無知で無邪気なアンタは、俺の気なんか知りやしない


「さすけぇー!」
ぴく、と眉が自然と釣り上がった。自分の名を呼ぶ子供特有の甲高い声。最初こそ煩わしいと思ったがお守りをするようになって数ヶ月も経てばそこは忍、もう慣れてきた、とは思う。だがやはりあの声に呼ばれるのはひどく不快だった。今まで人にも物にも感情の起伏を表してこなかった自分にしては珍しい方だと思う。何せ初対面した時もそれはもう立派なへの字を書いていたと子供の父親にも里の師匠にも云われたほどだ。後に師匠からは腹を抱えて笑われたりもしたがそれでも厭なものは厭だった。高い木の上から子供の動きを観察する。自分よりも六つ離れた子供は当たり前だが手足も短く身体も小さい。しかし髪の毛だけは犬の尻尾のように後ろでぴょいっと束ねていて、動く度にちろちろと揺れる様だけが唯一面白いと思った。
「さすけぇー!いたらへんじをしてくれー!」
誰が行くものか。
緊急時以外はとにかくこの子供から避けたかった。理由はうまく云えないが全身があの子供を拒否している。そうとしか例えようがない。
(…あと七歩)
木の上から、子供が近付く様をじつと見つめる。懐から苦無を取り出し、構えた。
(…あと五歩)
子供はそんな佐助の心情も知らずに木の近くへとやってくる。射程範囲はあと少し。三、ニ、一。

とすん!

ぴゃっ!!?と驚いた声が聞こえて、軽い動作で木の上から降り立った。尻餅をつきぴるぴると震える子供を余所に、佐助は子供の足元に突き刺さる苦無を引き抜いて懐へと仕舞う。同時に、目元に皺を刻んだ。
(…こんなのが真田家の次男坊だなんて)
馬鹿にもほどがある、言葉を飲み込んで鼻で笑ってやると、踵を返しまた木の上に戻ろうとすれば。がし、と強く手を捕まれた。
「つ、つかまえたぞ!」
抜けた前歯が目立つ口を大きく開けて、丸い茶色の瞳が佐助を捉えた。それにさして驚きもせず、嘆息を露にすれば子供は更にぎゅ、と佐助の腕を強く掴んだ。
「さすがはしのびだな!かくれんぼがうまくてどこにいるのかぜんぜんわからなかったぞ!」
(…アンタが気配察しなさすぎなんだっつーの)
もういい加減離して欲しい。相手をする気もないから無視をしていると、子供はやれ忍の術をなんか見せろだのやれ遠駆けに行こうだの好勝手に喚いている。五月蝿い。そんなことをしている暇なぞないのに何故そんなに呑気でいられるのか。何故そんなに馬鹿なのか。何故そんな自分に笑ってくれるのか。何故そんなに――――草であり捨て石の己の名を懸命に呼んでくれるのか。
「さすけ…?」
子供が、そっと顔を覗き込んでくる。それにカッとなって、手を乱暴に振りほどき強く跳んだ。先と同じ木の上に戻ると、子供は大きな目をだんだん潤ませていき、そして諦めたのかとぼとぼと歩き始める。ぼそりと、子供は呟いた。
「さすけは、つまらぬ…」
ぐす、と鼻を啜る音と。その言葉が、やけに深く突き刺さる。
――――つまらぬ。
くっ、と喉の奥で笑った。嗚呼そうだとも、己は実につまらない人間だ。そもそも人間と呼ぶのもおこがましい程の存在だ。忍とは草で、捨て石。人に非ず、人のみてくれをしているだけ。感情など不要。師匠にはそう教えられてきた。だから、やけにむかっ腹が立つあの主に対しても無感情に接しなければならない。だがそれがうまくできない。あの笑顔を見ていると腹は立つが、名を呼ばれる時は胸の奥から何かが沸き上がるようなそんな気さえする。
「…何だってんだ」
之が何と云うのか己には知る由もない。近くを飛ぶ雀に向かい先ほどの苦無を投げつける。とす、と命中した雀は地面に落下し、それを無関心に眺める己が居て。
「つらないさ…知ってるよ、それくらい」
じゃあそんな自分に呼び掛けるアンタは一体何だって云うんだ。



つまらない



(アンタと俺じゃ、育ってきた世界が違いすぎるのさ)




うちの真田主従は6歳差で幼少期はすこぶる仲が悪いです。ちょっとお礼も兼ねて!



2010/08/26


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