伊東の暗殺に成功したという報せが、山崎によって屯所に届けられた。広間に集められた隊士達は安堵すると同時に、まだ緊張を解けない状態であることを悟る。

御陵衛士と新選組の斬り合いが始まる中、そこに薩摩藩の人間が現れたというのだ。それと同時に、鬼の一味も。雪村千鶴は討伐隊の原田、永倉と共に油小路へ出払っている。

「油小路に来たのは、天霧と不知火の二人です。風間の姿はありませんでした」
「時間稼ぎのために、風間がこの屯所にやってくる可能性も考えられるねぇ…」

源さんこと井上が息を吐く。広間を見渡すも、この場に要の姿はなかった。姿を見せない要に、山崎の眉間に皺が寄る。

「要さんは」
「ああ。彼女は沖田くんに連れ添っているよ。体調を崩してる彼の部屋に」
「失礼します!」

その時、島田が広間に駆け込んできた。額や首筋に汗をかいている。必死な形相が、ただごとではない事態が起こっていることを予測させた。

「風間が攻め込んできました!」







「ねえ、要ちゃん。前に君が話してた、山奥の療養所の話してよ」

布団に身体を預ける沖田からの唐突なお願いは、当たり前だが要を驚かせた。あんなに療養することを拒んでいたのに、何のつもりなのだろう。

「療養する気になったんですか?」
「ならないよ。…そこにいる労咳を患ってる人が、どんな人生を歩んでいるのか、気になっただけ」

沖田の願いは、新選組の、近藤の剣として生き、そしてその命を終えることだ。病魔に負けるつもりはない。しかしやはり病と闘っているのは彼自身の身体。抗い続けようと決めた彼もまた、それが少しずつ不可能になりつつあることを、分かっていた。

「僕はずっと、この場所にいることは出来ないんでしょ?」
「…病状が悪化すれば、そうですね」
「山南さんがね、この前僕に変若水の話をしてくれたんだ」

変若水。人間の身体を羅刹のそれに造り変えてしまう恐ろしい劇薬。その名を聞き、瞬く間に要の顔が歪んでいく。

要は、新選組が変若水と羅刹の開発に携わっていることに、酷く不快感を覚えている。一部を除き、周囲はその理由を知らないが、それは彼女自身が羅刹を生み出す研究所に身を置いていたことが関係している。

酷く嫌悪感を露わにしたまま、要は口を開いた。

「…今此処で使用されている変若水は、大分改良が進められたみたいですね」
「山南さんと、前までは綱道さんが研究してたからね」
「雪村綱道…ですか」

その名を呟き、更に要の顔が歪められる。

要も松本良順を通じ、幾度か雪村綱道と対面していた。人の良さそうな顔の裏で、彼は羅刹と変若水の研究に携わっていた。それを知った要は綱道に羅刹や変若水の研究を止めるよう諭したが、彼は止めるどころか更に研究に没頭していった。

その結果、今、新撰組というものが存在することになってしまった。

「綱道と山南さんが改良を重ねていたとしても、変若水による吸血衝動や寿命の問題は解決されていないようです」
「…寿命?」
「…まさか、知らないんですか?」

何のことを言っているのか分からないとでも言いたげな沖田の表情を見て、要は文字通り、頭を抱えたくなった。此処の人間は、変若水がどんなものなのか知らないままそれを使用しているのだ。なんと恐ろしく、浅はかなことを。

「変若水を飲んだとしても、怪我はともかく、沖田さんの労咳やその他多くの『人間の身体に巣食う病気』は治せません」
「…山南さんは、病気も治るかもしれないって、言ってたけど?」
「治りません。それは、あり得ない」

沖田の瞳に、少なからず絶望の色が滲み出て行くのが分かった。胸が痛むが、これが真実なのだ。要だって、もし何も知らない彼女だったら、山南の意見を支持したい、信じたいと思うだろう。しかし皮肉なことに、彼女はこの屯所にいる誰よりも変若水や羅刹についての知識を持っている。

間違った知識を植え付けることは、医者にとって大罪だと、要は思っている。たとえそれが当人を傷付けるようなことになったとしても、だ。

要は更に続ける。

「爆発的な治癒力、強い腕力、高い体力…これらもすべて、無償で与えられる訳ではありません。これから先、人が一生を生きていく上で与えられている一定のエネルギーを、短期間で消耗しているだけに過ぎないのです」
「…つまり、そんな上手い話はないってわけだ」

何かを得るには、何かを代償にしなければならない。羅刹の力を使えば使うほど、寿命は短くなり死期は近づく。現に幼少期の実験に置いて、要の周りで変若水を飲まされた子供も、その殆どが吸血衝動に狂い、やはり短命だった。

「人によって、人生の選び方は自由です。誰のために生きるのかだって、そう。でも、命はその人だけの命じゃないと思うんです」
「…」
「変若水を飲むなら、飲めばいい。でも、わたしは絶対、推奨しない。飲ませる前に、本人に必ず選ばせる」

修羅の道を行くか、ゆるやかな死を選ぶか。選ぶのは自由だ。だが選択肢を提示することは、要にも出来る。

要はゆっくりとした動作で、着物の袖元から小瓶を取り出す。中に揺らめくは魅惑の紅い液体、変若水だ。どうして彼女がそれを?沖田は目を見張った。要は苦笑する。

「なんとか症状を薄められないかと思って、研究してみた結果、少しはマシになったようです。でも、なかなか…踏み出せない」
「どうして?」
「…これまで羅刹の実験に携わって、死んでいった人たちをたくさん、たくさん見てきたからです」

例え自分が変若水の症状を薄めたことに成功し、その結果吸血衝動を抑えられたとしても、飲む必要がないなら、飲まない方が良い。

そう言って要が変若水を袖元に直そうとした時、沖田は思わずその腕を掴む。驚いて視線を上げると、そこには真剣な目をした沖田がいた。

「それを飲んだら、僕は…」
「…」
「新選組の剣として此処に…この場所に、いられるのかなあ…」
「…さあ。どうでしょうね」

羅刹になって強さを手に入れても、病は治らない。恐らく近藤や土方は、彼が羅刹になってまで新選組に留り、戦い続けることを望まないだろう。短命になり、吸血衝動に苦しむ。長年共に歩んできた仲間である沖田を、きっと彼らもそんな苦痛に晒したくない筈だ。

その時、ガタンと大きな音を立てて、部屋の襖が開いた。沖田も要も勢い良くそちらに視線をやる。そこには、見慣れない、小柄な青年がいた。否、要にとっては見慣れない青年だった。沖田にとっては因縁めいた知り合いなのだろうか、彼はその青年を酷く睨んでいる。

「へえ…君、男だったんだ。なるほどね。で、こんな所へ何しに来たの?」
「沖田さんが病に伏せてると噂で聞いたもので、お見舞いに」
「こんな夜更けに?」

沖田は馬鹿にしたようにくつくつと笑う。こんなに冷たく笑う彼を見るのは二度目だった。明らかな敵意の込められたその視線。屯所に初めて連れて来られた日に沖田に向けられた目だ。要は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

薄暗く見え辛いが、千鶴に良く似た顔立ちの青年。南雲薫は、彼女の予想通り、雪村千鶴の兄だと名乗る。やはりそうかと納得する沖田と要。すると南雲はふと、要を一瞥し、沖田に短く尋ねる。

「彼女は?」
「…新選組預かりの、医者だよ」
「へぇ。ま、どうでも良いけど…邪魔だなあ。折角沖田と遊びに来たのに」

先程までの丁寧な言葉遣いは、何処へ消え失せたのか。南雲は急に、ぶっきらぼうな口調になった。これが彼の本来の話し方なのだろう。

遊びに来たという口ぶりなのに、何故だろう、その声からは真意が見えない。ただ見舞いに来たと言うわけでもなさそうだ。

ふと、要は南雲の後ろに揺らめく複数の影に気付いた。紅い瞳、白く染まった髪。羅刹だ。

「どうして羅刹が、」
「人間の女は黙ってなよ。…本当はもっと遊びたいところだけど、時間もないしね。でも、今の沖田にはこれで十分でしょ」
「…っ」
「あ、それどころかちょっと数が多すぎたかなあ?ごめんね」

ごめんね、という南雲の言葉にはこれっぽっちの謝意も感じられない。南雲が引き連れてきた羅刹の数は決して多くはないが、労咳で弱っている今の沖田には倒すのにかなりの負担が掛かる。事実、彼の手には力が入らず、愛刀がカシャンと音を立てて沖田の手から畳に落ちた。

「…これが、今の僕か。新選組一番組組長、沖田総司か…」

沖田は、今自分に突き付けられている病状に、そして自分が弱っていることに、ただ哀しそうに苦笑するしかなった。

南雲はふと、要の手にある若変水の存在に気付いた。人間の彼女がそれを持っていることに大した驚きも見せず、それを一瞥し、沖田に薄く笑いかける。

「まあ、その女の持ってる若変水でも飲めば、羅刹を撃退出来るかもしれないね?」
「…」
「沖田さん、駄目です。これ位の数なら大丈夫、わたしがやります」

沖田は喰いつくような瞳で要の手にある若変水を見つめている。強さを求めるために、今の彼は、命を代償にしようとしている。それは、駄目だ。彼にはもっと、考える時間が必要なのだ。

要の制止を遮るように、南雲は更に沖田に吹き込む。病が治る、強くなれる、此処に居られる。それは全て偽物だと、先程要が言い切ったのに、それにも関わらず沖田はじっと要の手にある変若水を見つめ、南雲の声に耳を傾けている。

どんな理由があるかは知らないが、南雲は沖田が羅刹になることを望んでいるのだろう。何のために?今夜南雲と初めて対面した要には分からないが、ただ、今の沖田は、他人にそそのかされて、若変水を飲むか悩んでいる。生き方を全くの他人に左右されるなんて、

それだけは、させない。

「若変水さえ飲めば強くなれる。新選組にも居られる。飲まない理由なんて…」
「あなた、とてもお喋りなのね。ピーチクパーチク、まるで雀みたいに煩くして。少しは黙れないの?」
「…ッこの人間が!」

要は、冷静だった。その目には明らかな怒りが浮かんで見えたが、彼女の些細な暴言に激昂した南雲とは違い、要は自分でも驚くほど冷静だった。冷たい炎が燃え盛るように、要の頭を覆い尽くしていた。

「っあ?!」

刀の鞘に手をやる南雲の手に、抜刀させぬとでも言うように一つの弾丸が撃ち込まれた。要だ。南雲も、そして沖田さえもが思わず目を見張る。どうして彼女が拳銃を?

新選組に来てからも、常に袖元に隠しながらも決して日の光を見ることがなかった拳銃。日本へ来て、高杉晋作から護身用にと貰った旧型の拳銃。酷く愛着が湧き、捨てられない無骨なそれ。まさかこんな所で拳銃が出てくるとは南雲も予想していなかったのか、あまりの痛みに顔を歪めた。

しかし彼が負った傷はみるみるうちに塞がって行く。それを見た要と沖田は、南雲が鬼の一族であることをやっと悟った。

しかし、酷く冷静な頭の隅で、要はこうも感じていた。このままでは自分の中で何かが変わってしまう、と。警報が激しく音を立てていた。

「どいて。そこから」

でも、止められない。

「…!」
「どうしたの?わたしは、羅刹を倒さなきゃいけないのよ。どかないのなら、次は頭に銀の銃弾ブチ込むわよ」

南雲も思わず一歩後ずさる。要の指が再びトリガーを引こうとしたその時、彼女の左肩にぽすんと重みが乗った。それにハッとして要は振り返る。そこにはいつの間に立ち上がったのか、沖田が立っていた。少し苦しげに、しかしいつもの調子で笑っている。

たった今、要の手からもぎ取った、若変水をもう片方の手に持って。

「沖田、さん?」

要の口から零れ出た彼を呼ぶ声は、今にも泣き出しそうなほどか細く、震えたものだった。

「…駄目、だよ」
「…え?」
「君が、そんなこと…する必要、ないんだから」

次の瞬間、要は自分の心が、止まった気がした。

「戦いたいと叫ぶだけか、羅刹になって戦うか。君は言ったよね、選ぶ権利は本人にあるって」
「…まさか、」

透明な瓶の中の紅い液体がゆっくりと落ちて行くのを、要はただただ見ていることしか出来なかった。声を出すことも出来ないまま、若変水は吸い込まれていく。

沖田の、喉へ。

「っ、沖田さん!」
「…」

要が改良した変若水を飲み干した沖田は、その場にうずくまった。要は一瞬遅れて彼の身体を追い、背中をさする。さすっても、何の意味も成さないということは分かっているのに、要は彼のその大きな背中をさすらずにはいられなかった。

咳き込む沖田。身体が熱い。変若水によって、身体の構造が作り変えられていく。目には決して見えないが、その液体が身体を蝕んでいく様に、要は泣きたくなった。

やがて髪が白く、瞳は紅く変化してゆく。沖田は要を見上げた。普段あれ程まで静かに整っている顔が、酷く悲しそうに歪められている。嗚呼、

(…君を悲しませたくて、飲んだわけじゃないのに)
(どちらにしても、僕は君を悲しませることしか、出来ないみたいだ)

沖田が変若水を飲んだことをようやく事実として認識したのだろうか。要よりも更に一拍子遅れながら、南雲は、沖田が変若水を飲んだことを愚行とでも言うように、嘲り笑った。

「っはははは!…まさか本当に飲むとはね!これ位の数の羅刹、その人間の女にでも甘えて任せておけばよかったのに。でも、いよいよこれで沖田は化け物だ…」
「…化け物とでも、何とでも言えば?」

沖田の姿が、段々と羅刹のそれに変わってゆく。先程まで要を優しく見上げていたその目は、今は南雲とその後ろに控える羅刹に向けられている。ゆらりと立ち上がりながら、沖田の口から発せられた言葉に、要は耳を疑った。

「ただ、君も恐れたんじゃない?この子の、あの瞳に」
「…フン」
「用が済んだなら、もういいかな?僕、今」

すっごく気分が悪いんだ。

そう言った瞬間、白く煌めく刀が闇を切り裂いた。

沖田は、部屋に入り込んでくる羅刹を次々と切り裂いていった。彼の一太刀を浴び絶命していく羅刹を見て、興が逸れたのか、もしくは身の危険を案じたのかは分からないが、南雲は姿を消した。要はただ座り込んだまま、呆然と、彼の後ろ姿を見ていることしか出来なかった。






風間による屯所襲撃を抑え込んだ後、沖田の部屋の様子を見に向かった山崎は、その部屋の惨状を見て目を見張った。

部屋に倒れ混む多くの羅刹。畳や襖は鮮血で汚れ、むっとした死臭が部屋中に漂っている。

その奥に、沖田と要はいた。

「…要さん、沖田さん?」

気を失い、要の膝に頭を預け横たわる沖田を、要がその細い腕で抱きかかえている。部屋が暗く、要が俯いているせいで表情は見えないが、その薄い双肩は、小さく震えていた。



「ごめん、なさい…」








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