「やあ、市井くん」











要の自室に入ってきたのはいつものように笑顔を浮かべている近藤。


医学書を読み漁っていた要は突然の来客に慌てながらも押し入れから座布団を取り出し、近藤にそこに座るよう勧める。


「屯所での生活はどうかな?」
「まだ数日しか経っていないので具体的には言えませんが………皆さん、良くして下さいます」


脳裏には要の首を絞めた沖田の顔が浮かんだが、彼女は口をつぐんだ。にこにことでもいう擬音語がつきそうな笑顔で尋ねられては、誰も否定することは出来ないだろう。


「そうか、なら良かった」


そう言って要が出した粗茶を啜る近藤。得体の知れない女のいるこの部屋に、彼は一体何をしにきたのだろうか。彼の人柄からは推測し難いが、ただ遊びに来たという訳ではないだろう。


「それで、話というのは」


話を切り出した要に、近藤はおほんと咳払いをした。どうやら要の予測は当たりのようだ。


「実は近頃、腹痛で床に伏せっている隊士が多くてな。隊務にも早く復帰して貰いたいし、どうだろう。一度診察をして貰えないだろうか」
「分かりました。その隊士の皆さんは八木邸におられるのですか?」
「ああ。ただ、君の部屋からは少し離れているから……む、山崎くん!丁度良いところに」


近藤が要の部屋に来てから開いたままだった障子から何が見えたのか、彼は座ったまま少し背伸びする。


「お呼びですか局長」


近藤に呼ばれ障子から顔を出したのは、緑の着物を着たつり目の男性。隊士ではなさそうだ。


「市井くん、彼は諜報係の山崎烝くんだ。しばしば治療の方に回って貰うこともある」


要は軽く頭を下げる。しかし目の前の山崎が笑顔を見せることはなかった。勿論要も笑顔ではないのだが。


「局長、彼は」
「新選組で医者をしてくれることになった市井要くんだ。歳も近いだろうし、二人共仲良くな!」


そう言って要と山崎の肩をぽんぽんと叩き、近藤は部屋から去っていってしまう。


流れる沈黙。


「……」
「……」
「行きましょうか」
「はい」


歩き始めた山崎の後ろを追う。妙な沈黙が場を支配し、会話もない。


しばらくして、その沈黙を破ったのは先を行く山崎だった。


「貴方は何の為に此処に来たのですか」


ぽつりと零した山崎の問い掛けに要は淡々とした口調で答える。


「意図的に来た訳ではありません。ただ―――左之の知り合いの医者というだけで連れて来られただけです」
「…幹部が許可したからといって、新選組全員が貴方を認めた訳じゃない」


埒の開かない山崎の口調に内心苛つきを感じる要。彼女は普段より少しトゲトゲしい口調で尋ねる。


「つまり、何が言いたいんです?」
「例え副長や組長の指示で貴方に従ったとしても、それは貴方への信頼ではないということです」





「俺は貴方を認めた訳じゃない」





それだけ言うと山崎は後ろの要を一目も見ずに屯所の奥へと消えていった。きっと監査の仕事が残っているのだろう。しかし先程の言い草。確かに見ず知らずの人物を怪しむのは分かるが


(…少しだけ、むかついた)


「お、要じゃねぇか」


通路の途中でじっと動かない要に声を掛けたのは原田と藤堂、永倉の幹部三人。それに気付いた要は顔を上げる。


「左之、それに藤堂さ」
「だーかーら、呼び捨て!」
「……平助と永倉さんも」
「お、俺の名前もう覚えてくれたのか!ありがとよ要ちゃん」
「“ちゃん”とか子供じゃないんで止めて下さい。呼び捨てで構いませんので」


要の言葉に永倉は少し意外そうな表情をした。しかしその当事者である要は彼に目もくれず、話し掛けてきた原田に視線を向けている。


「ところで、お前何してんだよ?」
「腹痛の隊士を診察しようと思ったんだけど…」
「けど?」




「俺は貴方を認めた訳じゃない」




「…ううん、なんでもない」


先程の山崎の言葉が頭を掠め、要はゆるゆると頭を横に振る。


「よーっし、この俺が要ちゃんのために一肌脱いでやらぁ!」
「だからと言って服まで脱ぐ必要はありません永倉さん」


何故か気合いを入れる永倉をばっさり切り捨てる要。先程の出来事と相まって沈む彼を横目に、藤堂と原田は隊士が寝込んでいる部屋の襖を開けた。


「よ!元気にしてるかー?」
「あ、藤堂組長!」
「原田組長に永倉組長も」


彼らの姿を見つけた途端、笑顔を浮かべる隊士達。成る程、原田達の人柄からして、彼らは隊士達から反感を買うような組長ではないようだ。


それにしても


「…永倉さん、何ですかこの隊士の数」
「あー…ま、隊士の大体半分ってところだからなぁ」
「本気で笑えません」


腹痛で寝込んでいる隊士の数がこんなに多いなんて。聞いてないぞというように溜め息をつく要に、今までこの屯所にいなかった彼女の姿を見つけた隊士が声を上げる。


「組長、誰ですかその、女みてぇな兄ちゃんは」
「新米隊士…ではなさそうだな」
「ああ、もしかして最近新選組に入った医者の……」
「市井要です。よろしくお願いします」


寝転がっている隊士達に向かって短く挨拶し、要は続ける。


「とりあえず、聴診をします。順に名前をお呼びするので、名前を呼ばれた隊士の方は私の所に来て下さい」











「胃潰瘍、ですね」


全ての隊士の聴診を終えた要は、患者の病状を記録した紙を眺めながら言った。


「要、いかいよーって?」
「ああ、藤堂さん。胃潰瘍というのは、胃壁の組織の一部がくずれ、傷が粘膜の下層に達する病気です」


要の解説に疑問符を頭に浮かべる幹部三人と隊士達。


「…つまりだ、もうちょっと分かり易く説明してくれ」
「放っておくと胃に穴が空きます」


顔の色を失っていく周囲に要は慌てず付け加える。


「幸いなことに全員まだ初期段階です。胃に優しいものを食べてゆっくり休めば治ります」


そう言った途端に隊士の間には安堵の表情が広がっていく。要は再びカルテに視線を移した。


「他には風邪の人とかもいますけど…とりあえず、こんなに空気が悪くてはいけませんね」


空気を換えようと障子を開けに立ち上がった要。すると一人の隊士が要の着物の襟を掴んだ。


「いつ治るんだ?早く治せや、あんたは医者だろうが!」


驚くこともせず叫ぶこともしない要は無表情だった。藤堂が隊士を止めようとするものの、彼の配合にいた原田と永倉がそれを阻んだためそれも叶わない。


(左之さん新八っつぁん、なんで止めんだよ!)
(いーから見てろって。要なら大丈夫だから)


「いつ治るかは分かりません」
「あ゛あ!?」
「治すのは私ではなく、皆さんの体だからです。私は診察したり薬を処方することは可能ですが、根本的に治すのは皆さんの役割であって、私にはどうしようもありません」


要は自分の襟を掴んでいた隊士の手をゆっくりとほどく。




「ですから、今はゆっくりと休養を取って下さい。急いでいては治るものも治りません」




「…悪かったな」
「いえ」


要の胸倉を掴んでいた隊士は手を離し、その行為を詫びる。彼女には分かっていたのだ。隊務につけない苛立ちと焦りや、腹痛の痛み。そのような感情や症状がなくならない限り、彼等の胃潰瘍が治ることはないと。彼女はそれを理解しているからこそ、胸倉を掴まれてもただじっとしていたに過ぎなかったのだ。


「な、大丈夫だっただろ」
「…」


その様子をただ眺めていた原田は藤堂に言う。確かに原田の言った通り、彼女は大丈夫だった。しかし何故彼はそんなことを予測出来たのだろう。男の直感か、それとも原田が要のことをよく知っているからなのか。藤堂は少しだけ気になった。


少し離れた所では、要が隊士達に薬の説明をしている。


「では今夜寝る前にはこの薬を飲んで下さい。また明日の朝、この部屋に様子を見にきますので」
「すまんなぁ兄ちゃん」
「いえ、特に気にしてませんので。…ああ、言い忘れていましたが」
「?」
「病気を治すのは皆さんですが、私は医者です。自分の体の調子で気になることがあれば、いつでも来て下さい」


それでは、と言って要は鞄に手を掛ける。彼女の1つに纏められた黒い髪が、さらりと静かに揺れた。











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