間者という役割のもと、御陵衛士として活動し始めてから、三ヶ月ほど経った頃だ。医者という職業を持つ要は、他の衛士達と違い、患者がいなければ特にすることがない。表立って大きな戦闘がある訳でもなく、怪我人もないので、要は暇を持て余していた。

しかし、表立って大きな波は立っていないものの、御陵衛士という組織の内側では、確かに何かがうごめいていた。

「…これでよし、っと」

幸か不幸か、要は自他共に認められるほど、伊東に気に入られていた。ただの一介の医者でしかない彼女だが、武士ではない人物だからこそだろうか。伊東はよく彼女の元を訪ねては、仕事の息抜きに世間話をしていった。時には自分の美学や恋愛観、時には御陵衛士のこと、そして新選組のこと。仕入れられる情報量には毎回差があったが、要はそれを文にまとめていた。その纏めた文書をどうするのかと言うと、土方に届けるのだ。経過報告とでも言うのだろうか。間者とはいえ、衛士としての仕事がある斎藤に代わり、その役目は要が担当していた。

そして今日が、三度目の経過報告の日だった。

「斎藤さん、少し薬草の調達に町へ行ってきます。もし誰か診療所へいらっしゃったら、その旨をお伝え頂けますか?」
「了解した」

薬草の調達、というのは、二人の間で決められた隠語だった。薬草の調達という名目で町へ出て、向かうのは売り市場ではなくこじんまりとした茶屋である。御陵衛士の屋敷にいる時も、新選組の屯所にいた時も、要は基本的に外に出ることがないので、町に出ても何も疑われることはない。それでも

「流石にわたしが直接屯所に行く訳にはいかないからね」
「…だから俺たちが毎度こうして茶屋で待ち合わせしているんでしょう」
「山崎、いつもわたしより来るの早いね」

感心感心、と言って茶を啜る要の隣に座るのは、新選組監査方の山崎だった。忍装束ではなく深緑の着物姿の山崎が何故彼女と会っているのか。それは、要がしたためた文書を土方へ届ける役割に山崎が就いているからだ。

「はいこれ、わたしからの恋文」
「こっ…!?」
「何焦ってるの。…いつもの文書よ。こうでも言い訳しないと周りに怪しまれるでしょう」
「…こういうやり取りが既に怪しいと思いますがね…」

茶化すようにケタケタと笑う要から山崎は顔を背ける。要を目の前にすると、どうにも調子が狂う。羅刹を知っているというだけで屯所に転がり込んできた市井要という医者。性別を男と偽っているようだがーー実際には女の医者。山崎や島田を除く周囲の平隊士には隠し通せているようだが、幹部にはバレバレだ。否、幹部全員で隠しているのか。

「分かってるんでしょう?」
「…何のことでしょう」
「またまた」

要の問い掛けには主語すらないが、本当は分かっている。要の性別が女であること。しかしはぐらかすように山崎は白を切った。

幹部が総力を挙げ市井要の性別を偽っているのは、隊士の士気を下げないため。そうは分かっているものの、やはり意識してしまうのは致し方ないことだと思う。山崎も要もまだ若いのだ。

「そっちの調子はどう?」
「…そういえば、先日、千姫という方が屯所に訪ねて来られましたよ」
「えっ、お千!?君菊も?」
「はい。風間達から逃すため共に来ないかということでしたが、雪村くんとの会合の結果、そのまま流れました」
「…わたしの話、した?」
「少しですが」

千姫という名前に要が明らかにそわそわし始めたのが見て取れる。一方でまた、山崎が要のことを知りたがっている様子なのも分かった。隠していた訳ではない、と言えば嘘になるが、彼女も事情が事情だ。新選組に転がり込んだ当初言えなかったこともある。要はバツが悪そうに口を尖らせた。

「お千には昔世話になってた時があったんだけど、お千と大河って女と喧嘩別れしてね。わたしは京に残らず、江戸へ渡った大河を追ったから、それ以来お千とは会ってないんだ」
「…奇兵隊に所属していたと聞きました」
「そんなことまで聞いたのか…」

彼女は疲れたようにがくりと項垂れた。お千のお喋りめ、と愚痴を吐きながら要は山崎の追求に答える。

「…まあ、奇兵隊の高杉晋作なんて言えば、今となっては長州の過激派の渦中にいた人間じゃない。ただでさえ新選組預かりの身なのに、更に自分の身を危険に晒すことなんて言えるわけもなし」
「確かにそうですが…」
「昔の話だよ、昔の」

この話はもう終わり、とでも言ったように、要はパンと手を叩く。

「今度はわたしが質問させて。沖田さんの様子はどう?」
「…良くはなさそうです。松本先生に来て頂くことが多くなりました」
「彼から剣を奪いたくはないけど…彼に何かあると皆が心配するからね。松本先生もそろそろ療養させようとするかもしれない」
「戦力的にもかなりの痛手ですね」

はあ、と双方思わず溜息を吐く。沖田が土方達に言い負かされるか、勝つかの勝負所である。どちらにせよ要のすべきことは、本人や周囲の人にとって最善の策を尽くすだけだ。

「こっちのことは、その文に詳しく書いてある。また土方さんから指示が出ると思うから、後はよろしく」
「はい」
「じゃあまた、一月後に」

ひらひらと手を振り要は去って行く。山崎はその背が角を曲がるまで見送った。

任務のようで、任務ではないような心地だった。当初は要に対し嫌悪感を抱いていた山崎だったが、池田屋のことをきっかけにその考えは改められた。腕の立つ医者としての信頼、尊敬。気取らず、飾らず、物怖じしない性格、自由奔放な行動をするその様に、呆れながらも魅力を感じたのはいつの頃だっただろう。

「…俺がこんなことを考えているとは、あの人は露ほども知らないんだろうがな」

要はどうやら山崎の気持ちに全く気付いていないようだ。彼女にとって山崎は、弟分といったところだろうか。好かれているというよりは、慕われていると感じているのだろう。ただでさえ歳上の要には何かとからかわれることが多い。好意を本気に受け取って貰うことは難しいだろう。それでも、山崎が要に惹かれているのは紛れもない事実なのだから仕方が無い。

山崎にとって今回のこの任務が、任務であって任務ではないのは、そういうことだ。

あと何度、こんな風にーー一何者でもない普通の恋人がするように会えるのは、あと何度だろう。要の姿が完全に見えなくなるまで、山崎はその場に立ち尽くし彼女を見送った。

















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