今日は新選組が京都守護職の要請により伏見奉行所へ向かう日だった。幹部をはじめ怪我や病気がない隊士の殆どはそのために出払っており、普段の様子からは考えられないほど屯所は静まり返っている。要はそんな屯所の縁側を薬箱を抱えて歩いていた。









沖田、藤堂、山南以外の幹部全員が出払っている中、なんと千鶴は土方達遠征組に着いていった。山南は異論を唱えたが、池田屋事件での活躍を提示した斎藤や沖田の助け舟によりそれも上手く収められた。

一方で、君も参加しないかと近藤に誘われた要は丁重に断った。池田屋事件のこともあるが、そもそも要は千鶴と違い人探しをするといった進んで外出するようや理由はない。また隊士ではなく医者という名義で此処に身を置いている。池田屋の討ち入りに参加したのは寝込んでいる隊士の数があまりにも多く猫の手も借りたいような状況だったので仕方なくだった。それに比べ人手が十分に足りている今回。要には端から参加する意志も必要性も毛頭無かったのである。


とはいえ誰かが怪我をして帰ってくることは恐らく確定事項なので要は休む訳にはいかない。薬の補充のため、自然に生えている薬草を山で摘み取り薬箱に入れる。


(…まったく、あの人は一体何を)


彼女が山から屯所へ帰ると、中庭で沖田を見掛けた。何をしているのだろう。先日の池田屋事件で胸を突かれ吐血した沖田である。


要を始め、近藤や土方は彼に今回の遠征に参加させようとはしなかった。だから屯所内にいるのは当たり前なのだが、何故中庭に。それに病み上がりの身体で風に当たるのはあまり良いとは言えない。


「沖田さん」
「あれ、要ちゃん」


縁側に座る沖田は要を見上げた。彼を見下ろす要だったが何か違和感を感じる。自分にではなく沖田に。よくよく観察し彼女はあることに気が付いた。


「ああ、髪を下ろされてるんですね」
「紙紐切れちゃったんだよね。部屋に取りに帰るのも面倒臭いし、このままにしてるんだ」
「…何なら差し上げますよ?」


要の言葉が以外だったのか沖田は目を丸くする。そんな彼を横目に彼女は懐から紙紐を一本取り出した


「私はかんざしなので紙紐は使わないんです。宜しければ差し上げます」
「あはは、ありがと。有難く貰っとくよ」


貰っておくと言いながらも沖田は微笑むだけで一向にそれを受け取ろうとしない。にこにこと笑みを浮かべる沖田に要が困り果て硬直しかけた時、漸く彼は言葉の続きを発した。


「結ってほしいな。折角だから」
「構いませんが…」


そう言いかけて要は言い淀む。彼の髪結いをすることは問題ない。しかしこの屯所に来た日のことが彼女の脳裏を過る。逆手を取られまた再び彼に首を締められるかもしれないと考えてしまうと、その役割を買って出ることは少し憚られた。それを察したのか沖田は手をひらひらとしてみせる


「大丈夫、何もしないよ」
「…では、失礼して」


要は縁側に膝をつくと沖田の髪を手に取る。男にも関わらずさらさらした手触りの髪。もしかすれば世の女も羨むかもしれない、それ程に沖田の髪はきちんと手入れされているように思えた


「ああ、髪綺麗とか言われても嬉しくないからね。それに何もしてないから」
「…まだ何も言ってません」


自分の心情を読み取ったのか言及する沖田に要は少し悪寒を覚える。笑顔のくせに放つ雰囲気はどす黒い。それがとある人物と被り、要はくすりと笑みを零した。


「…やっぱり。似てますね、沖田さん」
「僕が?何に?」
「此処に来るまで診療所で診てた女の子にです。何というか、黒い所が」


要のいた診療所の患者のことなど知ったこっちゃない沖田にとって、その話はどうでもいい内容だった。しかしこれも彼の人柄若しくは性格というべきか、沖田は要の言葉の続きが気になるらしく、話を断ち切ることはせず要に問い掛けた


「此処に来る前ってことは、江戸?」
「いえ、大坂です」
「でも前は江戸にいたんだよね」
「私は何処かしら放浪してたので、どたらかというと一ヶ所に留まって診察する方が珍しかったんですよ。けどそれはやめて一ヶ所に絞った方が効率が良いって、お世話になった先生に言われて…」


言い終わると同時に、沖田の髪を結っていた要の手も止まる。短時間だったが要はどうやら沖田の髪を結い終えたらしく、彼の髪に伸ばしていた手を下ろす


「はい、終わりましたよ」
「ありがとう。うん、まあまあ良い感じだね

「それ、褒め言葉ですか?」
「そう受け取ってもいいよ」

沖田の捻くれた言い草が笑のツボに入ったのか要はさっきからずっとくすくす笑いっぱなしだ。

「沖田さんってよく雲を見ていますよね」
「うん。雲が流れる様子って、何だか面白いからね」

晴天。今日は本当に良い天気だ。晴れ渡った空には白い雲が流れている。そういえば、と要は思い出したように手を叩いた。

「遠い所と空は繋がっているそうですよ」
「遠い所って、例えば何処なの」
「そうですねぇ…範囲はよく分からないですけど、少なくとも今沖田さんと私は同じ空を見てますよ」
「見てるものは同じとは言えないだろうけどね」
「え?」

次の瞬間、要の視界が反転する。背中に感じる床の冷たく硬い感覚。沖田が要を押し倒したのだ。男だらけの屯所で幹部と千鶴以外には男と認識されているので大した問題はないだろうが、それにしても白昼堂々と恋人でもない女を野外で押し倒すとは感心しない。

「…そんなに女に飢えてるんですか?」
「別にそういう意味で押し倒したんじゃないよ」
「では何の理由で、」
「僕の視界には君が写ってる。要ちゃん、君の視界には今誰が写ってる?」

沖田の問に要は目を見開く。


「君はいつも何処かとおくを見ている。それこそ、僕らが見えないこともあるくらい。心此処に在らずってね」
「…何を言っていらっしゃるのか、分かりかねます。私は、此処にいますよ」

そう言って要は沖田の身体を押し返す。この話はこれで終わりだとでも言いたげに、悲しそうな表情を浮かべながら。

意外にも沖田はすぐに要から離れた。そして意外なのは彼の方も同じだった。普段の様子からは想像出来ないような表情。

「…早く部屋に戻って下さい。身体に障ります」

それだけ吐き捨て要はその場を去って行く。

「…」

雲だけが沖田の視界を陰らせていた。先程の要の言葉が脳裏に過る。

「人のこと言えないよ」

沖田は自嘲的な笑みを零した。

「雲みたいだ。僕も、君も」











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