世界は暗闇だった。それはわたし自身が自分の膝に顔を埋めていたせいでもあるけれど、それでも世界は真っ暗闇で、わたしは、ひとり、だった。そう、奴が現れるまでは。

「何だ、腹でも減ってンのか?」

頭の上から飄々とした声が降って来た。今まで耳にしてきた言語とは違う言語だったけれど、不思議とそれを理解することができたのはなぜだろう。恐らく、わたしとその声の主の生まれが同じか、それとも今まで少しでも聞いたことのある言語だからだろうか。圧倒的に後者の可能性が高かったが、当時のわたしたちにはそんなことどうでもよかった。

「返事しねえなら焼いて煮て食っちまうぞ」
「…だれ」
「人に名前を尋ねる時は、まず自分から先に名乗るのが礼儀だって習わなかったのか、あン?」

ドスの効いた声で礼儀を問われてもせっとくりょくが無いのに気付かないのだろうか。今考えてもおかしな話である。

なまえは、確かに呼ばれていた。けれどそれはもう、記憶の片隅にもない。

「…わすれた。呼ばれてた気もするけど、もうおぼえてない」
「…お前、何処から来た?」
「けんきゅうじょ」
「ふーン…じゃあお前の名前はこれからイヌだ」
「やだ」
「なら顔上げろ。顔見ねえことには名前なンざ付けられねえ」

そのことばに、何が秘められていたのだろう。どんな魔法がかかっていたのだろう。今となってはもう何もわからないが、わたしはゆっくりと顔を上げた。久しぶりに見た外の世界は明るく日が照っていて、目の前には笠を被った一人の男がしゃがんだ状態でこちらを見ていた。

「よう、餓鬼」

そしてにやりと、笑った。

「俺は高杉晋作。これからお前の名前は要だ」









「大河ァ!」

首から聴診器のようなものをぶら下げている女性に、晋作は親しげに声を掛けた。振り返った女性は晋作の姿に気付くと片眉を上げ、次にわたしの姿が視界に入るとその眉をしかめた。

「なんだ晋作、また拾ってきたのかよ。しかもそんな薄汚いガキ」
「生意気そうな目つきが気に入った。要だ。ほら要、挨拶しろ」
「…」

高杉晋作、たかすぎ、しんさく。彼に手を引かれるまま、わたしは森の中にひっそりと佇む、しかし大きな家屋に入った。

そこに住んでいるのは彼だけではなかった。何十人、下手したら百人以上いたかもしれない。そう思うと同時に、やけに見覚えのあるものが視界に入ってきた。大砲だ。それも何台も。眉をしかめつつ晋作の着物の袖を引く。

「戦争でもするの、」
「戦争なあ…まあ、そうだな」
「どこと?」
「幕府だよ。つーかお前、俺らのこと知らねえのか?危機感ねえなあ」

正直わたしにとっては彼らが何者でもよかった。晋作は、なまえをつけてくれた。わたしに。要、と、声に出して呼んでくれた。たとえそれが本当の名前ではなくても、わたしはそれだけで嬉しかった。だからわたしは。

「ねえ、」
「ん?」
「わたし、戦えるよ。これの使い方、わかる」
「ンだと?…そうか、お前まさか、日本の外から来たのか」

無一文でも、小柄な子供にできる事はあった。無一文だから客としては船に乗れない。貨物に紛れ船に乗り、着の身着のまま海を渡ってきたことはおぼえている。しかし今いる此処がどこなのか分かっていなかった。海を渡ったから、違う国であることは間違いないだろうと、それくらいの認識でしかなかった。

「んん、よくわからないけど、今使ってる言語は、わたしが前に話してたものではない、かな」

晋作は少し眉間に皺を寄せ考える素振りを見せた。これは後から知ったことだけれど、彼には子供時代に複雑なことがあったらしく、子どもを戦場に向かわせることを良く思っていなかった。だからだろう、彼は一度も、わたしを戦わせることはなかった。

「…いや、お前は戦わなくていいんだ」
「じゃあ、なんで拾ったの?」
「そうだな、じゃああれだ」




「お前には、医療を手伝ってほしい」









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