「市井要、ただいま戻りました」
「ああ。…ご苦労だったな」







要が新選組の屯所に戻ったのは、夕餉の終わった頃だった。土方の部屋を訪れ、挨拶に伺う。

屯所を出て半年しか経ってはいなかったが、その間彼女自身にも様々なことがあったのだろう。既に成人した彼女には似合わない台詞かもしれないが、少し大人びた気がすると、土方は思った。

「御陵衛士のこととは別に、てめえにゃ聞かなきゃならねぇことがある。…お前らの留守中、千姫とやらが屯所を訪ねてきた。何が言いたいか、分かるな?」
「はい。…わたしが、此処に厄介になるまでのことでしょう」
「…長州にいたっていうのは本当なのか」

包み隠さず聞いて来る辺り、土方らしいなと要は思った。いつもならそんな彼の性格に笑みを零すところだが、今はそんなことで笑えない。ぴりぴりと張り詰めた空気が部屋全体に広がっている。

千姫がどこまで話したかは分からないが、土方はある程度要のことを知っているのだ。隠しても無駄…寧ろ、嘘をつけば斬られるだろう。

「わたしは、元は捨て子でした。恐らく二十歳位という推測だけで、年齢も分かりません。…本当の名前も、」

そうだ、あの頃は名前なんてなかった。海の向こうにいたあの頃、彼女は名前の無い生き物だった。ただ割り振られた番号が名前の代わり。

「長州の高杉晋作に拾われ、何者でもない、ただの市井要として名付けられ、奇兵隊で育てられました。医療を専門として教育されたので、戦で前線に出たことはありません。…彼らに許して貰えなかったというのが正直な所ですが」

彼ら、というのは奇兵隊のことだろう。要は無意識にだろうが、高杉の話を出来るということにどこか懐かしさを感じているようだった。しかし彼女は、それ以前の、つまり外国にいた頃の話をするつもりはない。本来なら、そのことは、高杉以外の誰にも言うつもりはなかった。つい最近、思わぬことに斎藤に知られてしまったが、それは特例だ。要は捨て子であったことを告白し、外国の話は伏せ置いた。

「鬼の三人衆のひとり…不知火匡とは、奇兵隊にいる頃に出会いました」
「だから二条城の警備の時…」
「はい。風間が私を知っていたのは、不知火から話を聞かされていたからでしょう。しかし風間は私と接触したことを不知火に黙っていた。だから二条城の警備の時、彼はあんなに取り乱していたんです」

わたしも取り乱してましたけど、と付け加える要の顔は冴えない。事実、不知火に二条城で再会した時、自分は白昼夢でも見ているのかと要は思った。あいつを、高杉を裏切るつもりかと、新選組側にいる要にそう言った不知火の声が忘れられない。不知火が手を伸ばし、要を説得するかのように両の肩を掴んだのは、一緒に行こうという意味だったのだろうか。考えても仕方の無いことを頭の片隅で思案する#nameに、これまでずっと彼女の話を聞いてきた土方が口を開いた。

「…結論を聞こう。てめえは長州の間者か?風間の、鬼の仲間か?」
「………いいえ」

少しの沈黙、しかしいつもの要と比べると少し長いそれ。ひとつ、深く息を吐くと、ゆっくりと、しかしキッパリとした口調で、要は長州との繋がりを完全に否定した。

「長州とはもう縁が切れています。長州の情報も何も持っていないし、奇兵隊の人間も、今となってはわたしのことなど覚えている方が少ないでしょう」
「…」
「…何より、わたしは人間です。風間達の、鬼の道には進みません」

光が似合うと言ってくれた斎藤の顔が、目に浮かぶ。鬼の道が闇というわけでは、決してない。しかし要は、こちら側で、光の中で生きたいと思った。ごめん、と心の中で不知火に謝罪する。

(…ごめん、匡くん。わたしは、あなたたちとは一緒に行けない)

要を要にしたのは、誰だろう。自分ではない。そう考えた時、やはり一番に浮かぶのは高杉の顔だった。しかし今、それと同じく浮かぶのは、新選組の面々だった。

「…ったく、今更守る人間が一人や二人増えたって、痛くも痒くもねーよ」
「…え?」
「待遇は今まで通りだが、お前が此処にいたいと思うなら、好きなだけいればいい」

斬らないのですか、という要の言葉に、馬鹿馬鹿しいといった表情で土方は溜息を吐く。

「…新選組はいつも人員不足なんだ。たった一人の新選組隊医を、斬れるわけねーだろうが」

その時、ドタンバタン、という音が土方の部屋の外から聞こえた。勢いよく土方と要が振り返ると、そこに転がっていたのは、外で盗み聞きしていたのだろう、沖田、斎藤、原田、永倉などの幹部の面々と雪村千鶴。折り重なるようにして部屋に転がり込んでいる辺り、一番後ろにいる千鶴が転けた弾みで倒れたのだろうか。

一番最初に起き上がった千鶴が、要に駆け寄った。

「よかった、よかったです、要さん!もう、どうなるかと思って、し、心配して、」
「…は?もしかして、何、ずっと聞いてたの?いつから?」

実戦だったら命を落としている。まさかこんな大勢の気配に気付かないとは。失態だとでも言うように片手で頭を押さえる要に、原田が言葉を被せた。

「だってよ!帰ってきて早々、要が土方さんに拷問されるって掃除のが騒ぎ立てるから」
「…沖田さん」
「僕のせいにしないでよ。みんな要ちゃんが斬られるんじゃないかって心配してたじゃない」

やれやれと肩を竦める沖田に要は溜息を吐く。

今までの彼女なら、自分の過去を知られた恐怖と絶望に苛まれ、今すぐにでもこの場から飛び出し逃げるていただろう。しかしそうならないのは、先程の土方の言葉のお陰だった。過去を知ったくらいのことで、彼らは離れていったりしない。唯一要の生い立ちから今までを把握している斎藤もまた、彼女をみて微笑んでいた。

怖がることはない。もう、大丈夫だと。

ワイワイとした雰囲気で責任の押し付け合いが始まった中、要はふと気付いた。普段ならここで土方が鬼のような顔をして皆を追い返している筈なのに、今日はそれがない。一体どうしたものかと隣の彼を見上げると、要は思わず固まった。

「……」

覇気が見えるとは、こういうことを言うのだと思った。土方から禍々しい色の怒りの覇気と、般若の面が見える。それが幻覚だと分かりながらも、もうすぐ来るであろう怒りの咆哮に、要は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

「…てめぇら…」
「?」
「こんな所で油売ってる暇があったら、今夜の闇討ちの準備でもしやがれ!!」

ぽいっと部屋から追い出された一同は、互いに目を合わせ肩を竦めた。








「兵助、少しいいか?」

稽古場に行こうとした時、丁度要に呼び止められたオレは、足を止めた。

稽古場に行くというのが、本当に久しぶりのことのように感じる。新選組にいた頃は毎日のように剣の稽古に励んでいて、刀を取らない日の方が少なかったくらいなのに。稽古をしたとしても正直、自分を高められるようなものじゃなかった。手合わせをしても結局ははじめくんか要、元々早くから新選組にいた奴らの相手に落ち着いてしまう。強い弱い云々の話ではなく、ただ、本当に自然なことだった。

要はオレを、ひと気のない境内の物陰に連れ込んだ。稽古場から少し離れた角を曲がったその場所は、冬が近付く今日でもぽかぽかとしていて日当たりがよかった。

まあ、腰でも下ろしなよ。そう言って要がオレを手招きする。着物の裾が汚れるのも気にせずその場に腰を下ろし手招く彼女は、たまに本当に男なんじゃないかと疑うくらい、なんというか、無遠慮だ。気取ることがなく、さばさばしているというか。まあ、それが魅力でもあるんだけど。

「何だよ、こんな所で話って」
「…兵助、何だか此処は、寂しい所だと思わないか」

要が開口一番に零したのは、前置きでもなく、何の脈絡も掴めない話だった。オレは思わず首を傾げる。

「は?」
「わたしが食事の席で粗相をしても、注意してくれる人が少ないんだ。それまでは別に、注意なんてされたくもなかったし、ただ煩わしいものでしかなかった」
「…うん」

要は、意外なことに箸の持ち方が下手だ。誰かに注意される度、特徴的だろ?と言い訳している姿を何度か見かけたが、誰の目から見てもその持ち方は下手なものだった。

オレも食事の席で煩くして、叱られる時もあった。だけどそれは此処へきて一度もない。その理由は、一緒に騒ぐ相手がいないから、だ。そのことに気付いたのは、きっと今の要の言葉のせいだ。

「認めたくないけどな…いなくなって初めて分かったんだ。その人たちの存在の大きさに」
「…」
「離れて初めて理解したよ。人というのは、本当に、一度やってみないとそれが正しいか間違いか分からないんだから」

思っていたことと、違うことが多かった。そんなことを言うのは言い訳じみたことだと分かっていても、どうしてもそう思ってしまう。伊東さんについていって、御陵衛士になれば、オレの目標が見える気がした。だけど実際やることと言えば、何だか少し想像と違って。新選組にいた頃と、取り組み方が変わってしまった気がした。

なんとなく流されて御陵衛士になったっていうのも、今思えば、あったような気がしなくもない。でも一度選んだ道を簡単に変えるなんて、そんなの武士の風上に置けないどころか、男としてどうなんだ。オレの表情がそう物語っていたのか、要は苦笑する。

「確かに、一度決めたことを変えるのは容易じゃないよな」
「そう、だな…」
「…でも、自分の信念を曲げてまで、我慢して此処にいることは、出来ないよ」

それは、どういうことを指しているのだろうか。御陵衛士を脱退するのか、新選組に出戻りするのか、それとも…要の表情からは読み取ることが出来ない。けど、少なくとも、近いうちに彼女がどこかへ姿を消すことは何となく分かった。

「これから、争いが起こるだろう。兵助だけには言っておくべきだと思ったんだ」
「…お前が脱退するってこと、オレが伊東さんたちに密告したらどうするんだよ。言わない保障なんてどこにもねーぞ」
「大丈夫」

大丈夫だと、彼女が言う。根拠も何もないのに、どうして彼女はこうもはっきりと言い切れるのだろうか。分からない。分からないけど、要がそう言うのなら、不思議と大丈夫な気がする。

「…言わねーよ」

オレがそう返事したのを聞くと、要はふわりと微笑んで、物陰から立ち去って行ってしまった。彼女の背中は、オレとは違って、もう迷ってはいない。

きっと俺も、早く決めなければならないだろう。

新選組と御陵衛士、共存することは、出来ない。確かに俺は、御陵衛士としてなら正しい攘夷が出来ると思った。けど、正しい攘夷って何だよ。そんなの誰が決めた?分からない。左之さんを坂本龍馬殺しの犯人に仕立て上げたり、そういった衛士の活動は、本当に攘夷に必要性なことなのかよ。それは、違うと思った。俺は御陵衛士で、だけど、寂しくて。みんなと、新選組のみんなと一緒にいた頃が懐かしくて、オレは、

「…戻りてぇな…」



近藤さんが笑ってて、総司が土方さんをからかって、左之さんと新八っつぁんが要を巻き込んで馬鹿やってて、はじめくんがいつも通り静かに、でも心配そうに見守ってて、千鶴が淹れてくれたあったかいお茶をみんなで飲むような。



あの、かけがえのない場所に。








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