「君は此処で僕と待機ね」
「………」
「あはは、用心しすぎだよ。殺しはしないから」


今はね。


男はそう続けると、要の手を拘束するために巻き付けていた縄を解いた。


連行された身なのに、こんなに自由にしていて良いのだろうかと思いつつも、要は手を開いたり閉じたりしながら、両手の自由を噛み締めた。自由とはなんと素晴らしいものなのだろうか。


不服ながらも要は男の方を向き、縄をほどいてもらった礼を言った。


「…ありがとう、ございます」
「どういたしまして。ああそうだ、まだ名前言ってなかったよね」
「はあ…」


口は弧を描いているが、目が笑っていない。


まるで笑顔を貼り付けたような表情をした男は、要に自身の名前を述べる。唐突すぎる。要はそう思った。


「僕は新選組一番組組長、沖田総司です。君の名前は?」
「…名乗る必要が?先程の貴方は既に私のことを知っているような口振りでしたが」
「だから?いくら僕が君のことを知っていると口で言ったとしても、それは間違いかもしれない。君という存在を証明する物が他に何もないから仕方なく本人に聞いてるんだけど?」
「……市井要です」
「宜しくね、要ちゃん」


沖田総司と名乗った男の、貼り付けたような笑顔と、自分が捕まってしまったことへの苛立ちが現れはじめたのだろうか。要は眉間に皺を寄せた。そして沖田から目を逸らし、部屋の中を見渡しながら苛々した口調で答える。


「宜しくしないでしょう。私はもうすぐ貴方方に殺されるんですから」
「へぇ…」


要がぴしゃりと言い放つと、沖田は面白そうに目を瞬かせ、やれやれとでも言うように息を吐いた。


そして次の瞬間、彼は要の着る着物の襟を掴み、彼女が気が付いた時には、沖田に壁に叩き付けられ首を絞められていた。


その動きは正に、神速の如く。


「かは…っ!」
「君もついてないよね。よりによって、人斬り集団に捕まるなんて」


その表情は先程のそれとは違った。貼り付けたような笑顔ではなく、人を殺す時に見せる狂喜に満ちた顔。


――人殺しの、表情だ。


「……離して、下さい」
「自分がどんな立場にいるか分かってないみたいだね」
「…」
「君は今新選組に捕らわれている。下手な真似をしたら、直ぐにでも君を斬り殺せる人間がうじゃうじゃいるんだよ?」
「……」


江戸に来てからも、この部屋に連れてこられてからも、恐らく心のどこかで油断していた。緊張の糸が緩んでいた。今目の前で自分の首を絞めている沖田は男で、そして武士だ。


彼のこの表情から見ても、既に数え切れない程の人間を斬っているのだろうと要は思った。それに、要は女だ。男尊女卑とはこの御時世、良く言ったものだが、少なくとも男と女で体格や力の差があることは、要にだって分かっている。


いつ間合いを詰められてもおかしくない立場なのに、それを忘れるという自分が信じられない。要は油断していた自分を殴りつけてやりたいと思った。しかしそれも今は叶わない。


要は息も絶え絶えに、しかししっかりとした口調で言葉を紡ぐ。


「…っ少なくとも、今自分の命が危機に瀕していることは、理解しているつもりですが」
「っははは!僕が思ってた程馬鹿じゃないみたいだね、君は」


沖田は笑い声を上げながら、更にぐっと手に力を入れる。それに比例するように要の首が締まっていく。段々と苦しくなってきたのか、彼女は先程までの表情とは違い、苦しそうに浅く呼吸をしている。


「そうだ、左之さんから聞いたんだけど…君、凄腕の医師なんだってね」


ふと、沖田がぽつりと呟く。


(…誰だ…、左之……?どこかで聞いた、ような…)


壁にぶつけられたせいで背中は痛いし、呼吸が出来ないせいで意識が朦朧としてきて、此処で死ぬんじゃないかと要が本気で思った瞬間だった。


「げほっ…、」


要は畳の上に崩れ落ちた。


沖田が突然手を離したのだ。


懸命に呼吸しようとするが、息を吸っても吐いても肺が痛すぎる。要の目からは生理的な涙が流れ、脳に血と酸素が急激に運び込まれたからか、頭も締め付けられるように痛かった。


「ごめんごめん。ちょっといじめすぎちゃったみたいだね」


そう言ってしゃがんだ沖田は、倒れている要の顎を掴み上を向かせるとクスクスと笑った。先程首を絞められた時に見せた、人を殺す時の笑みとは違い、心底面白そうに笑っている。


「はは、何言ってるんですかって表情してる。根拠はあるよ。過去に君が治療した患者の1人が此処にいるからね」
「っわ、」


そう言うと沖田は立ち上がり、ついでに要の腕も掴んで、彼女を畳の上に立たせた。彼が爪を食い込ませてくる事態を少しだけ予測が、意外なことにその手付きは優しかった。


「…私には過去に新選組の隊士を治療した覚えがないんですが」
「…まあ、仕方ないんじゃない?左之さんの話だと凄く前らしいし。とにかく会ってみなよ。きっと思い出すよ」
「はあ…」


その時部屋の襖が開き、そこから人の良さそうな男が顔を出した。浅葱色の羽織りこそ身に纏ってはいないものの、恐らく彼も新選組隊士だろうと要は思った。


「あ、井上さん」
「沖田くん、近藤さんと左之介くんが戻ったそうだ」
「分かりました。今行きます」


沖田はそう言うと、井上と呼ばれた人のいる縁側へと要を引っ張っていく。地味に痛い。…この展開はまさか


「…失礼ですが沖田さん、もしかして私も行くのですか」
「んー……今此処で殺されても良いなら、来なくても構わないけど」
「行きましょう沖田さん」
「うん、良い子だね」
(誘導尋問……)


屯所に連行されてどの位時間が経ったのだろう。井上と沖田と要の3人は、新選組局長である近藤の所へ行くために、屯所内の縁側を歩いていた。


要達が部屋を出た瞬間、ごうっと強い風が吹く。3人は思わず立ち止まり、要は前髪を抑えちらりと風の吹いてきた方に目を向ける。


そこにあるのは、一本の立派な桜の木。


「……立派な桜ですね」
「私達が京に来る前から生えてるんだ」
「毎年春になると、隊士皆を集めてこの桜の木の下で花見するんだよ」
「へぇ…」


そこで飲む酒も旨いんだよと井上は言った。それは要にとってとても興味を抱く話題だった。何故なら彼女も酒が好きだからである。


それから局長のいる部屋までは酒の話で盛り上がった。長州の奴らは芋焼酎ばっかり飲んでるとか、あそこの酒は格別旨いだとか。


ふと、前を歩いていた井上が一つの部屋の前で立ち止まった。彼は先程までとはまるで別人になったかのように真剣な顔をしている。沖田は終始笑みを浮かべたままだ。


「近藤さん、連れて来たよ」
「おお、苦労をかけたな」


井上が襖を開けて、沖田と要がそれに続いて部屋の中へと入った。そこに並んで座っていたのは、新選組幹部と見られる体格の良い男達。要のことを睨んでいる者もいれば、じっと目を閉じている者、興味津々といったような者もいた。


瞬間、向かって左側の一番手前に座る男が大声で彼女の名前を叫んだ。


「要!」


赤茶色の髪を後ろで一つに結んでいる。両手首に布を巻き、白地に紅の襟の服装をした男だった。


「え…っと、…ごめんなさい、誰でしたっけ?」
「最初に言っとくけど、僕に責任は無いからね左之さん。姿格好の情報は左之さんからだし」
「…」
「それに正真正銘、この子は市井診療所の娘だから」


要は驚きの表情を浮かべて沖田の方を見た。彼はやはり要が何者かをちゃんと分っていた。誰彼構わず人を連れてきた訳ではないらしい。


ただ、要の性分がここにいる新撰組幹部に理解されたからと言って解放されるはずでもなく、不安要素はまだ消えてはくれない。


しかし赤茶色の髪の男は要と面識があると言った。何処かで見た気もするが、要にとっては生憎、患者の顔なんてうろ覚えでしかない。要は懸命に自分の記憶を引っ張り出す。


「っはは、左之さん忘れ去られてるじゃないですか」
「やっぱりそうか…随分前のことだからな」
「……すいません」
「俺だよ要、傷っ腹の左之」
「え、」


まじまじと彼の顔と腹を見比べる。そして私はぽつりと言葉を零した。


「ああ!大河が処置してた、変態の左之か!思い出しました」
「っははは!左之さん、言われてやんのー」
「畜生…平助、後で覚えとけよ」
「げ」
「てめぇもだ要」
「うわ」


あんたあの時から変わってないな。そう呟くと、彼は目を細めて微笑んだ。あぁそうだ、あれは彼が腹を切った時。彼と出会ったのが随分前のことのように感じられる。


「あん時は本当に世話になったな」
「まったくですね」


すると沖田が床に腰を下ろすように言う。勿論武器は僕に預けてね、と付け足すのも忘れずに。


要は持っていた拳銃を懐から取り出し、沖田に手渡す。何人かの幹部は刀の柄に手を掛けるものの、彼女から発砲する様子が感じられなかった為かそれを抜くことはなかった。


彼女は沖田言う通り床に腰を下ろすと、ぐるりと部屋を見渡した。この部屋にいるのは彼女を含めて8人だ。


彼女のすぐ左、原田の隣に座る、首に白い布地を巻いた黒髪の男は、じっと要のことを見つめている。そしてもう一人、その男の隣にいる緑の鉢巻をした大柄の男。


一方、にこにこと意味深な笑顔を浮かべる沖田は要の右隣。その隣にいるのが小柄な少年。先程、沖田に平助と呼ばれていた少年だ。


そしてその隣。つまり、要の正面に座るのが―――



「俺が新選組副長の土方だ」
「……」
「良い訳やら言いたいことは山ほどあると思うが、これだけは確認しておきたい」
「………何でしょう?」
「…てめぇは何者だ」


何者だ、と聞かれ表情には出さないものの、返事に困る要。経歴か、名前か、それとも自分の出身か。土方が要に尋ねたことは漠然としすぎていて、何をそう答えて良いのか彼女には分からなかった。


そして少しの沈黙の後要はようやく口を開く。






「医者ですが」






効果音にすると、ぽかん。と隊士達の間にはそんな空気が流れた。しかし要はいたって真面目な表情をしている。勿論彼女はふざけてなどいない。寧ろ大真面目だ。


「――はっはっはっはっは!」


要と隊士達の間に流れていた空気を破ったのは、副長である土方と少年平助の間に座っていた人物だった。しかも彼は腹を抱え、目尻に涙を浮かべている。





しばらくしてやっと笑いが収まったらしいその人物。


「ふむ、君は医者なのか」
「はい。…大変失礼なことをお聞きしますが、貴方の御名前を教えて下さい。申し遅れましたが、私は市井要です」
「おお、此方こそ自己紹介が遅れてすまない!俺は新選組局長、近藤勇だ」


要の顔に多少の驚きが広がった。彼女もまさか彼が局長だとは思っていなかったのだろう。しかし当の本人はそれを気にすることもせず、話を続ける。


「さて市井くん、どのような治療ができるかを教えて貰っても?」
「はい。ざっと一通りが可能です。医学では外科・内科というのですが、外見の打ち身・怪我や骨折等の治療、後は蘭学と、あぁそれと薬学を学びました」
「おお、若いのに達者だな!女性に聞くとは失礼かもしれないが、年は幾つかな?」
「春に二十歳になったばかりです」


その後も、何処へ何の用で行く途中だったのか、刀は使えるのか、拳銃など西洋のことについては詳しいのか等様々な質問をされた。


そして一通りの会話が終わった後、未だ不機嫌そうな表情をした土方や他の幹部に言ったのか、それとも大きすぎる独り言なのかは分からないが、少し考えるように顎をさすった後口を開いた。






「何ならいっそのこと、新選組で医者をすれば良いんじゃないか?」






「うそ」
「まじで」
「な、」
「賛成」
「構わねぇぜ」
「僕も賛成」
「局長がそう仰るなら」


近藤の発言に対する、要と幹部達の反応は様々だった。


信じられないの「うそ」
近藤の言うことが冗談としか思えない「まじで」
驚きに言葉の出ない「な、」
勿論とでも言うような「賛成」
恐らく賛成なのだろう「構わねぇぜ」
面白い玩具を見つけたような「僕も賛成」
真意が見えない「局長が仰るなら」


近藤は、隣に座る土方に視線を移す。


「なあトシ。俺達も京に来て暫く経つし、そろそろ新選組に医者も必要だろう」
「…そりゃそうだけどよ、」
「それに原田君の知り合いだと言うし…どうだろう。彼女をここに置いてやっては」
「近藤さん…人を疑うってもんが少しはあるだろ。原田の知り合いとは言っても、総司がいきなり拾ってきた得体のしれない奴だぞ」
「しかし…」


土方は苦虫を噛んだような顔をしている。近藤の願いは断れないのか、素性の不明な彼女を新選組に置くのがよほど嫌なのか。


ふと要が口を開く。


「…疑うこと、すなわち身を守ること。その方の言うことは間違ってはないです」


しんと静まり返る部屋。


「私は本来、ここに働く為に京にやって来た訳ではありません。戦で負傷した人を治療しに来ました。ですからここから追い出されても不便はありません。そして失礼ですが、戦での負傷者も新選組にいる病人も、私にとっては差はありません。ただ」




「もし今ここに一人でも治療を必要としている人がいるのなら、例え私が皆さんに斬られたとしても」






「その人を助けるまで意地でも出て行くつもりはありません」






要の凛とした声と表情。


その立ち振る舞いに隊士達はそれぞれに考えを巡らせる。


「土方さん、俺からも頼む。そいつを新選組においてくんねぇか」


些かの沈黙の中、声を上げたのは原田だった。


「原田…!」
「さっきも話したが、俺は一度そいつの治療を受けたことがある。こいつの腕は確かだぜ」
「……」
「俺が保証する」


原田はそう言うと、自分が言いたいことは言いきったとでも言うように息を吐いた。


土方は、今し方の要の言葉と、近藤の提案や原田の自信に満ちた言葉、そして副長という己の立場と新選組の隊士たちの模範という信念の狭間で揺らいでいたのだろうか。しばらく思案した後、要の目を真っ直ぐ見て口を開いた。


「どういう経緯かは知らねぇが、てめぇは俺達が幕府から極秘で預かった研究内容のことを知っている。…そうだな?」
「羅刹のことですか」


あの紅い瞳。白い髪。血に飢えた姿は今思い出しても鳥肌が立つ。


「確かに否定はできませんね。何故新選組があのようなものを持っているか私には理解に苦しみますが、何か理由があるのでしょう」
「まぁな」


土方は小さく周りを見渡し、そして最終確認の意を込めて幹部の面々は頷く。


「あの存在を外に漏らしでもしたら、俺達新選組は京にいることは出来なくなる」
「そして私を解放したら、どこの輩に羅刹のことが流れるか分からない」
「……」
「そうでしょう?」
「…ああ。……機密保持のため、てめぇの身柄は新選組預かりとする」


土方の言葉に、周りの反応は「宜しく」という声や無言を貫き通すものなど様々だった。


とにもかくにも話をまとめると、要は定職したことになる。


近藤は要に笑顔を向けた。


「では市井くん」
「はい?」
「とりあえず、改めて自己紹介をして貰えるかな」


まずはそれからだ、と近藤は言った。当たり前のことだが、左之を除く全員は彼女のことを知らないのだ。


分かりました、と短く言うと要は姿勢を正し、真っ直ぐ前を見据えて言った。


「これから此処新選組で治療を担当させて頂く市井要です。宜しくお願いします」


明らかに全員が皆歓迎するような雰囲気ではなかったが、「良かったな要」と言う左之に続いて未だ眉間に皺を寄せたままの土方が言った。


「お前の部屋は八木邸だ。平助、案内してやれ」
「なんで俺!?左之さんの知り合いなんだから左之さんに頼めば良」
「さっさと行け」
「……りょーかい」


平助(生憎まだ名字を聞いていない)は立ち上がり、畳に座っている要を見下ろした。見下ろしたとは言っても、実際はそこまで彼女と身長は変わらないだろうが。


「俺は八番組組長藤堂平助。案内するから付いて来て」
「はい」


立ち上がる要。歩き出す藤堂の後を追おうとしたその時、彼女は此方を見下ろす1つの視線に気付いた。要はその方向に顔を向ける。彼女の目の前に立っていたのは原田の隣に座っていた、首に白い布地を巻いたあの隊士だった。


「………」
「………」
「………えと、何かご用で」
「おめー遅っせぇな!早く行くぞ!」
「え、あ、」


ずるずるずる。


藤堂は要の襟を掴んで引っ張って行く。床に踵がこすれて何だかんだで痛い。


(……あの人、どこかで)


彼女は、次第に遠くなっていくその人物を何処かで見たことがあるような気がした。けれど、どうしてもそれを思い出すことが出来なかった。














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