慶応元年 閏五月



新選組は屯所を西本願寺に移した。

理由は三つ。

まず初めに、西本願寺は長州の人間が隠れみのにしていることもあり、新選組がそこを押さえれば彼等は隠れる所を一つ失う。次に、西本願寺は京に近いこともあり、以前まで屯所だった壬生の八木邸より隊務に出掛ける際、手間がかからなくなった。そしてやはりというか、西本願寺を選んだ一番の理由は広さだと思う。雑魚寝を強いられている隊士達もゆとりを持って眠りにつくことができたし、何より伊東派の目から山南を隠すには丁度よかった。

「それに、診察室が広くなったのは嬉しいかな…」

それともう一つ。西本願寺が広いお陰で、要の診察室が少しだけ広くなったのだ。これは彼女にとって少なからず大きいことだった。診察室が大きいということは、患者の受け入れも支障なく滑らかに進む。江戸に出向き隊士の募集に励んでいた藤堂が帰還したことも加え、彼女はご機嫌だった。

「皆も、徳川第十四代将軍・徳川家茂公が、上洛されるという話は聞き及んでいると思う」

そう

「その上洛に伴い、公が二条城に入られるまで新選組総力をもって警護の任に当たるべし…との要請を受けた!」

近藤の朗々たるこの言葉を聞くまでは。

「というか、何故私もこの会合に参加しているのでしょうか。たかが医者なのに」
「…構わないだろう。雪村も参加していることだしな」

隊士達が歓声を上げる中、要の隣に座る斎藤が彼女の独り言にぼそりと返す。

「上洛の警護とはまた。もしも山南さんが生きていれば…本当に惜しい人を亡くしましたねぇ、市井くん」
「えっ、ああ、はい。本当に」

急に伊東から話を振られた要は慌ててはぐらかす。

伊東は山南が死んだと思っているが、実際のところ今現在も彼は生きていた。ただ一部の幹部と千鶴、そして要しかその事実を知らないだけで、殆どの隊士が伊東と同じように、山南は死んだと知らされただけなのだが。

不調の沖田と藤堂を除き、近藤と土方が中心となって隊士の編成を考えていく。

「で、お前らはどうすんだ」

上洛の警護に参加する、参加しないの話が進んでいく中、ふと土方が千鶴に声を掛けた。彼女の後ろで膝を抱えていた要にもその声の矛先は向けられているようだった。それに気付いた要は怪訝そうに土方を見て首を傾げる。そして自身の隣に座る斎藤を見、彼が何も言葉を発しないのを受け、再び土方を見やった。ようやく話の大筋を理解出来たのか、要の眉間には先ほどよりも深い皺が刻まれている。

「お前ら…って、もしかして私も含まれてます?」
「…呆けてんじゃねぇよ。お前らは警護に参加するのかって聞いてんだ」
「わ、私も良いんですか!?」
「無論、構わないとも。君達も今や新選組の一員と言っても過言ではない。良かったら、是非参加してくれ」

近藤がいつもの明るい口調で言う。千鶴が驚きの声を上げる後ろで、要は頭を抱えていた。

「良いじゃねぇか、お前も参加したら」
「…だから、私はただの医者であって隊士ではないって何回も言ってんだろ!」

原田の茶化すような物言いに要は思わず声を大きくする。その反応に隊士の大半が笑った。最早彼女と原田の会話など日常的なものでしかなかったが、ことあるごとに隊士達はそれを面白がるのだ。

そんな彼らを尻目に不機嫌さを露わにする要と、慌てる千鶴。正反対の二人に、今回は不参加の沖田と藤堂が笑った。

「まあ、身の心配はないと思うよ。将軍を狙う不届きな輩はそうはいないから」
「行ってみるのも良いんじゃねーの?斬った張ったの騒ぎにはならないだろうし」
「…もし斬った張ったの騒ぎになったら?」
「あー…そん時はまあ、あれだ。どうにかなるだろ!」

藤堂の適当な言葉に要はうなだれる。そんな彼女とはこれまた対照的に、きらきらとした表情で千鶴は宣言した。

「参加します!させて下さい!…ね、要さんも一緒にやりましょうよ!」
「うぇ…」

尚も嫌な顔をする要に、不思議そうな表情で斎藤が尋ねる。

「…そこまで拒否する理由が何かあるのか?」
「いえ…将軍上洛の時やこんなことを言うのは何だと思うんですけど…」

要は溜息を漏らす。

「何となく、嫌な予感がするんです」






会合を終えてから、要は境内でぼーっと空を見上げる藤堂の姿を見付けた。

「平助」
「…ん、ああ。要か」

藤堂はちらりと要に視線を移し、そして彼女に隣に座るよう勧める。要は素直に彼の隣に座った。

「…何か、初めて屯所に来た日みたいだなあ」
「ん?」
「いや。あの日もこうやって、平助が隣に座るように床を軽く叩いてたなって」

懐かしむように要は目を細める。

「そういえばそうだな」
「それで平助。上洛の警護に参加しないのを体調不良のせいにしてたけど、本当の理由は何なんだ?」
「…やっぱり要にはお見通しかー」

降参、とでもいう様に藤堂は両手を上げる。ぱっと見た目で判断するのはよくないが、仮にも医者である要から見て、藤堂は明らかに風邪を患っているようには見えなかったのだ。これまでの彼なら喜んで参加するであろう今回の、第十四代将軍・徳川家茂の護衛。そんな晴れの舞台に藤堂が嘘を吐いてまで参加しない理由は何なのか。要は平助の隣で、空を見上げながら口を開く。

「私にはよく分からないけど、新選組にとって将軍上洛の警護なんていうのは、かなりの晴れ舞台じゃないのか?」
「…まあ、そうなんだけどさ」

言い淀む藤堂。しかし短い沈黙の後、意を決したかのように彼は心の内に仕舞った言葉を吐き出した。

「…行きたくないんだ。外国勢力を追い払おうとしない将軍の警護に」

その言葉に、要は成る程とでもいうように顎に右手を添える。

元々新選組という組織は、将軍が京に上洛するにあたって、天子のいる京の治安維持を図ることを目的として設立されたのだと藤堂は言う。創立当時は幕府を支持するか否かではっきりとした区別などなかった筈なのだが、人の思いに反し時は巡るものである。幕府のために働くということは天子のためでもあるという新選組の考えと比例するかのように、最近の幕府は外国勢力を追い払わない。否、要に言わせてみれば、寧ろ幕府は外国の者を歓迎しているようにも見える。

「まあ、良いんじゃないか?平助がそうしたいのならそれで」

要はさほど深刻でもないようにさらりと返す。藤堂は思わず拍子抜けし、苦笑を浮かべがくりと項垂れた。「要はどう思う?」
「…どう思う、っていうのが今の政治に対して聞いているなら、そうだな…平助には悪いけど、大した期待はしていないな」

ぐっと藤堂が眉間に皺を寄せる。要がそう言うであろうことは何となく予測出来ていたが、それでも彼は悔しかった。彼女が新選組に雇われ自分達と共に生活している中で、少しは距離も縮まったと思っていた。そんな彼女に、何処か冷めた声でそう言われたことが、何故か無性に悔しく思えたのだ。しかし要はそんな藤堂の心情を知ってか知らずか、そこで中断することなく話を続ける。

「日本は天子を絶対的な存在として崇めてる感じがする。悪いが私は無宗教派なんだ」
「むしゅうきょう…?」
「私の中では、この世界に神はいないと定義されてるってことだ」

神はいない。

そう言った要の横顔が、藤堂にはひどく冷たく見えた。それこそ、先ほど感じた悔しさなんて吹っ飛ぶくらいに。

要は更に続ける。

「神なんていないね。いたならそれは幻想だ」
「…」
「現に今も世界の何処かで戦いが起きている。死ぬ人がいる。なのに神は見ているだけだ。だから」



「だからこそ私たちは、神なんかに頼らず自分で自分の道を切り開いていかなくちゃいけないんじゃないかと思うよ」



どう考えるかは勿論個人の自由だ。そう言い残し要は腰を上げた。

「私は今回の護衛に参加するよ。怪我人なんて出ないとは思うけど、一応な」
「…気をつけろよ、要!」

去ってゆく彼女の背中に、藤堂は思わず声をかける。

「ああ。何かあったら宜しく頼む」

要は右の手をひらひらと振り、次第に建物の陰に消えて見えなくなった。藤堂はその姿を、彼女が姿を消すまでずっと立ったまま見送っていた。





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