そうあれは昨日。


京に向かう為、要はすぐに治療薬等の荷物を纏めた。その時は宿の当てなど無かった。第一に料金が安い。規模の大きい小さいだとか、豪勢だのみずほらしいとかどうでも良かった。ただ安心して眠れる所なら何処でも。


東西南北には疎いが、その時の彼女は何故か希望に満ちていた。思い切った自分の行動に気持ちが高ぶっていただけかもしれない。でも何故だろう。満ち足りていた。


「気をつけろよ、要」


江戸を離れる時、大河が言った言葉だ。そして少ない荷物と商売道具を抱え要は家を出た。


今思えば




なんと馬鹿なことをしたのだろう。











「ひゃっはははははは!」


どうしてこんなことになってしまったのだろうか。要は心の中で思案した。自分はただ、禁門の変での火事で負傷した人の治療に来ただけなのに、と。


「………っ」


人手が足りないとか言ったのは何処の人間だ。是非ともその面を拝みたいと悪態を吐く。


何が起こっているのかを簡潔に説明すると、要は今、西洋で言う吸血鬼―――つまり日本で言うところの羅刹に追われていた。


「はっ、…うざいなあ、もうっ!」


鬱陶しい。ガチャガチャと商売道具であるメスや小鋏の音と、自身のぜいぜいという息遣いが酷く耳障りだ。


「いい加減っ……しつこい!」


要は常時懐に忍ばせている拳銃を取り、羅刹に向けて発砲した。一発は逸れたが他は全て急所に当たったらしく、血に飢えた羅刹達は々とその後ろからやってくる羅刹を倒す程の銃弾を持ち合わせていない彼女は再び走り出した。


(…銃使うの、西洋にいた頃の方がうまかったな)


(それより、何で羅刹がこんな所に…?)


どの位走っただろう。額には汗が滲み、動かす脚の感覚も無くなってきた時、視界がぼやけて前が見えていなかった要は遂に何かとぶつかり尻餅をついてしまった。


(っ、新手…!?)


新たな羅刹かと思い受け身を取った要だったが、思っていたような攻撃は来なかった。恐る恐る目の前に立つ人物を見上げる。まず要が真っ先に目を奪われたのは金色の髪。そして赤い瞳だった。


腰に刀を差しているということは侍なのだろうか。その男は刀の柄に手を添えると、それを鞘から引き抜き要の方へと向けた。刀身がギラリと月の光を映す。


「そこの女、下がっていろ」
「え、」
「邪魔だ」


男は刃を振るった。しかし彼女の身に痛みは全くない。




何故なら男の刀は要ではなく、彼女のすぐ後ろに迫っていた羅刹を貫いたからだ。





(……強い)





男は強かった。次から次へと羅刹を斬り倒していく。鮮血が飛び散る様さえ彼の前では美しく見えた。


地面に尻をついたまま呆けてそれ見ていた要は、ふと羅刹の纏っていた衣服に目線を向けた。


(浅葱色の羽織り……?)




そしてその数分後、要を襲ってきた羅刹は1人も立っていなかった。




「……うそ」
「ぐずぐずするな。さっさと立て」
「うわ、」


男は膝を折り曲げしゃがみ、要の手首を掴むと一瞬で彼女を地面に立たせた。凄い力だ。要は尻に付いた砂を手で払うと、その男に向き直り頭を下げた。


「…ありがとうございました」


礼を述べ、顔を上げ男の顔を見る。彼は最初、眉間に皺を寄せた表情をしていたが、要の顔を見てみるみると口角が上がり笑顔になっていく。


「あの……何か?」
「…貴様、もしや」



「風間、そろそろ引きましょう。もうすぐ新選組の者達が騒ぎを聞きつけてやって来る」



風間。


今要の前にいる男の名は風間というらしい。


風間は渋い顔をして、自分達の背後から聞こえてきたその声に振り返った。要も彼の後ろから覗き見る。


今風間の名前を呼んだのは長い紅髪の男。同じ色の髭を長く伸ばし、落ち着いた色の袴を着たその男はずんずん此方に歩いてくる。


「天霧か……分かっている」
「この方は貴方のお知り合いですか」


風間に不知火と呼ばれた男はまじまじと珍しいものでも見るように、風間の後ろに隠れている#名前#の方を見て言う。その目はまるで全てを見透かすような雰囲気で、何故かその瞳に挑発されむかついた要は天霧を睨み返した。


その時彼が右手に持つ拳銃が目に入った要は目を輝かせた。


(…すごい。米国式の、最新のH-0012X型だ)



拳銃に馴染みの無い日本では見ることが出来ないと思っていたのだが、まさかこんな所で拝めるとは思っていなかった要。ちなみに彼女が持っているのはかなり旧式のX-P012型。ずっと使っているせいか、重く少し大きい。


すると、風間は何かに気が付いたような表情で天霧の手元を見る。


「どうした、銃など持って。お前なら素手で十分だろう」
「…いつものことです。不知火に押し付けられた使い古しの拳銃ですよ」


まったく困ったものですよと呆れたように言いながら、要の視線に気付いたらしく、天霧は首を傾げる。


「どうかしましたか」
「いえ別に」
「では、話を戻しましょう風間。…この方はまさか不知火の」
「天霧、こいつはただの人間の女だ。勿論不知火には何も言う必要はない」
「…」
「要、一応忠告しておく」


風間はちらりと何処か向こうを見てから彼女の名前を呼んだ。ふと要は疑問に思う。彼等とは今日出会ったばかりなのだ。何も言っていないのにどうして私の名前が分かっているのだろうか、と。


要は口を開く。


「あの、以前何処かでお会いし
「俺達はもう行く。お前も逃げた方が良いぞ」
「え、」
「いたぜ総司!」
「…来たか。ではな、要」



人の走る足音が辺りに響く。遠くに浅葱色が見えた次の瞬間、風間は天霧を連れて橋から飛び降りた。要は驚いて橋の手すりから身を乗り出し下を見たが、既に彼らの姿はそこになかった。


そして残されたのは要1人と大量の羅刹の亡骸。


(……ちょっと待て。新選組が来るってことは、真っ先に疑われるのは私じゃないか)


確かに何人かを拳銃で撃ち殺しはしたけれどあれは正当防衛であり、故意に殺した訳ではない。なのに自分だけが捕まるのは理不尽すぎるだろうと#名前#は舌打ちをする。


「…逃げた方が良い、ってこういうことですか」


要は走り出した。しかし流石に男と女。浅葱色の羽織りを身にまとった新選組隊士が迫ってきたと思った瞬間、彼女の前には一人の隊士が立ちふさがっていた。


(…しまった)


きっと彼等には、新撰組が追ってくるのが分かっていたのだろう。要は浅い溜め息を吐き両手を挙げた。数名の隊士が彼女に向けて剣を構えているのは、残念ながら良い状況とは言えない。


要はこの状況の誤解を解こうとにこやかな笑顔で彼に向き直った。


「おまえっ!今…今っ、何してた!」
「…歩いていただけですが」
「とぼけんな!その腰の刀が何よりの証拠だろ!」
「えええええ」
「はあっ!」


そう叫ぶなり、彼は要の反論の叫び声(棒読み)も無視し、隊士の仇を取ろうと彼女に向かって斬りかかってきた。


(…なんて短気なんだろう)


まさか一言も聞いてもらえないとは思っていなかった要は、先程の笑顔のままこめかみを引きつかせる。理由?勿論怒っているからだ。


そして懐の拳銃に手を伸ばし―――




「待って、平助くん」




その時、隊士の背後から凛とした声が聞こえ、彼の動きはぴたりと止まった。


平助と呼ばれた隊士を押しのけて現れたのは、茶色い髪をした男。腰に刀を二本差し、新撰組の浅葱色羽織りを着ている。


「総司!」
「僕はその子がこれをやったとは思えないな」


こちらの方の隊士は些か理解力があるらしい。要はゆっくりとその茶色の髪の隊士に目を向けた。


「何でだよ総司!」
「よく見てみなよ、平助」


総司と呼ばれた男は要の持つ鞄に目をやり言った。


「よく見てよ。その鞄の紋章、左之さんが言ってた医者じゃない?」


唖然。


要と小柄な隊士の様子を表すと、正にこの一言がぴったりだった。


この鞄は要が昔世話になった人物から譲り受けたものだ。そしてこの紋章は診療所のもの。


総司と呼ばれた人物は、何故紋章を見ただけで要の職を理解することが出来たのだろう。何故新選組が羅刹に関わっているのだろう。左之、とは誰のことなのか。次々に沸いてくる疑問を頭に連ねながら、要の眉間に皺が寄る。


そして極め付けにはこの一言。


「君を屯所に連れて行くよ。拒否権はないけどね」
「な、」
「はあ!?」


目の前の男が何を言ったか誰か教えてほしい。要と背の低い彼はそんな顔をしていたに違いない。


すかさず小さな彼が大声で反論する。


「何でだよ総司!こいつは羅刹を」
「決定打はないでしょ。それに平助くん、大きな声で羅刹なんて言っちゃ駄目だよ」
「…でもよ、」
「この子は屯所に連れて行く。…それに、僕達の独断で目撃者の処分を決めることは出来ないでしょ?」


背の低い隊士は渋々だが納得したようだった。


『気を付けろよ、要』
『お前も早く逃げた方が良い』


大河の言葉と、先程の風間の警告が頭に響く。何だか頭が痛くなってきて、要は目を閉じた。









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