夕暮れ。要が薬箱を運んでいると、反対側から歩いてくる人影がふと目に入った。長州の襲撃に備え出陣していた筈の斎藤である。彼が屯所にいるということは守備の仕事は終わったらしい。浅葱色の羽織りを手に持ち、何か考え事をしているのか眉間に皺を寄せながら歩いており、普段から人の気配には目ざとい彼が、どうやら今は珍しく要の存在に気付いていないらしい。そんな彼に要は声を掛けた







「あ、お帰りなさい斎藤さん」
「…、ああ」

斎藤は顔を上げると、少し意外そうな目で目の前の要を見た。彼にそんな表情をさせることをした記憶がない、というよりは思い当たらない要はその視線を受け逆に斎藤を見て首を傾げる。

「え、私何かしました?」
「いや、…少し驚いただけだ。もう大丈夫なのか」
「?」
「少し塞ぎ込んでいただろう。池田屋の時のことで」

今度は要が驚かされる番だった。治療を終えたあの後は左之と話してから翌日には部屋から出たし、彼以外には醜態を晒していない筈なのに、何故斎藤が知っているのか。その質問に斎藤はさも問題はないだろうというかのように答える


「見れば分かる。あんたは意外と顔に出やすいからな」
「…斎藤さん、エスパーみたいですね」
「なんだエスパーとは」
「いえ、特に意味はありません」

エスパーは外来語だ。外来語とは言っても今の日本は外国との交流が盛んではないため、日本は外来語という言葉すら受け入れられないかもしれない。日本に入ってきていない言葉を何故知っているのかということで問題を起こしたくはない。要は何事もないというように首を横に振った

「そういえば市井、あんた知り合いに天霧という男はいるか」
「天霧?」

元々決して広くはない交友関係。そんな中で天霧などという珍しい名前の知り合いなど

「…ああ、でもそういえば」
「いるのか?」
「あ、知り合いというか…京に来てすぐの時にちょっと会ったことがあるくらいで、詳しくは知らないです。彼がどうかしましたか?」

斎藤は昼間対峙した天霧との会話を思い出していた。



(「今日は市井さんはご一緒ではないのですか」
「…あんたはあいつの知り合い、というわけでもなさそうだな。市井に何の用だ」
「いえ、特には何も。ただ、市井さんがいないと私の仲間の一人が些か不機嫌になるものでして」)



「…いや、それならいい」
「あ、」

つい、と斎藤が要から視線を逸らす。まるで嫌な予想を振り切るように。

些かの沈黙が流れた後、斎藤は要の抱える薬箱を幾つか手に持つと、もと来た道とは反対方向へ歩き始める。手の中にあったものが急に消えたことにあっけらかんとしていたが、彼がそれを持ったということに気付くと要は申し訳なさそうに謝り、慌てて斎藤の後を追った。

「…羽織りを持たれているということは、洗い場に行く途中だったんですよね。すいません、お疲れなのに持たせてしまって」
「これ位のことは平気だ」

これも斎藤の優しさだろう。しかし本人は無意識らしい。彼が可愛いらしく思えて要は思わずくすりと笑みを零す。そんな彼女を見て今度は斎藤が首を傾げる番だった。

「俺は、何かお前が笑うようなことをしたか?」
「いえ、そんなんじゃないんです。ただ、斎藤さんは意外と不器用だなあと思いまして」
「不器用というのは、あんたも人のことを言えたもんじゃないな」
「え、それどういうことですか」

少し怒ったように眉間に皺を寄せる要。彼女は他人に弱みを見せず何でも自分で抱え込んでしまう性格なのに、肝心の本人がそれに気付いていない。斎藤はそんな彼女を一瞥すると、元来た道を再び歩き始めた

「斎藤さん」
「なんだ」
「おかえりなさい」

先の会話でてっきり腹を立てたかと思っていた故、今彼女から飛んできた要の言葉に斎藤は少し固まり振り返る。そこには薄く笑みを浮かべた要の姿。それにつられ斎藤も次の瞬間には薄い笑みを浮かべていた

「…ああ。ただいま」

赤い夕陽が縁側の2人を暖かく包んでいた。












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