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渡すつもりはなかったと供述しており
萌え 2023/02/26 21:43


・景光さんと麻衣兄同居シリーズ
・麻衣兄視点
・バレンタインの話





 旧校舎の一件以来、俺はたまに黒田さんと話す仲になった。教室での居づらさを抱えた彼女への同情だとか義務感だとかそういうものではなく、単純に知った仲のクラスメイトとしてたまに話している。彼女自身はオカルトに興味があるだけの普通の子なので、困ったことに巻き込まれるといったことはない。

 その黒田さんに、ある日の昼休みに声を掛けられた。

「……谷山さんは誰かにチョコをあげるの?」

「は???」

 黒田さんからの完全に想定外な質問に、俺は思わず素で疑問の声を上げた。

 俺は今まで、バレンタインチョコは完全に貰う側であった。クラスメイトにいた料理が上手い男子の手作りチョコのおこぼれを貰うこともあったが、それに倣って用意する側に回ることはなかった。カーチャンからしか貰えない年もあったし、クラスメイトの女子から量産品の義理チョコを賜る年もあった。彼女がいた時期と被っていた時は、その子から本命チョコを貰ったこともある。俺が頭を悩ますのはその一ヶ月後のホワイトデーであり、バレンタインデーではノーアクションだ。そのため、彼女から尋ねられるまで自分がバレンタインチョコを準備することは全くこれっぽっちも考えていなかった。

(そもそも誰に渡すんだ?)

 谷山麻衣が俺である時点で本命もクソもないので義理一択だが、かと言って義理ですら渡す相手など思い浮かばない。SPRの所長と助手は他人から食べ物を貰っても迷惑そうだし、ぼーさんやジョン君、安原さんは常勤ではないので、都合良くバレンタインデーに事務所に来るとは限らない。精々、クラスメイトの野郎連中にお徳用のお菓子パックでも進呈するのが関の山だろうか。そこまで考えた俺は、ふともう一人身近に男性がいることを思い出した。唯さんである。同居人なのに一番最後に思い出すとは何事か。

(唯さんはむしろ作るタイプっぽいよなぁ)

 ド偏見である。しかしあの人が俺を餌付けする勢いで料理の腕前を日を追うごとに解放しまくり(あれは急に上達したというより、元から上手いのを抑えなくなったように見える)、たまに休日の予定が互いに丸一日空くと、朝昼晩の飯と三時のおやつが甲斐甲斐しく用意される現状から鑑みるに、バレンタインデーを口実に何か用意してきそうなのは火を見るよりも明らかだ。……いや、ちゃんと俺もさぼらずに料理当番やってるから! 最近、娘の手料理に喜ぶ父親のような目をされるので複雑ではあるけど!(俺も麻衣に対して似たような反応をしたことはあるので他人のことは言えない)

 唯さんのことを思い出した俺の顔を見て何を考えたのか、黒田さんはハッとした表情になった。

「ほ、本命がいるのね」

「どこに?」

 いやホントどこに。

 しかし黒田さんは「いいの、誤魔化さなくても」と勝手に納得してしまった。アカン、俺に架空の本命が爆誕してしまった。非実在青少年だろうか。それなら嫁が既に複数いるので問題なかった。

 黒田さんは少し言いづらそうな様子で、上目遣いに俺を見た。

「今度の週末、私と一緒に……チョコ、作らない?」

(…………溶かせばいいんだっけ?)

 チョコ作りと言われても、適当に溶かして固める程度しか思い浮かばない。まさかカカオ豆を粉末状にすることから始めるわけでもあるまいし、未経験すぎて何も分からない。

「えーっと……自分、経験ないけどそれでもいい?」

「私もないから大丈夫よ」

 俺の答えを聞くと、黒田さんはほっとしたように微笑んだ。こうして、初心者二人のバレンタインチョコ制作が決まったのである。





 バレンタイン前の週末。俺は以前、唯さんに(半強制的に選ばれ買って)もらった冬用の少女めいた私服一式を着て黒田さんの自宅へお邪魔した。上から下まで男物で固めて行くよりは、箱入り娘っぽい黒田さんの親御さんに受けが良いかな、という雑な気遣いである。家を出る際、クラスメイトの家に遊びに行ってくると用件を伝えたというのに、唯さんが絶望した顔をしていたのが不思議であった。俺は死地に向かう魔術師か何かだろうか。唯さんの方が余程死にやすそうだが。

 黒田さんのご自宅でお母様にご挨拶をした後(お父様はお出かけらしい)、黒田さんと二人で材料探しの旅に出る。とは言っても、必要なのはチョコレートと生クリーム、ピュアココアなるものだけらしい。ついでにプレゼントするためのラッピング材料だ。正直、ラッピングのことは全く考えていなかったので、危うく獲物を捕らえたお猫様のごとく、唯さんに手掴みでチョコを渡す羽目になるところだった。どこの蛮族かな?

 黒田さんが作ろうとしているのはアルコール入りのトリュフチョコらしい。しかし彼女と俺は未成年。アルコールなどどうやって調達するのかと思っていたのだが、それは既に自宅に用意していたようだ。

「種類はよく分からなかったけど、お父さんのお酒を借りてきたわ」

(それ大丈夫?)

 大丈夫ではなさそうである。ボトルを見せてもらったところ既に封が切られていたので、恐らく晩酌用か何かだろう。とりあえず母親にはちゃんと許可を取っているらしいので、ぎりぎりセーフと思いたい。しかし何故わざわざアルコールを使うのか尋ねてみると、黒田さんは少し恥ずかしそうにした。

「お父さんに、大人向けのチョコを作りたくて」

 なるほど。だから普段から父親が好きで飲んでいる酒を持ってきたのか。

(ていうかマジかー! いい子〜〜!)

 父親に手作りのチョコを用意するなんていい子か。もし俺が将来娘にそんなものを用意されたら多分感動でむせび泣くわ。その前に結婚相手見付けろ? 分かっとるわ!

 そんなわけで割り勘で材料を揃え、初心者二人でレシピを眺めつつおっかなびっくり作り始めた。生クリームを鍋に入れ、中火にかけて沸騰直前まで温めるところから始まるのだが……沸騰直前とは? そんな細やかなことを初心者に求めないでほしい。俺は黒田さんが真剣な眼差しで鍋を見守る隣で、もくもくと板チョコを包丁で刻んだ。無心でチョコを刻む方が俺に向いている。

 なんやかんや作業を進め、たまに黒田さんのお母様にお助けいただき、人生初のトリュフチョコが完成した。お母様は「簡単な方よ」と申されていたが、ガチの初心者にとってはそうでもないです。もたもたしていると、手の平の上で団子状のガナッシュが溶けるんだよ……。

 どうにかラッピングまで終わらせ、おやつにロールケーキをごちそうになってから帰宅となった。人気店のロールケーキだったので大変美味しかったが、唯さんお手製のアップルパイとアイスクリームの組み合わせも負けてない……と思う時点で、俺の餌付けは完了していると思われる。一度「パイ料理がいっぱい食べたい」と言ってみたところ、ミートパイ、フィッシュパイ、ポットパイ、キッシュ、パルミエと大量に作ってくれたことがあってから、俺は唯さんに食事面では一切逆らわないことを誓っている。あの人マジで何でも作れるぞ。

 その何でも作れる凄い人相手に初心者トリュフチョコを出す抵抗感を覚えたところで、俺はふと彼が「自分の目の届かない場所で作られた手製の食品」に手を出すだろうかと思い至った。唯さんと外食することは少なくないが、進んで初見の店に入ることはないし、入ったとしても注文しなかったり、ドリンクを多少口に運ぶ程度だ。よく行く店も、厨房まで見えるほどこじんまりした所が多い。もしかすると迷惑だったろうか、と気付いたタイミングは自宅の目の前だった。鞄の中に隠そうにも、鞄が小さいのでチョコの箱が微妙に入りきらない。手提げの紙袋を持ったまま帰宅するしかないだろう。

(いっそ素直に聞いた方が今後のためか)

 そう開き直った俺が自宅に入ると、ものすごく心配そうな顔をした唯さんがスマホを見つめているのが目に入った。取り込み中だったかと思ったが、彼は俺に気付くとぱっと顔を輝かせた。もしや、心配そうな顔の原因は俺だろうか。

「おかえり、麻衣ちゃん。早かったね」

「ただいま戻りました。思ったよりはすんなりできたので」

「できた?」

 首を傾げる彼に、靴を脱いでリビングまで入った俺は紙袋を差し出した。

「少し早いですが、バレンタインのチョコです。手作りですが、こういうのは迷惑でしたか?」

 唯さんは瞠目して固まった。まじまじと俺と紙袋を見つめている。そこまで驚くことだったろうか。一旦引っ込めようかと俺が腕を引いた瞬間、スマホをジーンズのポケットに突っ込んだ唯さんの両手が、俺の手ごと紙袋を掴んだ。

「麻衣ちゃん、今日はこれを作るために出かけたの?」

「ええ、まあ……」

 勢いにビビった俺がしどろもどろで頷くと、愛嬌のある猫目がぐっと細められた。

「ありがとう!」

(う゛っ)

 唯さんの眩しすぎる善意の笑顔で目が潰れる。黒田さんに便乗して作っただけなので、あまり大仰に喜ばれると罪悪感が湧いてくるのだ。なにせ、バレンタインチョコのことなんて人に言われるまで考えてもいなかったので。ともあれ、俺の手作りに関しては特に心配しなくていいようだ。

 いたく感激した様子の唯さんは、一番安いラッピングだった紙袋を高級店のショッパーのように大事に捧げ持った。まるで誕生日に人気のゲーム機を買ってもらった小学生のようなワクワク具合で、早速箱を取り出している。……喜び過ぎでは? いや、それだけ普段の俺からバレンタインチョコなど期待できなかったということだろう。その推測、合ってます。

「嬉しいなぁ、麻衣ちゃんから貰えるなんて思ってなかったよ」

(俺も渡すと思ってなかった)

 何でここまでのリアクションが得られたのかさっぱり分からないが、黒田さんグッジョブ。

 にこにこ笑顔の唯さんは、箱の中のトリュフを嬉しそうに見つめると、一粒摘まんで齧った。すると、不思議そうな顔になる。

「あれ、お酒が入ってる」

「クラスメイトの親御さんから拝借しました。スコッチ・ウイスキーだそうです」

 唯さんはゆっくりゆっくり、それはもうゆっくりとチョコを噛み締めた。

「…………上手に出来てるね。すごく美味しい!」

 何だ今の間は。





+ + +





動揺の間である。

景光さんが出かける前の麻衣兄さんに絶望顔をしたのは「そんなおめかしして……まさか彼氏が!? 彼氏の家に行くのか!?」という父親の嘆き。チョコを貰ってからの大げさな喜び加減は「オレのためにおめかししてオレのためにチョコ作ってくれたのか!」という父親の喜び。何もかも違うので安心して欲しい。

なお、黒田さんの社交性が火を噴いた場合(低確率)、谷山に本命がいる疑惑が浮上してクラスの一部がざわつく模様。



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