元治二年 二月


「…寒い」


要がぼそりと呟いた言葉が、空気に触れて消えた。







京の冬は冷える。とにかく冷える。寒さが足元から全身に駆け巡る。しかし朝が来れば起きなければならない。要は寒さを恨めしく思いながら、吹く風に身を縮こまらせる。そんな時、ふと前方に見慣れた後姿を見つけた。

「左之、おはよう」
「おー要か、寒いなあ」
「今朝は特に冷える」
「あれだな、あれ食べてぇ。ごった煮鍋」
「何だそれは」

ごった煮鍋、という聞き慣れない単語に要は怪訝そうな表情で眉間に皺を寄せる。

「知らねぇのか?鴨とか白菜とか、とりあえず好きな具をぶち込んで煮込むんだよ。平助と新八とやった時は確か、酒も入れたな」
「肉は嫌いだ…」
「お前、人生の半分は損してるな」

肉を嫌いという要に原田は哀れみを含んだ目を向ける。

「そういえば、平助はまだ江戸にいるのか」

懐かしむような声で要はぼそりと呟く。少し前から隊士を集めるために彼は江戸へ向かっていた。数週間のことの筈なのだが、もう何ヶ月も会っていないように思えた。というよりも寧ろ

(避けられている、ような)

池田屋事件の前から藤堂は何処か要に余所余所しい態度を取っていた。それは彼女の秘密主義に対するものなのだが、それを要自身が知る筈もなく、事態は平行線の一途を辿っている。

「まあ、その内帰ってくんだろ…あ」

不意に、原田が何か嫌なものでも見つけてしまったかのように表情を歪める。何事かと彼の視線の先を辿ると、そこには一人の男性がいた。紅い椿の成っている枝に触れ、椿にというよりはどちらかと言うとーー朝露に映る自分に酔っているように見えるその男こそ、最近新たに新選組に入隊した伊東甲子太郎である。見つからない内にそこから立ち去ろうとした二人だったが、目ざとい伊東は廊下にいる原田と要を見つけた。

「あら。原田さんに市井さん、おはようございます」
「要、任せた」
「は?」

それっきり原田は口を閉ざしてしまう。彼は相当、この伊東が苦手なようだ。とはいえ要も他人のことは言えない。原田程ではないとはいえ、彼女もまたどことなく伊東を嫌悪していた。しかし仮にも相手は参謀。隊士でもない一介の医者が参謀に対し無下な扱いをする訳にもいかないので、内心溜息を吐きつつ、要は無理に矢理笑顔を貼り付けた。

「おはようございます伊東さん。どうかなされたんですか、こんな寒い所で」
「椿の花が綺麗に咲いていましてねぇ。散歩の途中で、思わず見惚れておりましたのよ」
「そうですか。お風邪を召されないようにお気を付けて」
「御一緒にいかがかしら?」
「いえ。折角のお誘い、とても嬉しく思うのですが、これから幹部全体で会合があるそうなので。お先に失礼します」

では、と早口に言って要はそそくさとその場から立ち去る。原田もそれに続いた。

「おい、どういうことだ。何か喋れ」
「なんか苦手なんだよなあ、あの人」

恨みがましい目で原田を睨みつける要。

「なんであんな人が此処に来たんだ。隊士でもない私が言える立場ではないだろうけど、甚だ疑問だな」
「近藤さんと、攘夷の面では意見が一致したんじゃねぇの。多分だけどな」
「ああ、佐幕攘夷か」

尊王や佐幕と言っても、人によって様々な考えがあるらしい。近藤率いる新選組は基本的に、幕府が政治を動かし天皇を尊ぶ攘夷を念頭に置いているらしい。無宗教の要にはあまり興味がないが

「いいんじゃないか。平和なら、それで」
「相変わらず政治には無関心だな…」
「時代は流れる。私達はその中のほんの一部でしかない。そんな一瞬のことに興味を示すほど、私は政治で時間を潰したいとは思わないからな」

そんなことをぼやいている内に、彼等は広間の扉の前に立っていた。

「おはようございます」
「おはよう」

襖を開けて中へ入ると、そこでは既に幹部が円になって座っていた。この光景にも最早見慣れたものである。しかしいつもは一番かその次に早い筈の斎藤の姿が見当たらない。

「斎藤さんは」
「ああ、そういえばまだ来てねぇな。悪いが市井、ちょっと見て来てくれ」

良いように使われている気がする、と内心で思いながら、土方の指名を受けた要は部屋を出て行く。その他にも一つ席が空いていたが、そこは先ほど会った伊東の席なので敢えて触れなかった。誰も彼を好き好んで探しに行く人などいない。

「あ、いた。斎藤さ…」

その足が止まる。彼は椿の木の前にいた。隣には参謀・伊東甲子太郎。ふと要は疑問に思う。あの二人はそんなに仲が良かったのだろうか。記憶がない。

「ご歓談中失礼します」

不思議に思いながらも要は縁側から降り立ち二人の傍らに歩み寄る。彼女の気配に気付いたのは、意外にも斎藤ではなく伊東だった。

「斎藤さん、土方さんがお呼びです。…参謀も、会合に参加されるのでしたら、そろそろ向かわれた方が宜しいかと」
「そうですか。では斎藤くん、この話はまた。市井くんも一緒に行きましょう」
「いえ、自分は隊士でもない一介の医者なので、会合に参加するのは…」
「だからこそです!医者だからこそ、新選組についての話し合いに参加すべきだと思いますよ」
「はあ…」

伊東の強引さに、彼に対する要の嫌悪が更に募る。そんな伊東を止めたのは、先程まで会話に参加すらしていなかった斎藤だった。彼は要の手首を掴んでこう言った

「怪我のことで彼に相談がありますので、少し彼をお借りしたいのですが」
「まあ」

伊東は驚いたように口に手を当てる。斎藤を舐め回すような目で見、そして次にその目で要を見ると、何を企んでいるのかにっこりと笑みを浮かべた

「では私は失礼しますね。お二人とも、会合に遅れないようお気を付けて」

先程まで会合に遅れそうになっていたのは何処のどいつだ、と内心悪態を吐きながら伊東の背中を見送る。

「でも斎藤さん、何処か怪我されたんですか?診察室には滅多にいらっしゃらないのに」
「嘘だ」
「え」
「怪我なんてしていない。ただ伊東さんから、」

と言いかけて斎藤ははたと喋るのを辞める。言っていることが急に恥ずかしく思えたのだろうか、その顔は真っ赤だった。微笑ましく思いながら要は彼の言おうとした言葉の続きを口にする

「…助けて下さったんですね。ありがとうございました、斎藤さん」
「…」

斎藤は目を逸らして黙り込んでしまう。そしていつもより些か早足で広間へ向かい歩き始めた。

「行くぞ」
「はい」

普段滅多に見せない表情の斎藤が面白く、要はくすくすと笑ながら斎藤の後ろを追いかける。

「…あれ」

ふと要の足が止まった。視線の先にあるのは斎藤の後ろ姿だ。彼の背中など屯所に来てから何度も見て来た筈なのに




「…似てる」




その後姿に、懐かしさを感じたのは、何故だろう。










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