オムライスらしきものも完食し、テレビを見ながらまったりとした時間を過ごしていた時だった。




「一緒にお風呂に入ろう」

また不思議ちゃんが何か言っている。
トモミはキッチンで皿洗いをしているのを良いことに、大分鍛えられたスルースキルで無視を決め込んだ。


「ねぇトモミ。」
「……。」

傍にすり寄る喜八郎の僅かに歪んでいる口元を彼女は見逃さなかった。
「(絶対入るものか)」
彼女はするりと彼を避けて、洗い終わった皿を片付け始める。このスルーに点数を付けるなら、100点満点中91点といった所だろうか。



しかし彼も人間、学習する生き物だ。




「…入ろう?」

トモミの足に引っ付いて上目遣いに子供の特権を余すことなく利用した、こーすけのおねだり攻撃をあらかじめ仕掛けていた。

だが、トモミも負けてはいない。

「私の家のお風呂狭いから、入るんだったらこーすけ君と喜八郎で入ったらいいんじゃないかな?」
引きつりそうになる顔を、あくまで笑顔のまま言う。


「むしろくっ付いて入りたいのにぃ〜」
「狭くてもだいじょぶっ」
食い下がる2人。

「それにまだやることあるから、ね。先入ってきなさいよ。」
やんわりと、だがしっかりと断るトモミ。



暫しの目に見えない攻防戦が繰り広げられ、勝ったのは喜八郎達だった。






「僕…寂しい」
「え」
「今日はお父さんもお母さんも、居なくって…」
「こーすけ君…」
「だから、一緒に居て欲しいの」




「……どうしても、だめ?」


反則だ。
例えこれが演技だったとしても…こんなこと言われたら断れるワケ、ないじゃない。


トモミは仕方なく首を縦に振った。











********







「♪ばばんばばんばんばん」
「♪ばばんばばんばんばんっ」


10分も経っていないというのに、この切り替えの早さはやはり先程のは演技だったのか。分かっていながらも悔しいもので。
お風呂場から声高らかに聞こえてくる歌が何だか憎らしい。


「トモミ〜まだぁ〜?」
「だぁ〜?」
「今行くわよっ!」

大きめのタオルを巻いて胸元で固く結ぶとトモミは意を決して急かす二人の下へ向かった。




「……。」
「どーしたのおにぃちゃん?」
「トモミ…大きくなった?むn」
入って早々浴槽には喜八郎に張り手する音が響いた。
全く、彼は子供の前で何て事を言うのだろう。


「…痛い……」
「こーすけ君、お姉ちゃんが頭洗ってあげる。」
「んっ」


痛がる喜八郎を余所にトモミはシャンプーを適量手に取るが、それを見た喜八郎が制止した。
「トモミにやらせると頭皮がずる剥けに」言うまでもなく、二度目の張り手が飛んだ。一度目とは比にならないぐらいの速さと強さで。
その証拠に先程とは違って喜八郎は未だ復活していない。



「お馬鹿さんは放っておいて、はい、泡入っちゃうから目瞑っててねー」
「……はい」

小さな肩を微かに震わせて、言われた通りぎゅっと目を瞑る。

こーすけは密かにトモミを怒らせない事を誓った。(…こわい。)




"いい?赤ちゃんの頭は柔らかいんだから優しく洗わなきゃ駄目よ?"

まだ彼女が小学生だった頃、生まれたばかりの従妹をお湯の張った大きな金ダライに入れて洗う母にそう教わったのをトモミは思い出していた。こーすけは決して生まれたてではないが、まだ柔らかい事には変わりない。
なので極力優しく手を動かす。

「痛かったら言ってね」
「ん…だいじょぶ」

その言葉に嘘はないようで、鏡に映るこーすけは気持ち良さそうな顔をしていた。


いつの間にか復活していた喜八郎がそれを見て期待の眼差しで言う。
「トモミ上手だねぇ。私にも…」
「頭皮ずる剥けにしても良いの?」
「…どうしてお母さんはこんなにお父さんに冷たいの?」
「はい、お湯かけるよ」
「……。」

あえなく撃沈したが、それでも喜八郎は諦めない。


「わぷ、」
「じゃあ次は体洗おうね」
「トモミ私も洗っ」
「喜八郎はたわしで良い?」
まだ諦めない。

「背中洗うよー?」
「トモミっ私」
「軽石で良い?」
まだまだ諦めない…

「さっ、こーすけ君は先に湯船に浸かっててね。私も体洗うから」
「じゃあトモミの背中は私が」
「結構です」
まだまだまだ…





「なんでそんな頑なに私を拒否するの…?」

挫けた。



狭い浴室の端に寄れるだけ寄って、その指先は"の"の字を不毛に描き続けている。

「邪な気持ちが見え隠れするからでしょ」
「邪な気持ちなんて………ない、よ。多分。」
「………。」
「あっ…何その目」
「…だって」
「いいもんいいもん、どーせトモミはこーすけの方が好きなんでしょ」


喜八郎は完璧に逆ギレと不貞腐れモードに突入した。いい年した大人がなんと情けない姿か。


面倒だが放っておけば大丈夫だろうと、長年の付き合いからそう判断したトモミは髪を洗い始めるが、浴槽から伸びた小さな手が肩を叩く。



「お父さんとお母さんは仲良くしなきゃいけないんだよ」


まだ3歳のこーすけに心配そうな目で見つめられた喜八郎も情けないが、そんな風に諭されたトモミ自身も子供の前で大人気なかったかも、と反省し未だ隅っこで丸まっている彼の手を取って石鹸を渡した。


「トモミ…?」

「背中洗ってくれる?おとーさん」
「!…任せてっ」

目を輝かせて元気よく返事をした喜八郎はもう不貞腐れていないようで、いつもの無表情も心なしニコニコして見える。




否、ニヤニヤして見える。


「…変なこと、しないでね」
「変なことって何〜?」
「(白々しい…)」
「そういえば、私は"おとーさん"より"あなた"って呼んでもらった方がスゴくそそるんだけど…」
「何の話よ……きゃあっ!ちょっと喜八郎!そこ背中じゃない!!」
「え?なぁに?」

やはりやらせるんじゃなかった、と後悔先に立たず。

喜八郎はそれはもう、とびきり邪な笑顔で世間一般で背中と呼ばれる範囲から逸脱した所まで洗いにかかる。

「やっ…もう!こーすけ君も居るのに何やってるのよ!」
「居なかったらしていいの?」
「そーゆー問題じゃないでしょ!大体喜八郎はいっつもいっつも…!」




かくして、トモミの説教が始まった。

余りにも長く湯船に浸かっていてのぼせたこーすけに気付き中断されるまで、それは続いたのだった。








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