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諸伏景光はまだ選ばない
萌え 2023/06/19 23:46


・景光さんと麻衣兄同居シリーズ
・景光さん視点
・ゼロティー時空で景光さんが公安コンビと再会





 自分がどうしてNOCだとバレたのか分からない。分からない――要は身内(警察内部)の裏切りが原因である可能性がある以上、迂闊に古巣に戻れない。かなり自浄は進んでいるようだが、未だ完全ではないらしい。佐枝と連絡を取り合っているのは、彼が公安内部でも景光とは扱う案件が完全に違うとお互いに知っているからだ。僅かでも関連する案件と関わっているのであれば、景光は危険を承知で麻衣の下から離れただろう。信頼している――否、していたい同僚や上司はいるが、安全に接触する手段もなく、諸手を挙げて信じることも許されない。それが景光の置かれた現状だった。

 ただし、幼馴染は別だ。景光とは別部署から同じ組織に偶然(実際は幼馴染の部署側の計算で、景光は下準備を兼ねた潜入だったのだろう)潜っている彼は、幼い頃からずっと知っている相手で誰よりも信用できる。だからこそ自分(スコッチ)の生存という危険な情報を伝えたくないという想いと、親友を失う悲しみを人知れず噛み締めている彼に自分(景光)の無事を伝えたい想いがあった。気に掛けない日はなかったが、それでも接触するために探ろうとは思わなかった。その行動が黒の組織側に万が一露見した場合、命がけの潜入を続ける幼馴染の足を引っ張ってしまうのだから。

 SPRでのバイトからの帰りが遅くなったため、景光は杯戸町駅に麻衣を迎えに行っていた。渋谷駅まで行かないのは、電車に乗りたくないのっぴきならない理由があるからである。都外に出る目的ではないとはいえ、乗ったが最後、麻衣ではなく自分にお迎えが来かねない。そうなるくらいなら最初から諦めて駅前で待っていた方が安全である。麻衣からも「いつも都合良く路線図にない駅とかバス停に迎えに行けるとは限らないですからね」と釘を刺されている身だ。……路線図にないのに、どうして何度も景光は連れて行かれるのだろうか。そして路線図にない場所にどうして麻衣が迎えに来れるのだろうか(一度尋ねたところ、「偶然」とぶった切られた)。

 そんなわけで杯戸町駅で合流後、徒歩で自宅へ帰る途中に寄り道をして二人で外食と洒落込むことにした。洒落込むとは言ったが、行き先は高架下の屋台である。年頃の少女を連れて行く場所ではないが、麻衣はむしろ喜んで行きたがったのだ。高校生が一人で行けない場所だと言われれば確かにその通りである。本来はインドア派と言って憚らない割に、特に食べ物が絡むと重い腰も軽くなる少女だ。普段から学業とアルバイト(と妙なトラブル)に追われているので、食事は彼女にとって重要な娯楽なのだろう。

「屋台って、ビールとか熱燗片手におでんを楽しむイメージがあります」

「それは分かるけど、お酒は駄目だからね?」

「八〇山を一合だけとか」

「駄目だからね」

「ア〇ヒスーパードライを一杯」

「さっきからやたらとピンポイントな理由を掘り下げてもいい?」

「コンビニに売ってました」

「こっそり買ってないよね?」

「この顔(童顔)に売ってくれる奴がいたら通報します」

「そうだね」

 とりとめのない軽口を叩きながら駅から歩くこと数分。少し目立たない場所に灯る赤提灯に吸い寄せられるように足を運んだ。
 くすんだ暖簾を捲ると、先客が二人、古ぼけた椅子に座っていた。どちらも景光と大差ない年頃ではあるが、関連性など微塵も伺わせない程に印象が随分と違う二人組――そう、“二人組”だ。偶然居合わせたと装うも、偶然などではない組み合わせであるのだと景光はよく知っていた。そしてそれは、二人組にとっても景光が知己であることを示していた。

「っ!! もろ……!?」

 眼鏡の男性――風見裕也の言葉が途中で途切れる。隣に座っている金髪の男性――降谷零の肘が、店主の見えない位置で彼のみぞおちに入っているのが覗き見えた。それだけで彼らの間の力関係が計り知れる。

 何でもない顔を必死に取り繕おうとする幼馴染の青い瞳が、屋台に吊るされた裸電球の灯りを受けただけでなくキラキラと揺らめくのが見える。景光の兄譲りの灰色の目も、同じ輝きを帯びているのかもしれない。

 だから、景光は自分の隣で少女がどんな目をしているのかなど考えもしなかった。時として彼女が、異様なまでに察しが良いということも。

 くん、と袖を小さく引かれる感触で景光は我に返った。振り向くと、鼈甲飴の瞳が無邪気な振りをして輝いている。彼女は何でもない顔をするのがとても上手だ。景光は嫌になるほどよく知っていた。

「……忘れ物しました」

 分かりやすい嘘だ。それだけに意図もはかり易い。

「取りに帰るので先に注文していてください」

 そう囁いて向けられたのは、何故だかゾッとするほど優しい眼差しだった。悪意なんて一欠けらも見当たらないのに、背筋を氷の塊が滑り落ちたような錯覚を覚える。それは彼女の優しさが、当たり前のように彼女自身を削って差し出されたものだからだろうか。

 屋台のおでんを楽しみにしていた癖に、そんなのはただの冗談だとでも笑うかのように、何の未練もなく薄い背中を向けられる。火事で焼け出された時にも見た背中だった。

(――気を遣われた)

 あの聡い子は自宅へ帰り、もうここへは戻って来ないだろう。

「――待って」

 景光は咄嗟に細い腕を掴んだ。

「オレも……一度戻るよ。すみません、また戻ってきます!」

 後半は屋台の店主――と、その客二人に向けて言った。麻衣は物言いたげに景光を見上げた。

「夜道を一人で歩かせられないよ」

 景光がその眼差しに答えると、あっさり納得したようだ。「そういえば、迎えに来てくれたんでしたね」と呟き足を動かした。景光が言うまで忘れていたらしい。時折すっぽりと抜け落ちる危機感を拾い上げる作業は、景光にとって慣れたものだった。景光と同年代の男性なら気にも留めないが、彼女はまだ未成年の少女である。

「コンビニ寄っていいですか? たまにはジャンクなものも食べたいんです」

 案の定、彼女は自宅に帰ってから屋台に戻る気がなかったようだ。彼女なりに察して、景光とあの先客二人の詮索もせずに気遣っているのだ。結構なことだが、何でもかんでも自己完結して一人でやろうとするのは少々怖い。景光のこの感覚を、彼女はどこまで理解しているのだろうか。

 何となく離しそびれた腕を繋ぎ直してコンビニへ向かう。さすがにコンビニに着いたタイミングで手を離したが、そこには5分も滞在せず、あっという間に自宅の玄関前に着いた。掛ける言葉に迷った景光の口から出たのは、謝罪だった。

「……ごめんね」

「ありがとうですよ、こういう時は」

「おでん、また今度食べに行こう」

 麻衣はにこりと微笑んだ。それだけで、返事はしてくれなかった。……理由があって、何も言わなかったのだろう。例えば、景光がこのまま戻って来なくなる可能性を考えたとか。

 景光は思わず彼女の手を取った。景光の骨ばったそれよりずっと小さくて柔らかくて、氷のようにひんやりとしていて、時々物凄く頼り甲斐のある、けれど普段は脆い手だ。突然繋がれた大きな熱い手に麻衣は目を丸くして、次いで何か大きな塊を飲み込んだような妙な顔をした。だが特に何も言わず、そっと握り返してくれた。彼女なりに何かを感じたから、黙って受け入れてくれたのだろう。

 景光は掴んでいた手を放す。呆気なく消えた温もりは、景光と彼女の関係を示唆しているようだった。

 玄関に入る麻衣を見送る。閉められた扉に背を向け、景光は元居た屋台に走った。のんびり歩く気にはなれなかったのだ。彼女へ後ろ髪を引かれる思いを、屋台に既に幼馴染たちがいないのではないかという不安を、力尽くで振り切るには走るしかなかった。





 夜道に浮かぶ赤提灯。揃いの暖簾を持ち上げると、懐かしい幼馴染と上司がこちらを見上げた。あくまでも初対面を装い、愛想笑いを浮かべて古ぼけた丸椅子に腰かける。そして店主に軽く注文をしてから、何でもない風を装って先客に目を向けた。すると、普段の幼馴染にはないような、分かりやすく人懐っこそうな笑顔を返された。同期の萩原辺りでも参考にしているのだろうか。

「おや、先程の子はご自宅ですか?」

「ええ。明日までの宿題があったことを思い出したようで」

 でっち上げの理由であることは、恐らく二人にも伝わっているだろう。出された水を一口含んだところで、降谷に自己紹介された。

「僕は安室透です。こちらは飛田さん」

 人畜無害そうな笑顔を浮かべてみせる幼馴染の薄青い目は、やはり見間違いではなく潤んだ輝きを見せていた。一方、上司は眼鏡を外して目頭を押さえている。職場で厳しい表情を見せているこの人が、実はとても情に厚く優しい人だと景光は知っていた。店主に「おでんのからしを付け過ぎた」と下手な言い訳をしている姿には愛嬌すらある。

「……緑川唯です」

 景光はにっこりと笑った。不安も、懐かしさも、愛おしさも何もかもを隠して、ただの笑顔を作った。諸伏景光という人間を構成している二人の人間を前に、積年の想いで胸が詰まるようだった。このまま胸が弾けたらどうなるのだろうと考えた景光は、ふと少女の小さな背中を思い出した。弾けてしまった結果、消えていなくなると思われたに違いない。“まだ”消えたくないと思えばこそ、景光は偶然その場に居合わせた何でもない人間の表情を取り繕うことが出来た。

 会いたかった。心配を掛けてしまった大切な人たちに会いたくて会いたくて仕方がなかった。それが叶って喜ぶほどに、先程まで握り締めていた小さな手が離れていく気がする。それはあながち間違いではない。景光が本気で公安刑事として組織案件に復帰するのであれば、それとは無関係の彼女とは縁を切るべきだろう。もし公安刑事でありながら彼女と繋がりを持ち続けるのであれば、最低限、彼女と関係のある案件――佐枝が携わるような未承認生物関連の部署に加わる必要がある。けれどその部署は一度配属されれば、公安以外に異動してもそう簡単に外れることは出来ないという。精神を病む確率も、殉職する可能性も非常に高いという。間違いなく今後の人生を左右することを安易には決断できない。少なくとも、組織関連が片付くまではそちらに舵を切ることもできないのだ。

(出来ることをするしかない)

 景光は密かに拳を握り締め、ままならない気持ちを念入りに押し殺した。組織を壊滅させるために、目の前の幼馴染たちと再び繋がりを持つことも、民間人である彼女を守ることに繋がるのだ。





 結局その日、景光は家に戻らなかった。偶然気の合った相手と飲み屋をはしごする振りをして慎重に打ち合わせをし、互いの状況を共有した上で比較的安全な連絡先を交換した。景光の生存については公安内部でも公にはせず、内部の自浄が確実に完了するまで風見と佐枝のみで共有することとなった。幼馴染が所属する警察庁の警備部警備課でも一部の職員のみが情報を持ち、自浄完了後も場合によっては景光をSATを始めとした所属情報を秘匿する部署に回すことも視野に入れて指示を出すという。

 景光が家に帰り付いたのは翌朝のことだった。まだ麻衣が起き出す前の時間だったが、寝直すほどの時間でもなかったため、軽くシャワーを浴びてから朝食作りに取り掛かる。今朝は麻衣の当番だったが、昨夜のこともあるのでお詫び代わりに作るのも良いだろう。

 しばらくして起き出してきた麻衣は、こちらを見て一瞬不思議そうな顔をした。だがすぐに目元を緩めて口を開く。

「……おはようございます」

「おはよう。ご飯できてるよ」

 やはり彼女は、景光が姿を消している可能性を考えていたのかもしれない。不思議そうな顔が妙に目に焼き付いた。

 ――彼女のあっさりとした態度を寂しく思う一方、そうする気持ちが分からないでもない。そもそもいつ居なくなるかも分からない人間を、心から頼ることなどできるだろうか。

(できるわけがない。先を考えられるなら、万が一を考えて一定の距離を取る)

 いや、そんなことは分かり切っていた。その上で、手を伸ばされないのなら勝手に手を伸ばすと決めていた。考えても無駄なことは考えるのをやめていい。出来ることをするしかないのだから、出来たはずのことをやらなかった後悔だけはしないように動くだけだ。

 何回も同じことで悩んで、何回も決意を固め直すのはやめよう。心配しなくても事態は少しずつ良い方向に進んでいる。幼馴染は無事に今も潜入中なのだから。出来ることをしていけばいつか組織を壊滅させられるし、その先で麻衣に諸伏景光として手を差し伸べる選択肢も生まれる筈だ。

「一緒に食べよう。今日はぶり大根が上手くできたんだ」

「朝からぶり大根……」

「嫌いだった?」

「大好きです」

 眠そうな目をこすりながら笑う彼女はあどけなさがあって可愛らしい。変に大人びた我慢をさせるのではなく、いつもこんな顔にさせたい。

 まずは美味しいご飯で釣ろう。食いしん坊な彼女はご馳走に目を輝かせた。昨日の大根のおでんは美味しかったが、彼女のためだけに作ったぶり大根だって負けてはいないだろう。





+ + +





麻衣兄「いやあの……そんな固い決意しなくても間に合ってます……」

景光さんは根本的に麻衣兄さんのことを可哀想な子と思っているし、根が優しいので麻衣兄が一人で頑張ろうとすればするほど心配になるし勝手に悩み出す。降谷さんと再会したことで精神的に安定したので、必要以上に心配性になっていたのも鳴りを潜めて、そのうち麻衣兄のメンタルがやたら頑丈なことを本当の意味で受け入れて可哀想と思わなくなります。ガンガン麻衣兄を攻め始めるのは高校卒業くらいから。

なお、公安三人の中で一番兄さんが仲良くなれるのはダントツで風見さんだと思います。



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