聞いた気がする声まで聞こえる。
「おかえりなさい、マスター!」
人懐っこくもキラキラしい笑顔を浮かべて駆け寄ってきたのは、奇抜な青色の髪をしたでかい男だった。彼の表情には悪意というものが全く見当たらず、ただただ無邪気に笑っている。表情だけ見れば好青年である。しかし、場所が悪かった。
「すいません間違えました」
俺は反射的にドアを閉めた。我ながら素晴らしい速度だった。しかし、ドアの向こう側の足音が止まる気配がなかったため、俺は咄嗟にドアノブを両手で掴んで固定した。
「マスター! マスター酷いです! 意地悪しないでください!」
「すいませーん。まだ入ってまーす」
ガチャガチャと内側からドアノブが捻られようとするが、それが上手くいかないと分かると、ドンドンとドアが叩かれる。俺はドアノブを押さえたまま、自宅と思われるアパートの部屋番号を確認した。……やはり俺が住んでいるはずの部屋である。戸締りはしっかりしたのだが、一体どうやってあの不審な男は部屋に入り込んだのだろうか。しかもコスプレ癖がありそうな変人が。おまけに初対面の俺をマスターと呼ぶ、マニアックなプレイが好きそうな男が。不審者も中二病も変態もホモも、現実で関わるのは遠慮させていただきたい。俺の目が届かない遠い場所で好きに生きてくれ。
せめてもの救いが、ハンター世界のように即死フラグはなさそうだということか、と些か残念なことを考えていると、唐突に隣の部屋のドアが開いた。
「なあ、うるさいんだけど」
開いたドアから顔を出したのは、隣の部屋に住んでいるチャラ男だった。俺と同じ大学の学生らしい彼は、派手な大学デビューを果たすべく、髪が明るい金に染められている。インドアな俺とは対照的に、彼は暇さえあれば外で遊び歩いているのだが、今日は朝方まで飲み会だったらしい。眉間にしわを寄せ、いかにも寝起きといったしかめ面をした彼からは、微かにアルコールの匂いがした。
「あ、ごめん。いや何というか、家の中に不審者が居て」
「その割に冷静じゃん」
寝起きながら冴え渡る彼のツッコミ通り、確かに不審者に対する対応としては穏便と言える。それは度重なる強制異世界生活のせいで不審者慣れしてしまったのか、はたまた突然の出来事に動揺しているためなのか。そもそも、何か変わったことがあれば、異世界トリップを疑うという自然な思考の流れを持ってしまっている時点で、前者の可能性が高い。俺の穏便な人生はどこへ逃げたのか。
内心でへこんでいる俺のことなど知る由もないチャラ男は、未だに叩かれているドアを一瞥して言った。
「つーかこの声って、アンタん家のボカロだろ?」
「……え、ボカロ?」
俺は歌うのが好きだ。VOC@LOID――通称ボカロも好きだ。しかし、ボカロは音声合成ソフトである。つまり、歌わせたり喋らせたりといった、作曲方面の目的に使われる。そちらは完全に門外漢である。ソフトを購入したとしても使いこなせず、宝の持ち腐れになるため金の無駄だ。仮に購入するとしても、俺の嫁たる初音ミクだろう。しかし、家の中に居た男は、どう見ても緑髪の天使には見えなかった。
そこまで考えた俺は、先ほどの男の名前を思い出した。あれはKAITOだ。……ここは現実世界のはずなので、ボカロが具現化しているのはおかしいのだが、もしそうだとしたらKAITOで間違いないだろう。しかし、俺がKAITOを買うはずがない。彼は俺の中の購買意欲(ボカロ限定)順位では、他の男性キャラと並んで底辺に位置している(ただし、鏡音レンは、リンレン双子でセットと考えているので除く)。買いに行く時間があったら、初心者提督で艦娘とケッコンカッコカリを目指す程度には、買う気がない。
何故か具現化したKAITOと俺が住んでいると思い込んでいるチャラ男は、訝しげな俺の反応に首を傾げた。
「結構前に、ワゴンセールで買い叩いた知り合いから、無理やり押し付けられたとかなんとかって言ってたじゃん」
そういう流れらしい。全くもって身に覚えがない。
(これ、噂の逆トリップか? それとも、この世界も異世界カウント?)
俺はチャラ男をじっと見つめるが、彼が嘘を言っているようには見えない。そんなチャラ男は、もうこの話題に飽きたのか、話を変えた。
「あーそうだ。今度でいいからさ、米の研ぎ方教えてよ。彼女に飯作ってやりたいんだけど、そういえば俺、米の炊き方とか知らなかったんだよなぁ」
この男のことは大して知らないが、彼が料理に関しては非常に大雑把であることを知っている。米の炊き方なんて、米を研いで炊飯器にセットしてボタンを押すだけではないか。疑問に思った俺は、おそるおそる基本的なことを訊ねた。
「……それは構わないけど、そもそも炊飯器持ってんの?」
「米炊かないから持ってない」
お前はまず安い炊飯器を買うことから始めろ、と言ってやりたくなった。しかし、この自炊率が限りなく底辺と思われる男に炊飯器を買わせたところで、3日でゴミと化すだろう。俺は口元がひきつりそうになりながらも、さらに訊ねた。
「……鍋は? できれば土鍋」
「あー……、確か、ピアス入れになってる奴があった。多分割れてないと思う」
(どうやったら土鍋がピアス入れになるんだよ!? いや、持っていること自体が奇跡か)
最早家の中のKAITO(仮)よりも、目の前のチャラ男の未来が心配になってきた。だが、彼は彼なりに上手く世の中を渡っていくことだろう。人はこれを丸投げと言う。
「…………いつ教えに行けばいい?」
「今日の夕方」
「分かった。じゃあ、4時過ぎに教えに行くよ」
「サンキュー」
軽く礼を言うと、チャラ男は当初の目的を忘れて部屋に引っ込んだ。大雑把な男である。しかし、情けない声を上げながらドアを叩くKAITO(仮)を放置し続けていると、彼はまた文句を言いに来るだろう。そう思った俺は、とりあえず襲いかかってはきそうにないKAITO(仮)と対面することにした。
思い切ってドアを開けると、外開きのため、ドアを叩いていたKAITO(仮)がつんのめって俺にぶつかってきた。しかしすぐに立ち直った彼は、がしりと俺の両肩を掴む。甘く整った顔立ちは、半泣きのため台無しだった。
「酷いですよおおお!」
深海のような青色の瞳は、限界まで溜まった涙でどろどろになっている。暑苦しい。
「マスター、俺のことが嫌いですか!?」
「うるさいのと暑苦しいのは嫌いだ」
俺がそう言うと、彼はバッと俺から離れて廊下の壁に背中を引っ付け、自分の手で自分の口を覆った。……何だ、この滲み出るアホの子感。
ともかく彼が大人しくなったので、俺はようやく自分の部屋に入ることができた。後ろ手にドアを閉めながら彼を観察すると、青い短髪に同色の目を持つ顔立ちは完全にKAITOであった。しかも衣装が白い長袖ジャケットとぴったりしたズボン、膝丈のロングブーツ、そして向こう側が透けるマフラー(スカーフ?)だったことから、彼が無駄に最新式(V3)であることが分かる。
「……つーかさりげなく土足で上がるな。ブーツ脱げ」
「ええっ? マスターは今までそんなこと言わなかったですよ?」
そう言いながらも、KAITOは大人しくブーツを脱ぐ、というよりも分解する。青いブーツに電子回路のような模様が浮かんだかと思うと、空気に溶けるように分解される様を見た俺は、ここが限りなく現代日本に近い異世界だと確信した。恐らく、現代日本よりも妙な方向に技術が発展していて、なおかつこの具現化KAITOと共同生活していた俺(マスター)が存在する世界だろう。なんだそれ。とりあえず、恐らくは世界屈指の変態国家日本バンザイ。これで俺の家に居るのがKAITOでなくミクだったら、異世界であっても大して文句はなかった。
俺は後ろからひょこひょことついてくるでかい男をとりあえず放置し、溶けかけたカップアイスを冷凍庫に放り込んだ。その際、背後からの視線がやたらと暑苦しかったが、気付かないふりをした。アイスクリーム大好き設定はきちんと生きているらしい。もしカップアイスが拙かったら、彼に進呈してもいいかもしれない、それ以前に、得体のしれない生き物(無生物?)である彼に摂取できるか分からないが。
続いてビニール袋からジャンプを取り出すと、俺はローテーブルの前に置いてあるクッションに腰を下ろした。にこにこしながら俺の隣に正座する青年から意識して目を逸らしつつ、ふと気になったことを訊ねる。
「……えーっと、KAITO?」
「はいっ。何ですか、マスター?」
「俺とお前って、今までどんな生活してたっけ?」
見るからに素直そうな彼は、俺の問いかけに思い出すような顔をした。
「食べて、寝て、起きて、宿題して、ゲームして、バイトして、ゴロゴロして、マンガ読んで、歌ったりしてました」
「ダメ人間じゃねえか」
「そうですか?」
何故だろうか、現代日本……いや、現実世界での俺の行動パターンと大して変わらないはずなのに、こうして聞くとダメ人間臭がする。これがエア充の底力かもしれない。俺が半眼でそんなことをぽろっと漏らすと、KAITOは不思議そうに首を傾げた。
「マスターは、ジャンプを読むのは一流文化人の嗜みだと言っていたじゃないですか」
「お前ひょっとして、俺が言うことは何でも信じちゃう系なのか?」
目の前の青年の頭にふさふさとした耳と、彼の背後でちぎれんばかりに振られる尻尾を見た気がした。そろそろ暑さで頭が死ぬかもしれないと思った俺は、とりあえずクーラーのスイッチを入れた。
* * *
お隣のチャラ男と普通に会話できている理由:兄さんの母が、「引っ越し先のご近所さんには、絶対に挨拶しなさい」と兄さんの尻を叩いて手土産の蕎麦を持たせたため。兄さんはちゃんと挨拶に行ったので、その時から顔見知り。ちなみに蕎麦(乾麺)を受け取ったチャラ男は、それを水を入れたどんぶりに突っ込み、電子レンジで加熱するという斜め上の調理法を実践して、兄さんを戦慄させた。鍋を持っていなかった模様。チャラ男は取説を読まない&基礎が身に付いていなくても応用しようとするタイプ。
兄さんにKAITOを押し付けたらしい知り合い:兄さんと同じ漫研所属の梨本という腐女子先輩。あとはお察しください。
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