結局、要と斎藤が訪れた時、土方はまだ部屋に戻っておらず、土方が姿を見せたのは夜が明ける少し前だった。幹部に報告し終えた頃には、もう太陽は登り切っていた。

部屋に勝手に上がり込む訳にもいかないので、斎藤と要は土方の部屋の前でずっと彼の帰りを待っていた。

土方は二人を部屋に上げると、目を覚ました要から大方の事情を聞いた。昨夜起きた、二つの出来事。南雲薫という鬼の襲撃に遭い、沖田が変若水を飲んだこと。御陵衛士と対立した際現れた鬼の一味に瀕死の傷を負わされた平助もまた、変若水を飲み、一命を取り留めたこと。

「…そうか。苦労掛けたな」

土方も斎藤も、本心を言えば、要にどう声を掛ければ良いのか分からなかった。彼女は言うなれば、きっかけは何であれ、二人に変若水を飲ませた張本人だ。しかし理由が理由であり、尚且つ最終的に飲むことを決めたのは本人達なのだから、飲ませた人物を恨むことも出来ない。

要もそれを、分かっている筈だ。分かっている。しかしあまりに、辛い現実だった。

「…お前は少し、休んだ方が良いのかもしれない。総司の体調のことは松本先生に頼るとして、羅刹化のことは…まあ、経過を見守るってことくらいしか出来ねぇからな」

土方は、つまり要に休めと言っているのだ。江戸でも大阪でも、何処でも良い。新選組から離れた何処かで、心の整理をつけること。それが要の、土方からの命令だった。

「…今のわたしは、少し、落ち着きをなくしています。もしかしたら、情報を漏らすかもしれませんよ?」
「てめぇはそんなことしねぇだろう」

土方には、要が絶対戻ってくるという確証があった。此処には総司や平助、他にも多くの彼女の患者がいるのだ。要がそれを放ったままにしておけるはずがない。だから、少し離れたとしても、問題はないと。

それは彼女に対する信頼の証でもあった。

要は深く、頭を下げた。部外者の自分を信頼し、新選組から離れることを許可してくれたことに対して、感謝を込めて。すると、それと同時に、斎藤も同じように頭を下げた。その行動に土方が顔をしかめる。

「斎藤、何でてめぇまで頭下げてんだ」
「…副長の計らいに感謝しているからです」

斎藤も、要が今回の出来事で疲れ切っていることを分かっていた。だからこそゆっくりと休むことを望んでいた。それを許した土方に、斎藤は感謝したのだ。

相変わらず礼儀正しい奴だな、と土方は笑った。





要はその日の内に新選組を経つことが決まった。急なことだが松本を大阪から呼び寄せ、事情を説明し、引き継ぎを完了させる。沖田と平助が目覚める前に出立することを勧めたのは、意外なことに近藤だった。

「要くんは、平助と総司の件でかなりの責任を感じているだろう。無論、我々はそんなことを思ってはいないが…」

顔を合わせれば、きっと要は更に責任を感じ、それを一人で背追い込む。だから近藤の案には、土方も斎藤も同意した。

要は松本の管轄する山村の診療所を幾つか回った後、江戸にある彼女の拠点、大江戸診療所へ戻り、暫く休むことになった。

要は京れ来た当初の格好に荷物を持つと、見送る近藤や土方、斎藤に深く一礼し、江戸へ向けて立って行った。







「左之」

縁側でぼーっと外を眺めていた原田に声を掛けたのは、斎藤だった。

要が屯所を離れる為江戸へ立った今、次に屯所を離れるのは斎藤だ。彼には紀州藩の三浦の警護が隊務として与えられている。要とは違い、沖田と平助が目覚めてから出立する予定だった。

その前に斎藤は、原田に聞いておかなければならないことがあった。何故昨夜、自分を要の元へ差し向けたのか、ということである。

「あんたが行くのでは駄目だったのか?」
「…分かってんだろ?もう、俺じゃ、駄目なんだよ」

彼は、要が出立する時も、姿を現さなかった。彼女もまた、特に原田の姿を探すようなことはしなかった。

「妹みたいなもんだった」

原田にとって、要は妹だった。

新選組に連れて来られた際、要と一番近い距離にいたのは原田だった。過去に彼女と一度面識があり、彼女の腕を信頼し新選組の隊医に推薦したのも原田だ。

しかし今回は、その原田が要のフォローに回らなかった。回る余裕がなかったというのが正しい言い方だが、これまでの原田なら、あの場面で斎藤を呼ぶことなどなかった。何故、斎藤を要の元へ向かわせたのか。何故原田自身ではなく、斎藤だったのか。

鈍い。しかし真っ直ぐにその疑問をぶつけてくる斎藤に、原田は苦笑するしかなかった。

「だから、言ってるじゃねぇか。俺じゃもう役不足だ。要が今一番頼りにしてんのは、斎藤」
「、」
「…お前だよ」

斎藤が要の所へ向かったあの時、要は彼を拒絶することはなかった。少なからず取り乱してはいたが、落ち着きを取り戻そうとしていたし、何より要は自分がすべきことを理解していた。

しかしもしあの場に向かったのが原田だったらどうだろう。斎藤の場合とは違い、要は原田が差し伸べる手を振り払っていたかもしれない。自暴自棄になり、塞ぎ込み、最悪の場合、彼を拒絶していた可能性も、考えられないことはない。

「しかし、たとえそうだとしても…市井にとってあんたが無用になった訳ではないだろう」

要にとって、原田がかけがえのない存在であることは明確だ。たとえ立場が変わったとしても、隣に立つ特別な人間がいても、それには何の代わりもない。斎藤は原田になることは出来ないし、その逆もまた然りだ。

「…そう、だな」

要が新選組へ戻ってきたら、ちゃんと出迎えようと思う。そして、笑って肩を叩いてやろう。何も、心配することなどない。彼女には自分達がついている。そして自分達にも、要という存在が側にいるのだから。








「…、」
「っ、目が覚めましたか、沖田さん」
「……要ちゃん、は?」
「…無事ですよ」

沖田が目覚めた時、傍らで彼の様子を見守っていたのは要ではなく、山崎だった。


目覚めてからの沖田の第一声は、彼女の安否を確認する声。意外に感じながらも、道理だと山崎は思った。羅刹が数多く押し寄せた中で、彼もまた羅刹になったのだ。朦朧とする意識の中で、彼女の無事を確かめる気力は、なかった。ただただ目の前の羅刹を撃退することしか、考えられなかったのだ。

しかし、と、山崎は気まずそうに言葉を零す。

「…ですが、要さんは今此処にはいません。当分、新選組から離れることになりました」
「いつ、帰ってくるの?」
「…御陵衛士に対する認識が薄まり、尚且つ要さんが落ち着きを取り戻してから…でしょうね」
「…」

布団に横たわりながら、少し考える素振りを見せた後、暫くして沖田はやはり、あの隊士の名前を出した。

「はじめくんを、呼んできて」







総司が目覚めたらしい。道場で剣を振っていた俺を呼びに来たのは、山崎くんだった。沖田さんがお呼びです、と言う山崎の表情は、いつもと変わりないようで、晴れないものだった。

「局長や副長への報告は終えたのか?」
「…俺も先に、そうすべきだと思ったのですが…斎藤さんへのお話が先だと」
「…」

局長や副長よりも先に、俺に伝えるべき話とは何だ。剣の稽古に付き合ってくれていた三番隊の隊士に断りを入れ、総司の部屋へ向かう。

ガラリと襖を開けると、総司は布団の中に包まっていた。

「…羅刹になったと聞いた。具合はどうだ」
「まあまあ、かな?まだこれからだよ」

羅刹は陽の光が苦手だ。今はまだ少しの怠さしか感じないが、身体の構造が変わり、陽の光を遠ざけるようになるのは時間の問題だろうと、総司はいつも通り笑ってそう言った。

「まあ、その話は後で近藤さんや土方さんにもちゃんと話すからさ。…はじめくんに話したいことって、要ちゃんのことなんだけど」
「…」

総司は昨夜、自分が羅刹になるまでの経緯を話し始めた。風間達とは別の鬼、南雲薫という鬼と、彼率いる羅刹の襲撃に遭ったこと。その時市井が看病のため自分の部屋にいたこと。彼女が、拳銃を持っていたこと。そしてそれを使ったこと。

市井が拳銃を持っていることは、知らなかった。しかし市井の過去が過去である。外国の羅刹の研究所にいたという市井の生い立ちを知っている俺は、彼女が拳銃を扱えるという事実に、あまり驚きはしなかった。大方その施設で、戦闘術も多く叩き込まれていたのだろう。

「でね、ここからが本題なんだけど…思ったんだ。要ちゃんに、拳銃を持たせちゃいけないって」
「…何故、そう思うのだ」
「何となく、としか言いようが無いけどね。…あの子はあんまり、拳銃を使うことに良い思い出がなさそうだから」

あの研究所のことを思い出すのだろうか?市井の過去を知らない総司でさえも、市井に拳銃を使わせない方が良いと言う。

「我を失くすというか、周りが見えなくなるというか…とにかく、拳銃を持たせないでほしいんだ」
「…それは分かったが、何故そのことを俺に言うのだ」

先程、左之にした質問と同じような問い掛けをしてしまう。何故こうも皆、市井に関する話を俺にするのか。

総司は笑う。それがとても、寂しそうに見えた。

「僕には出来ない」
「だから何故、」
「要ちゃんが新選組へ戻ってきたら、僕は此処を離れる」

俺の疑問を掻き消すかのように、総司の口から飛び出した言葉。新選組を離れる?総司がそんなことを言うなんて、思ってもみなかった。新選組のために生き、その命を終えるものだとばかり思っていた。俺の反応が予想通りだったのか、総司はクスクスと笑う。

「あはは、僕も死ぬまで新選組から離れないと思ってたよ。…だけど、悲しませたくない子が出来ちゃったからさ」
「…」
「要ちゃんのこと、よろしくね」

総司の言う、悲しませたくない子というのは、市井のことだろう。彼女は嘘を吐くのが上手いようで、とても下手だ。どうするかを患者に選ばせても、本当は自分の心の奥底に自分の言葉を押し込んでいる。総司はそれに気付いていた。気付いたからこそ、総司は新選組を離れることを決めたのだ。

市井のことをよろしく頼むと言われても、正直、困る。俺と彼女はそんな、ーーーそんな関係ではないのに。

「…まさかはじめくん、」
「いや、いい。頼むから、何も言わないでくれ」
「…」
「わ、分かっている!」

ついムキになってしまう。総司の言いたいことは分かっている。俺が市井のことを、どう思っているか、ということだ。

総司にさえ心配されるとは、俺はどれだけ長い間この問題を放ったらかしにしていたのだろう。否、放ったらかしにしていた訳ではない。ただどうすればいいのか分からなかったのだ。市井は俺に対して、何かしら他とは違う特別な感情を抱いていることを、きちんと伝えた。本人はそれが何なのかよく分かってはいないのだろうが。…それに比べて俺は。おなごの口から言わせておいて、誠の武士を目指す俺がそのような、ことを、伝えられていないなど。

はあ、と深く息を吐く。

もう、分からないからという理由で、逃げることは出来ない。

「要ちゃん、自覚してると思うよ」
「…何をだ」
「だから、自分がはじめくんのこと、どう思ってるかってことだよ」

でも、と総司は続ける。

「今回のことで、暫くはそれどころじゃなさそうだね」

平助と総司を羅刹にしてしまったこと。当人たちがそうでないと言っても、彼女は責任を感じているだろう。現に市井は疲労困ぱい状態に陥り、江戸で身体を休めることになった。彼女にとって目下の問題は、斎藤との関係ではなく、羅刹と変若水なのだ。

「はじめくんも、紀州藩の三浦の所へ行くんでしょ?」
「ああ」
「二人とも、少し休戦だね」

総司はけらけらと笑った。その笑い方は少しだけ、市井に似ているように気がした。








要が、診療所に帰ってきた。ここ以外の、大阪や、他にもいっぱいある診療所を見回ってきて、帰ってきたらしい。文を寄越してからそんなに日も経っていないけど、おれは要が帰ってきたことがうれしかった。

「要、おかえり!」
「…ああ、ただいま」

けど、外で猫のあずきと遊んでたおれが出迎えたとき、要は何だか、元気がないように見えた。

「かーちゃん、要帰ってきた、」
「んー?」
「けど、なんか、元気ないんだ。病気なのかも…かーちゃん、診察してよ」

どれどれ?って言いながらかーちゃんが、要を見に診療所の外へ出てきたとき、かーちゃんはびっくりしてた。おれも、びっくりした。分かんないけど、あずきも多分、びっくりしてたはずだ。

要が、泣いてた。おれはそんな要を、はじめてみた。要はいつも強くて、笑ってて、診察も薬作るのもがんばってて、泣いたところなんて見たこともなかった。

とっても悲しそうな顔をして、静かに、ただずっと、泣いてた。








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