※注意書きを読まれた上で、お読みください。
時は丑の刻。
藁屋の粗末な家に入る隙間風、その肌寒さに男は起きた。
ぶるり、と震えて薄っぺらい布団を肩まで掛け直し再び夢の中へと舟を漕ぎ出す。
そこへ、微かに音が届いた。
てとしゃんてとしゃん
幾つもの鈴が鳴っているような、怪しげながらも清らかな音。
男はごろりと寝返りをうって隣で眠る子供と女房を見やるも起きる気配は無い。
更に耳を澄ませば、どうやら外からするものらしい。
こんな夜更けに何だ?
男は一度気になったら居ても立っても居られない性分で、温もりを布団に残して入り口から外を覗く。
しかし当然ながら辺りは真っ暗闇。
気付けば鈴の音も消えている。
気のせいかと欠伸をすると、瞳にゆらゆらとした灯りが映った。
その灯りは松明のような赤でなく、青白いものだった。しかもひとつだけでなく、幾つもの光が道を成して連なっていた。
狐火だ。
そう確信して男は震えた。
隣村の叉兵衛が、以前狐火を見たと言っていた。今まさに見ている光景と全く同じものだ。
『そりゃあ不気味のなんのって。ああ、いや、化け狐は見ちゃいねぇよ。すぐに目を逸らしたからな』
男は叉兵衛を疑っていた。
生来そういった妖怪の類を見た事も無かったし、存在を信じていないかったからだ。何より男は居るか分からない妖怪より、生きた人間の方が万倍も恐ろしいと思っていた。
だからその時は話半分に聞いていたつもりだったのだが、いざ自分がその立場に立ったら鮮明に記憶が蘇る
『お前ぇも気を付けろよ、特に狐の嫁入りはな。見付かったら尻こ玉抜かれちまうって話だぜ。』
あの話は本当なのだろうか。
叉兵衛の話によると晴れであるのに雨が降るという可笑しな天候も、狐の嫁入りと言ってそれも狐の仕業だとか。嫁入りする狐が人の目に触れないように雨を降らすらしい。
だが見るなと言われると見たくなってしまうもので、男はその目を逸らそうとはしなかった。むしろもっとよく見ようと家から飛び出た。
てとしゃんてとしゃん
そうして目をこらしていると怪しく燃え盛る炎に、揺れ動く何かを見た。
ある者は藍色の着物を羽織っていた。
またある者は薄いうぐいす色を。多くの者が狐火の列に沿うように艶やかな毛並を夜風にそよがせて、狐達が二本の足で歩いていたのだ。
夢じゃないのかと男は頬を抓ったが、痛かった。
てとしゃんてとしゃん
てとしゃんてとしゃん
鈴の音が一際大きくなって、そちらを見れば思わず背筋が伸びる。
ぽつんと浮かび上がった白。
それは貧しい一農民である男には女房に着せることは出来なかったもので、下に潜む怪しきものを隠す様に頭から覆い被さっていた。
不思議と神々しく感じるその純白はこの闇夜ではかえって不気味に感じて、男は急に恐怖に駆られ始めた。
見るもんも見た、もう戻ろう。
先程までの威勢もすっかり失せて半歩後ずさるが、そこから先に全く足が動かない。気付けば体全体が動かなくなっている。
てとしゃんてとしゃん
てとしゃんてとしゃん
次第に近付いてくる音に、男は恐怖の色を強める。
混乱する頭を落ち着かせる為深呼吸するも、渇き切った喉をひゅうひゅうと通る風と心臓の早鐘を打つ音に余計に頭が混乱する。
此処にいてはいけないと足を動かそうと思えば思うほど足は鉛の如く重くなり、見てはいけないと目を離そうとすればするほど瞳は白を捉えた。
頼む、気付かないでくれ、
そんな男の願いも虚しく、ゆっくりと緩慢な動きで白無垢が此方を向いた。
白に映える真っ赤な紅。
通った鼻筋を上になぞれば覗く漆黒の瞳。
冷え切った美しさに、汗が伝う。
妖艶にさえ見えるそれは、口元に妖しく弧を描いて紡いだ。
"見たな"
「ぎゃ ああぁ ぁあっ!!!」
男の視界は暗転した。
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ぎゃあああぁぁ
遠く聞こえる男の悲鳴に、何だかもう苦笑いするしかなかった。
あぁもう、何でこんな事に…
先程から長い道のりを淡々と歩き続けていると狐達が鳴らす鈴の音に人が此方に気付いて見やるが、"すみません"と会釈するだけで叫ばれる始末。
まぁ確かに妖怪が歩いている中に混じっているのだから間違われても仕方ないが、顔を見て叫ばれるなんて不愉快以外の何ものでもない。
一応、同じ人間なのだが。いい加減うんざりしてきて、唯一この行列の中で狐の耳を生やした以外は普通の人間と変わりない少年に話し掛ける。
「えっと…庄、左ヱ門?どのくらいで着くのかしら。」
「屋敷まであと少しですよ、奥方様」
まだ、奥方じゃないわよ
そう独りごちてトモミは真っ赤な唇を引き締め、今はただ早く着くことだけを願った。
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遂に開始しましたが三郎は出てこないわ、序のクセに長いわ…既に先行きが不安だ!
次こそ三郎を出す!