西くんが部屋を去ってから、わたしは彼のいた痕跡をすべて抹消した。使っていた黒い箸や歯ブラシ。櫛や枕に引っかかった黒く細い髪。精液のついたコンドーム。そんなものを、ただただ冷めた瞳でゴミ袋へ放り込んだ。彼のいた痕跡のすべてを捨てた部屋には何もなかった。物はある。ただわたしにとって彼のいないこの部屋はもうただの空箱でしかなかった。

西くんがいなくなってから、わたしは声が枯れるまで泣き叫んだ。声が枯れても涙を流しつづけた。あまりに酷い泣きっぷりだったのか、普通なら処分を下す筈の寮監や先生がちょこちょこ様子を見に来たし、友達ちゃんはずっとベッドでわたしの頭を撫で続けてくれた。しかしそれでも泣き止まないわたしに落胆したのか、それとも役割は終えたと思ったのか、しまいには彼女たちは部屋に来なくなった。来なくなったと言うと語弊がある。わたしが部屋の鍵を掛け閉じこもったのだ。最初こそ心配して部屋の外から呼びかけてくれていた彼女たちだったが、しばらくするとそれも聞こえなくなった。落ち着くまで少し放って置いた方が良いと思ったのだろう。実際今は外に出たくなかむたし、誰にも会いたくなかった。

一日をベッドの上で布団にくるまりながら過ごした。カーテンは閉めっぱなしなので今が午前なのか午後なのかは分からない。それ以上に昼や夜など気に掛けることをしなかった。泣いて、泣いて、泣きつかれて、眠って、起きて、また泣いて。そんなことばかりずっと繰り返していた。お風呂に入る気力も、食べ物を食べる気力も湧かない。もう何もかもがどうでもよかった。ただ唯一枕に残った僅かな西くんの匂いも、消えかけていた。

彼は、西くんのお母さんは、亡くなったと言っていた。西くんは、わたしのことを好きだと言った。そしてわたしも彼のことが好きだった。なのにどうしてわたしはなにを。わたしは何も分かっていなかった。何も彼のことを知らなかった。西くんが家を出た理由も、ここへやって来た理由も、たまに貼り付けたような笑顔を使う理由も、キスをしなかった理由も、何もかも。わたしは愚かで、滑稽で、大馬鹿だった。

あの時、彼に残ってほしいと言っていれば、西くんはまだここにいたのだろうか。そんなわけがない。警察が動くまでの事態になっていたのだ。ニュースにはならなかったものの、西くんのお父さんは日本の内閣の大臣のひとり。いつかは絶対に連れ戻される日が来ていたのだ。なのに、あの時「行かないで」とただ一言いってさえすれば、何かが変わっていたのだろうかと思うことがある。そんな筈はないのに

空っぽのがらんどう。この部屋とおなじ。今のわたしはまさにそんな状態だった。わたしは西くんがいてはじめてわたしになれたのだ。彼がいないとわたしは、わたしは、なのに彼を




ピンポーン





インターホンが鳴る。いつもなら出ない。どうせ担任の教師か友達ちゃんか、他のどうでもいいクラスメイトだ。そう、いつもなら。

「名前!」

ドンドンと扉を激しく叩く音がする。わたしの名前を呼ぶ声。知っている。わたしはこの声を、この声の主を。

「…」

ふらふらとした足取りで玄関へと向かう。何日もベッドの上で泣いては寝るを繰り返す生活を送っていたため、足に力が入るのに少しの時間を必要としたが、そんなこと今はどうでも良かった。でも、まさか、と今の現状に思考が追い付かない。

半信半疑で部屋の鍵を外す。ガチャリと施錠の解けるいう音が聞こえたのか、わたしがドアノブに手を掛けるより先に、外から扉が開けられた。その途端、ぎゅっと体を抱き締められたかと思うと、視界は一面、懐かしいパーカーのグレー色。わたしはあの、懐かしい彼の香りに包まれていた。

「に…し くん?」
「名前、」

彼が、西くんがそこにいた。何故、どうして。東京に戻った筈では。そんな疑問が頭の中を駆け巡る。すると、西くんが私の背に回していた手を離し肩に置き、私はようやく彼の表情を見ることが出来た。いつもと変わらない、不敵な笑みを浮かべた表情だった。

(どうしてここにいるの、連れ戻されたんじゃ、学校は、お父さんは)

次々と出て来る疑問に開いた口が塞がらない。そんなわたしを西くんは笑った。

「名前、今すっげー間抜け顔してるぜ」
「な、」
「俺に色々聞きたいこととかあると思うんだけど、それは後でな」

そう言うと西くんは鍵を床に落とした。結局合鍵を作ることはしなかった、わたしの、この部屋の、鍵。



「名前、一緒に逃げよう」



だけど今日は、いつもと違った。









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