「捕まえないんですか?」


(…まただ)


「ああ」


また。


(何故、お前は消えてしまう?)











「…っ」


ばさり、と布団のこすれる音を立て目を覚ましたのは斎藤。まだ薄暗い自室で、彼は勢いよく起き上がった。首筋に伝う汗。呼吸も少し荒い。春先とはいえ、夜中が暑かったわけではない。


夢を見る度に、これなのだ。


「…」


折角起きたのだから素振りでもしようと考えた斎藤は立ち上がり、寝間着から普段身に付けている着物へと着替え始める。


(…愚かだな、俺は)


たかが夢。その“たかが”程度のものに心を乱すなんて、自分らしくもない。


江戸にいた頃から見ている夢。桜の咲き乱れるあの場所で、彼女は何をしようとあそこに立っているのか。今日こそそれを尋ねるつもりだった。


(…そういえば、今日は市井に屯所を案内をする約束をしていたな)


市井要。左之が以前治療を受けたという医者。今まで幾らかの医者と出会ってきたが、彼女はそれらとは少し違う気がした。どこか飄々としていて、それでいてあの瞳。


幾つもの戦を切り抜いてきた、猛者のような瞳。


(何処かで見たような気もするが…まさかな、そんな筈はない)


斎藤はすぐさま、頭に浮かんだ可能性を打ち消す。初対面の人間に、以前自分と何処かで会ったことはあるかと尋ねるなど愚の骨頂。


斎藤は襖を開けると、まだひっそりとした明け方の縁側を渡る。左手に鍛錬用の木刀を持ち、恐らく誰もいないであろう道場へ向かった。











「あ、斎藤さん。おはようございます」


斎藤の予想は外れた。


まさか自分の他にも早朝から素振りをしようと考えている人物がいるとは。しかもその人物は幹部でもなく、平隊員でもなく、新米隊員でもなく、雪村でもない。


「斎藤さん?」
「…何でもない」


まさか要がいるとは誰が予測しただろうか。


「早いですね。いつもこの時間に起床なさるんですか?」
「…いや、いつもは半刻ほど遅い」


素振りをしようと木刀に手を掛けた斎藤だったが、彼はその手を止めて要を見る。彼女は斎藤と言葉を交わしながらも剣を振る手を止めない。いつから彼女は此処で剣を振っているのだろうか。何の為に?


「あんたは」
「え?」
「あんたは何故、こんなに早い」


そんなことをふと疑問に思い、彼は無意識の内に尋ねていた。要はその質問を予測していたのか、にやりと口元に笑みを浮かべながら斎藤に尋ね返す。


「理由がないと、早起きしてはいけないんですか?」
「…そんなことは、」
「冗談です」


ふふ、と笑顔を浮かべる要に、斎藤ははぐらかされたような感覚を覚える。


「藤堂さんから冗談を言うコツを御教授戴いたんですけど…どうでした?」
「冗談に思えない」


ぴしゃりと一刀両断する斎藤にも怯む様子を見せない要。彼女の剣さばきを見ている内に、斎藤の頭には新たな疑問が浮かんだ。


「…あんた、何処かで剣を習っていたのか」
「え?」
「我流ではないだろう」


要は思わず木刀を振る腕を止め、斎藤を見やる。流石と言うべきだろうか、やはり剣に関しては新選組隊長の目を侮ることは出来ない。


斎藤の鋭い瞳が要を射抜く。


「誉めても何も出ません」
「…」
「睨まないで下さい。…小さい頃、護身として親に習っただけですよ」


それだけです。


これ以上話すことは何もないとでも言うような口調で、彼女は一言だけ吐き捨てる。そして要は自身の着物の袖で首筋に流れていた汗を拭くと、道場の外へと続く引き扉に手を掛けた。


「では、先に失礼しますね」
「…待て」
「?」






「手合わせ、願おうか」











「は、原田さん、これから何処に行くんですか?」


千鶴は原田の後ろを追い掛ける。


今朝、朝食を食べ終わってから原田は千鶴に、自分の後を付いてくるように行った。にやにやといった表情をした平助や永倉を土方が叱りつけているのに千鶴が慌てるのもそこそこに、原田は彼女の手を引き部屋を出る。


(そういえば、今朝斎藤さんいなかったな…体調でも悪いのかな?)


千鶴がそんなことを思い乍ら歩を進めていると、先を行く原田が突然立ち止まり、彼女は彼の背に鼻をぶつけてしまう。


「きゃ、」
「おっと、悪いな千鶴」
「い、いえ…というか原田さん、どこへ向かっているんですか?」
「ん?ああ、言ってなかったか?会わせたい奴がいるんだ」


ここにな。原田はそう言って道場を指す。中からはカンカンと木刀を打ち合う音が聞こえ、千鶴は道場内に少なくとも人が二人いることを察した。


原田がガラガラと音を立て、道場へと続く扉を開ける。


「斎藤、要。千鶴連れて来…」


その途端、原田の頬を木刀が掠める。千鶴は驚いて声にもならないのか、青い顔で口をぱくぱくさせている。常人なら当たり前の反応だ。何せ扉を開けた瞬間、木刀が自分のいる方に向かって飛んできたのだから。


中庭にカランカランと音を立て落ちた木刀を見やり、原田は道場の中にいる人物を一喝する。


「あっ…ぶねぇな!お前ら、何やってんだよ!?」
「…左之か、すまない」
「え、左之?」
「ああ、左之だ」


要が手ぶらなのを見るに、どうやら木刀を飛ばしたのはどうやら要らしい。正しく言い換えると、斎藤が要の木刀を弾き飛ばし、それが原田や千鶴のいる方へ飛んでいったのだ。


「つーかお前ら朝飯も食わねぇで…何やってんだ」
「何って…手合わせ?」
「手合わせで木刀飛ばす奴があるかよ…」
「もうそんな時間か」


着物の袖で汗を拭いながら原田に時間を尋ねる斎藤。それを見た千鶴は驚いた。あの落ち着いた斎藤が汗を流す姿など、普段見たことがなかったからだ。


「千鶴、紹介する」


原田にそう言われ、斎藤のすぐ後ろから出てきた人物を見て千鶴は目を丸くした。


「こいつは市井要。昨日付で新選組の医者になった」


斎藤が汗を流すほどなのだ。鍛錬の相手は相当な猛者だろうという千鶴の予測は見事に裏切られ、斎藤の後ろから出てきたのは猛者でも筋肉隆々でもない、細身の人物だった。しかも自分の父と同じ、医者だという。


「市井、昨日言っていた雪村だ。雪村綱道さんの――」
「綱道?」


ぴくりと反応した要を斎藤は見逃さない。千鶴も、目の前の彼女が自分の父の名を反復したことに気付かない筈がなかった。


「父様を知っているんですか!?」
「えっ」


もの凄い剣幕で詰め寄ってきた千鶴に少なからず気圧されながらも、要はその質問に答える。


「え、まあ…雪村さんは蘭学においても有名な人でしたから…娘さんがいるとは初めてお聞きしましたが」
「京で…例えば茶屋とか、何処かで父を見ませんでしたか!?」
「…斎藤さん、雪村綱道は行方不明なんですか?」
「…ああ」


斎藤の答える声を聴き、成る程、ようやく合点がいったとでも言うような表情をする要。…それにしても、


(…雪村、か。確証はないけれど、なんとなく彼女からは鬼の匂いがする…千が聴いたらどんな顔をするだろう)


千鶴の剣幕と文脈から判断して綱道が行方不明であることを悟った要は、頭の中の考えを隅の方に追いやり、申し訳なさそうな表情をして目の前の彼女に向き直る。


「残念ですが、京に来てからすぐに此処へ来たので」
「そうですか…すいませんでした」
「早く見つかると良いですね」
「ありがとうございます」


要の気遣いに礼を言い、ふと我に返り先程の会話を頭の中で繰り返す千鶴。


「…ん?あれ、さっき、私のこと娘って…え、え?」
「だろうな」
「落ち着け雪村。市井は女だ」
「えぇっ!?」


千鶴は斎藤の言葉に声を上げる。確かに、要がただの新米隊士なら女である自分のことをわざわざ紹介する必要もない。


「でも、どうして…」
「ま、こいつにも色々と事情があってな。同じ女同士、仲良くな」


そう言って千鶴と要を引き合わせる原田。千鶴はおろおろと狼狽え、斎藤と原田、要の顔を交互に見やる。


そんな様子を見かねた要は無言ですっと手を差し出た。


「よ、宜しくお願いします」
「…此方こそ」


千鶴が握り返した要の手は、酷く冷たかった。











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