更新履歴・日記



諸伏景光は往く先を決める
萌え 2022/05/09 22:07


・景光さんと麻衣兄同居シリーズ
・景光さん視点
・麻衣兄さんが高校卒業まで帰れなかった場合
・景光さんから矢印はあってもなくてもOK
・オリジナル公安刑事(佐枝)が出ている





 海外で就職と称して彼女の前から姿を消したのは約一年前のことだ。黒の組織を壊滅させる作戦に影ながら携わることとなり、内部自浄が済んだ警視庁公安部へ復籍すると同時に緑川唯としての生活を捨てた。死んだことにしたわけではないのでまだその名前は使えるが、今後は使う機会が減る。少なくとも、彼女に関係すること以外で使うことはない。

 彼女には高校卒業まで面倒を見ると伝えていた通り、公安部の先輩刑事――佐枝を通じて援助を続けている。緑川唯が同居していた妹分に仕送りをしている体だが、どうやら景光が去って以降、銀行口座から家賃以外で金が引き落とされた形跡はないらしい。高給だというSPRでのバイト代を切り崩して生活しているのだろう。二人住まいしていた頃の家から引っ越さなくて良いと伝言を残しておかなければ、恐らく引っ越しをして家賃すら引き落とされなくなっていたかもしれない。その家も、彼女が高校を卒業する三月末で退去する予定らしいが。つまり桜が咲き始めた今は、銀行口座以外の縁が切れる瀬戸際である。なお、麻衣がアルバイトをしている渋谷サイキックリサーチ――という表向きの名前で開かれていた心霊現象研究協会(SPR)日本支部は、所長の少年と助手がイギリスに帰国したことで一度閉められたが、時間を空けて再開している。そこでのアルバイトも三月末でやめる予定となっていた。

 公安部で缶詰め状態で働いている間も、景光は佐枝から彼女の様子を聞いていた。例のごとく、たまに様々なトラブルに巻き込まれていたらしい。トラブルの内容は組織とは全くの無関係で安心したが、別の方向性で大変な目には遭っているだろう。詳しくは部署違いということで教えてもらえなかったが。佐枝と同じ“曰くつき”の担当に正式採用されれば情報が全開示されるが、少なくとも組織の一件がある程度片が付かなければ手が付けられない。それ以前に、一度その担当になるとどの課に異動になろうがその部署所属扱いになるので、ある意味では人生が掛かった選択となる。軽はずみに立候補は出来ない。しかし、覚悟さえあればいつでも歓迎される立場でもある。それほどその部署は万年人手不足だ。精神を病む者も殉職する者もそれなりに出るらしいので、さもありなんと言ったところだろう。

 数々のトラブルはともかく、それ以外はあまりにも普通に過ごしていたという。まるで最初から同居人などいなかったかのように、自然と振る舞い日常に溶け込んでいるとか。前々からのことだが、彼女は同居する以前から最後までずっと景光を詮索しなかった。景光のことに興味などないのだろうかと思ったこともあったが、そういうことではないと今では分かる。何も聞かないことで存在を受容されていたのだ。周囲に何も悟らせない振る舞いを続けているのも、恐らく景光を守るためだ。景光は彼女を守っていたつもりだったが、いつだって景光も彼女に守られていた。

 ところで、彼女は高校卒業後に進学しないらしい。佐枝の口利きで、警察関係者が開いている探偵事務所の事務員として就職するようだ。毛利探偵事務所ではないことに心底ほっとしたが、就職先は探偵事務所と銘打ちながらたまに超常現象に携わるらしいので何とも言えない。いや、だからこそ佐枝はその職場を斡旋したのだろう。彼女をいずれ協力者として扱うには都合が良いはずだ。アルバイト中のSPRでそのまま就職とならなかったのは、国外の組織が関わる事務所だからである。

 都合が良いと言えば、佐枝から彼女は教師になるのが夢だったと聞いた。景光は初耳だった。同居していた頃に景光が将来の夢を尋ねた時は「まだまだ検討中です」と笑っていたのは嘘だった。どうやら佐枝がその夢を諦めさせたらしい。教員は拘束時間が長く、日を跨いで協力者として動かすには向かない。そのため、警察に協力させやすい職業を選ばされたのだ。だから景光には夢がない振りをしたのだ。佐枝は進学費用の負担を彼女に申し出たようだが、その代わりに就職先の斡旋を頼まれたらしい。教師になれるわけでもないのに、条件付きの援助を受けて教育学部に進学するのは虚しかったのだろう。それなら景光だって就職を選ぶ。

 守りたいと思っている筈なのに、気付けば彼女の首を絞めている気がする。彼女につぎ込んできた給料の何割かも、実は単なる首輪に過ぎなかったのだろうか。ここ半年ほどは、そんなことを考えながら仕事に没頭していた。

 この日は何事もなく昼休憩の時間となり、デスクに張り付いていた景光は壁掛け時計を見上げながら伸びをした。外に出るのも面倒なので、庁舎内のコンビニで適当に買ってこようかと考えていたところ、誰かが背後に立った。佐枝だ。彼は休暇申請の紙を景光の机に出しながら囁いた。

「杯戸高校の卒業式が終わるのは今日の13時だ」

 それは景光も知っていたが、仕事があるので遠目に見に行くこともできないと思っていた。座ったまま見上げた佐枝は、見慣れた無表情だ。

「当日申請はもっての外だが、今日の仕事の進捗状況なら特別に見逃してもいい」

「……えっ」

 思わず小さく声が漏れる。一瞬だけ頭が真っ白になった。景光にとって非常に好都合なことだ。彼女に対してはもうすっかり情が湧いている。一目でもいいから姿を見に行きたい。ここは先輩の好意に甘えてしまってもいいのだろうか。景光は書類にそっと手を伸ばした。

「ただし、行くならこちらの部署へ正式に来てもらう」

 ――書類に伸ばしかけていた手が止まる。

「中断していた協力者獲得作業も、そのままお前が継続となる」

 復籍した際、極めて危険な組織壊滅作戦に携わるため、緑川唯としての彼女への獲得作業は中断されていた。生活の援助は続いていたものの、あれ以来誰かが景光の代わりに接触しているとは聞いていない。……今のところは。これから先はどうなるか分からない。卒業後、彼女を取り巻く環境はガラッと変わる。“新しい人物”が彼女と接触するにはうってつけの機会だろう。

「ただの恩義や愛着だけなら、このまま関係を切れ」

 これが最後に提示される選択肢だと景光は直感した。断れば恐らく、佐枝は二度と景光を勧誘しないだろう。そして麻衣との繋がりも永遠になくなる。それも一つの選択だ。このまま超常現象など何も知らない、ただの公安刑事として生きていくのも良いだろう。

 けれど。

(ここで頷くのなら、会いに行ける)

 人伝に話を聞くのではなく、遠くから眺めるのでもなく、直接彼女に会いに行っても許される。景光が組織からドロップアウトして三年、組織壊滅からは一年経ち、後処理に区切りがついたこのタイミングで。――佐枝の手から書類が消えた。

 景光は過去最速で半休届を書き上げた。勢い余ってシャチハタを机と机の間に落としたため、拾う時間すら惜しんで拇印を叩き付け、呆れ顔の佐枝に提出する。そして財布とジャケット、車のキーを引っ掴んで庁舎を飛び出した。入れ替わりで庁舎に戻って来た風見とすれ違ったが、目を丸くする先輩に弁解する余裕もなかった。

 協力者として彼女を繋ぎ止める役割は他の誰にも任せたくない。初めてその話を聞いた時から変わらないこの気持ちは、きっとただの恩義や愛着だけではなく、使命感にも通ずるものがあるはずだ。

 愛車に飛び乗った景光は、霞ヶ関を出る前に花屋へ立ち寄った。卒業式の日に会いに行くのだから花束の一つでも持っていくのが筋だろうと思ったのだ。しかし店員から予算を尋ねられ、咄嗟に財布の中身を思い出して一万円と答えたのが原因だろうか。それともどんな花束をと尋ねられ、卒業式で女性に贈るものと答えたのが原因だろうか。妙にしたり顔の店員に差し出されたのは、彼女が見たら顔を引き攣らせそうなくらいには豪華な花束だった。その時点でようやく、彼女が花束を喜ぶような性格だったかを考慮し忘れていたことに思い至ったが、最早どうしようもない。作り笑顔で花束を受け取った景光は、車の助手席にそれを乗せてエンジンをかけた。見事に助手席を占拠する大きさの花束に内心で頭を抱えつつ。





(考えが浅すぎた)

 車を少し離れたコインパーキングに停め、杯戸高校の校門がギリギリ視界に入る場所まで歩いてきた景光は足を止めた。卒業式当日のその場所は色とりどりの花束やプレゼントを持った生徒や保護者、関係者が集まってはいたが、さすがに景光が持っているほど大きな花束を抱えた者はほぼいなかった。高校生カップルが推定百本の薔薇を抱えているのが見えたが、それ以外で大きな花束を持っているのは教師と思しき人物くらいだ。確かに景光は直接会いに行くつもりではあったが、必要以上に目立つ予定はない。このまま馬鹿正直に校門まで向かえば悪目立ちしてしまうだろう。ここまで勢いを味方に付けて来たとは言え、考えなしにも程がある。

 景光は踵を返した。杯戸高校から彼女の自宅までの間に、必ず渡る横断歩道がある。卒業式後にクラスメイトと遊びに行く約束でもしていれば待ちぼうけとなるだろうが、彼女は案外あっさりそのまま別行動を取りそうにも思える。何にせよ、クラスメイトと話している合間に声を掛けられないので、彼女が寄り道せずに一度自宅へ戻る可能性に賭けることにした。

 可能性は五分五分だったが、景光は賭けに勝った。しばらく待っていると、曲がり角から懐かしい少女が現れた。彼女はあまり中身が入ってなさそうなスクールバッグを肩にかけ、一輪花束を手にしている。小さな手に収まっている薔薇の赤色がくっきりと浮かび上がって見えたが、景光が持ってきた物にはさすがに劣ってしまうだろう。

 横断歩道に差し掛かった彼女は足を止めた。あまり人通りがない道路を挟んで目と目が合った気がする。だが彼女はすぐに何事もなかったかのように信号機を見上げた。まだ赤だ。景光はどう声を掛けるべきか迷った。姿を消す前に手紙を残したものの、随分と素っ気ない別れになった自覚がある。今更という思いがあり、最初の一言を探しあぐねていた。

 信号機が青になった。彼女が立ち止まったままの景光の方へ歩いてくる。景光が声を掛けなければ、恐らく彼女はそのまま通り過ぎていくだろう。彼女はそれができる人間だ。……踏み出す覚悟を決めてここまで来た。あとは声を上げるだけだ。

「――卒業、おめでとう」

 彼女が目の前を通り過ぎるかどうかの瀬戸際で、景光はようやく声を上げた。彼女は踏み出しかけた足を止め、景光を見上げる。成長期を過ぎていたせいか、一年経っても鼈甲飴の瞳とはあまり距離が変わらない。少し痩せたのだろうか、心なしか細い印象の顎が僅かに動いた。

「……ありがとうございます」

 ほんの少しだけ大人びたように見える少女に、景光は手にしていた花束を差し出した。彼女は大きな目をますます大きくしながらも、やたらと大きくなってしまった花束を受け取った。渡した後で、景光はあの家に花瓶の類がなかったことを思い出した。花瓶を口実にこの後ドライブにでも誘えるだろうか。そうでなくても食事を餌にすればあっさり釣れてしまいそうな気がする。そんなことを考えていると、花に埋もれながら少女が空笑いした。

「ええと。だいぶ立派な花束ですね?」

「勢い余ってつい」

「勢い余って」

 そうとしか言いようがない。財布の中に一万円札があったことと、店員の手腕の合わせ技だ。千円札しか入っていなかったらクレジットカードを取り出していたので、もっと金額が上がっていた可能性すらある。

 彼女の瞳が、子どもの悪戯を見やるような色を帯びた。自分よりもずっと年下のはずだが、年上のように錯覚してしまう顔をされると背中がむず痒くなる。弟属性とやらのせいなのか。景光は誤魔化すように咳払いした。

 花束の言い訳よりも、まずはしなければならないことがある。今までとは違う一歩を踏み出すために、景光はずっと言いたかった言葉を告げた。

「初めまして。諸伏景光と言います」

 景光はもう髪を染めていないし、眼鏡も掛けていない。気に入っていた顎髭もまた伸ばし直している。スコッチの名前もその時の偽名も捨て、緑川唯もまだ眠らせている。死を覚悟して廃ビルの屋上から飛び降りたあの瞬間以来、諸伏景光は久し振りに完全に素の自分で谷山麻衣と見つめ合った。職場から直行したためスーツ姿だが、少しでも格好良い大人に見えるだろうか。

「……初めまして、諸伏さん」

 麻衣は何とか左手で花束を抱えると、すっと右手を差し出した。景光が右手で握り返すと、麻衣はおかしそうな、どこか困ったようにも見える苦笑を浮かべた。掴んだ手はあまりにも小さかったが、それでも触れられる場所に存在していた。





+ + +





同居人がいなくなったと悟らせない兄さん:単純に「別に誰かに報告することでもないし」と考えてるだけ。「自分じゃなくてそっちが先にいなくなったかー」くらいの軽い気持ち。詮索が嫌なのはお互い様なのでしない。

花束のゴージャスさ加減:花屋の店員には大学を卒業する彼女に渡す花束と勘違いされている。使われている花は、予算一万円で各自ご自由に想像してください。

赤い薔薇:卒業生に一律で配られたものではない。

麻衣兄さんが自己紹介し返さない理由:自分は本名名乗れないし証明も出来ないので。


この後は麻衣兄さんが就職した探偵事務所に、景光さんも調査員の緑川唯としてたまに顔を出します。麻衣兄さんが二十歳になったらすぐさま自分の協力者として登録したいがためにあの手この手で頑張るものの、ことごとくスルーされる日々が始まるはず。


予想される直後の会話:

「ごめん、家に花瓶がなかったよな」

「職場に飾らせてもらうので大丈夫です」(悪意なくフラグを折る)

「……そ、そうだ。この後食事に行かないか? もちろん奢るよ」

「すみません、職場の人が卒業祝いでこれから食事に連れて行ってくれる約束があるので……」(悪意なく以下略)

「…………それなら待ち合わせ場所まで車で送っていくよ」

「すみません……自宅まで迎えに来てもらえる話になってるんです……」(自宅は杯戸高校から徒歩圏内)

「そっかぁ……」(さすがに心が折れそう)

「あ、夜は時間空いてます? それでも良ければ夕飯奢って欲しいです!」(さすがに察した)

「もちろん奢るよ!」(逆に気遣われて心が折れそう)



prev | next


×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -