わたしはあるいていた。いな、わたしたちはあるいていた。わたしのみぎてにはにしくんのひだりて、そしてかれのひだりてにはわたしのみぎてがしっかりとにぎられたじょうたいで、わたしたちは、へやのかぎも、けいたいでんわも、かさも、にしくんのさいふいがいなんのにもつももたずあるいた。へやからいちばんちかいえきででんしゃにのり、てをつないたまま、ながれゆくけしきをじっとながめていた。わたしたちのほかに、でんしゃにのっているひとはいなかった。
「にしくん、どこいくの」
なにをきいてもにしくんはこたえようとしない。しなかった。なぜかえってきたかとかききたいことはあったけれど、わたしもそれいじょうかれになにかをたずねることはしなかった。ただけしきがまどのそとをゆったりとながれていた。
なんじかんもでんしゃにゆられ、わたしたちはしゅうちゃくえきまでやってきた。あたりにはわたしたちいがいだれもいない。そしてふとわたしはきづいた。えきのなまえがかかれたひょうさつがない。じこくひょうもけんばいきもない、もちろんみたこともきいたこともない、ふしぎなえきだった。あたりはゆうひにてらされていて、おれんじでいっぱいだった。えきのぷらっとふぉーむにも、かいさつにもだれもいない。わたしたちはきっぷをだれもいないかいさつぐちにおくと、えきをでる。ふみきりのらんぷはついておらず、くるまひとつとおらない。ひとひとりいない、しずかなまち。するとそこにいっけんだけおみせがあった。ふるいおみせだったけれど、にしくんはわたしのてをにぎったまますいこまれるようにそのなかにはいっていった。
みせのなかはたくさんのとけいやあくせさりーがきれいにならべられていた。しかししょうひんにはほこりがかかっている。しょうひんについたねふだもいろあせていた。りっぱな、おおきなかべかけどけいのうえにはほこりがつもり、はりがとまっている。てんないにはだれもいないのだろうか。ぼんやりとしたおれんじいろのひかりがてんないをてらすなか、にしくんはしょーうぃんどーのなかからきらりとひかるなにかをそっととりだした。それはあおいいしのついたゆびわだった。ひかりにかざすとそのあおがきらきらとかがやき、ここはてんないなのにうみにいるかのようにさっかくしてしまった。にしくんはぽけっとからさいふをとりだすと、そのゆびわのだいきんをほこりがかぶっているしょーうぃんどーのうえにおいた。すこしほこりがまいあがった。にしくんはそれをわたしのひだりくすりゆびにつけるとまたてをにぎりあるきだした。そとではおれんじのひかりがあたりをてらしている。ゆびわのあおがきらきらとおれんじのひかりをはんしゃしてひかっていた。すこししおのにおいがしたきがした。もしかしたらこのまちはうみにちかいみなとまちなのかもしれない。
いくあてもないので、えきのぷらっとふぉーむのいすにすわりたあいもないはなしをする。やはりてをつないだまま、いきとはちがい、にしくんはよくしゃべった。わたしはかれがはなすのを、たまにあいづちをうちながらうんうんとわらってきいていた。たんじょうびとかけつえきがたとかすきないろとかすきなたべもの。わたしはにしくんのことをほとんどなにもしらないということにきづいた。
そしてしばらくしてまたちんもくがやってきた。あたりはあいかわらずおれんじいろのひかりにてらされている。どれくらいじかんがたったのだろう。ふたりともとけいをもっていないし、えきのとけいもとまっていたのでわからないが、ながいじかんがたったきがした。やはりまちにはだれもいない。でんしゃさえいっぽんもとおらない。にしくんはさきほどとはちがいなにもはなそうとしない。しかしてはつながれたまま。すると、どこからかしおのかおりがかぜにのってくる。そしてわたしはくちをひらいた。
「にしくん、かえろう」
わたしがそういったとたん、かれはしずかになみだをながした。きづいていた。かれがおとうさんのところからにげだしここへやってきたこと。わたしたちはかえらなければならない。そしてわたしたちにのこされたじかんはもうないということ。わたしはしずかになみだをながすかれをだきしめる。いつもなら、いままでなら、ぎゃくのたちばだった、とおもった。りょうでは、わたしがないて、にしくんがあきれたようにあたまをなでてくれた。しかしいまはまったくぎゃくだった。にしくんはかたをふるわせないている。おえつはきこえない。そのかわり、どこかとおくからかんかんかんとふみきりのおとがきこえてきた。まるで、さきほどまでとまったままのまちがうごきだしたようなきがした。あたりはあいかわらずおれんじにつつまれている。しおのにおいだってする。ひだりのくすりゆびにはゆびわだってつけているのに、わたしはいまにしくんをだきしめているのに、なぜだろう。
なみだが、ほおをつたった。
「かえろう」