「なになに〜?もしかして蔵りん知らんかったん?」
昼休み。テニス部のレギュラーが昼食のために集まった屋上では、今朝3年2組で起きたばかりの事件について花が咲いていた。
「名字名前って、入学してから三年間ずっとミス四天宝寺に君臨してるっちゅー人っすか」
「そうそう!ワテ名前ちゃんと友達やねんけどなあ」
「小春なんでそれ早よう言うてくれへんかってん」
「白石はん、詰め寄りすぎや」
師範の制止により白石は渋々元居た所に腰を下ろしたが、その目はまだ名前と友人だという小春から情報を聞き出そうと必死だった。
「名前ちゃんのことやろ?多分この学校で一番やと思うで」
「やから何が?美貌?」
「男嫌い」
そこでぼそりと呟いたのは名前の幼なじみであり数少ない友人の一人である忍足謙也である。
渋る謙也を他所に話は進んでいく。情報量に富んでいる小春の話を聴くに、どうやら彼女の男嫌いは、彼女と特別親しいほんの僅かな人間しかしらないことらしい。
まさにミス四天宝寺と謳われる彼女が実は大の男嫌い。謙也によると、それは彼女が自ら進んで男子生徒に話し掛けるところなど見た事が無いというほどらしい。ただ、と付け足すように謙也はこう言った。
「あいつあんまりそれ知られたくないらしいねん。知ってんの多分、小春と俺くらいやったと思うし」
「それは単に人見知りとかの問題やないん?」
「部長、ミス四天宝寺やで。人見知りが笑顔振り撒いてられへんやろ」
「つまり、男と深い関わり合いを持たへんようにしとるっちゅー話や」
どこか上辺だけのような気もしていたが、やはりあの笑顔は偽りであったかと白石は納得する。
「それにしても、面白いこと聞いたわ」
そう小さく言って何か企んだような笑みを浮かべる白石。唯一その言葉を聞き取った謙也が、白石の横で額を押さえ「うーん」と唸っていた。
「おはよう」
「おはよう白石くん」
翌朝の3年2組。わいわいと少し騒がしい教室で、既に窓際の座席に着き肘を立てていた名前に白石が声を掛ける。
「今日も可愛いな自分」
「ありがとう」
名前のその言葉で会話が終わる。そう、普段の白石なら。白石が普段通り、謙也による「名前誉め禁止」を受け、席に座り、朝礼のチャイムが鳴るのなら。しかし今日は寝坊したのか、ストッパー役を担う謙也がまだ来ていない。だから起こってしまった
「え」
「ん?」
今とても変な状態になっている。白石蔵之助が名字名前に触れている。いや、そもそも男が、自分ではない誰かが自分に触れている。その事実に気付いた時には既に、彼女の全身に鳥肌が立っていた。
名前はガタンと音を鳴らし椅子を倒しかねん勢いで立ち上がる。そして、白石が彼女の足に続き頻繁に綺麗だと褒めるその白く細い手を振りかざし、それを白石に向かって勢いよく振り下ろした
「名前!?」
何が起こったのか、今走ってやって来たばかりの謙也には分からない。とりあえず視界に入るのは手を上げている名前と、その正面にいる白石の姿。騒ぎが起こった教室の真ん中で、ぽかんとしている白石、そして彼女が普段決して見せることのない、珍しく怒りを露わにした様子の名前。そんな2人に謙也が慌てて駆け寄った。
「名字さん、」
打たれた頬を押さえることも忘れ、白石は酷く驚いた様子で名前を見ていた。だが酷く驚いた顔をしているのは実は名前の方。相手が四天宝寺中学男子テニス部の部長であり女子生徒から絶大な人気を誇る存在にも関わらず、軽い衝撃とはいえ人を打ったのだから。
「わ、わたし…」
名前は今にも泣き出しそうな表情だったが、それを息を呑んで堪えると、机の右側に掛けておいた鞄を抱えその場を走り去ってしまった。起こった事態に思考が付いていかないのか、彼女を追いかける者は1人もいなかった
「白石大丈夫かいな。何があってん」
「…謙也」
名前が走り去っていった教室の扉を呆然と見つめ、酷く難しい表情を浮かべながら白石は言った
「最早あれは男嫌いっちゅー話で済むレベルとちゃうで。人間不信や」