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「いけ、アブソル!辻斬りだ!」

背中に掛けられた声に押されて前へと飛び出す。鎌を振るうが、攻撃は相手に受け止められてしまった。ぶつかり合った反動を利用して互いに距離をとる。
そこへ、自分越しに放物線を描いて金属のボールが飛んでいった。
俺もあの中に入って、後ろの彼のポケモンとして暮らしている。彼は倒れていた自分にボールを押し当てて捕まえたのだと、あとから聞かされた。対して反発心もわかず、大人しく彼の手持ちに加わった。

もともとのアブソルの生息地からは随分と離れた場所にいたらしく、はぐれたのだろうと言われた。てんで故郷と呼べる場所には心当たりがないし、自分の記憶は真っ白な、ポケモンセンターの病室から始まっている。
体格的にも精神的にも、自分が子供ではないことくらいわかっているから、記憶がなければおかしいのだが、思い出そうとすればするほど、爪の間からこぼれていく泉の水のように、記憶は靄を纏って遠ざかる。


俺を捕まえて間もなく、新月が満月にもならないうちに、俺たちのトレーナーはここシンオウからホウエンへと船で移動した。俺の他にも手持ちはいるが、壁を感じてしまって親交を深める気にはなれなかった。少し寂しいが、俺の見た目がどうやら少しちぐはぐなのが、不気味に思われているようだったので、どうしようもない。苛められこそしないが、互いに無関心なふりをするきらいがあった。トレーナーもそれは同じで、贔屓とまではいかないが、わりかし俺は放任されている方な気がした。別段不満とまでは思わなかったが。判断基準を持たない俺にとって、寝床と食事はきちんと提供されているのだから、そんなものだろうくらいにしか思えなかったのだ。

船の甲板から、遠ざかっていくシンオウの大地を眺める。郷愁を感じることはないが、雲の上、さらなる高みへと伸びあがるテンガン山の真っ白な景色を見ていると、何となく記憶の靄が揺らめくような気がした。

何一つ思い出すことなく、シンオウ地方からはるか南に位置するホウエン地方にやって来た。そこでも、自分と同じ真っ白な、そして両目が赤い種族を見かけた俺のトレーナーは、同族を捕まえてから、あっけらかんと言い放った。今日からお前は自由の身だ、と。青い光と共にボールから追い出されて、そわそわと落ち着きなくトレーナーの顔を見上げる。まぶしく大きな太陽を背負っている主人の顔は、逆光で良く見えない。

戸惑って、その場に踏みとどまっていると、男の隣にいたルクシオが低く唸った。出ていけ、お前はもう、仲間なんかじゃない。バチバチと稲妻を纏った威嚇は、本気の証だった。多勢に無勢だし、勝ったところで得られるものは何もない。背を向けるのが怖くて、じりじりと後退ると、主だった人間はにべもなく俺を指さし、口を開いた。


「ルクシオ、スパークだ」


はっとして反射的に身をこわばらせた。一瞬閉じた目を再度開くと、蔦に足をとられ地面に伏しているルクシオがいて、更に戸惑った。一体だれが、あの蔦を?この場において、自分の味方をしてくれるものなど、もう自分しかいなかった。そうか、俺がやったのか。

ふと視界に映ったトレーナーの顔が、蒼白だった。こんなに暖かいのに。ヒッ、だとか何とか、言葉にならない文字の羅列を荒い息と共に小さく喚き、男はルクシオをボールに戻した。そうしてあっというまに、ポケモンの背中に乗って空の彼方へと飛び去って行ったのだった。

行ってしまった。もうひとりぼっちだ。別に仲が良かったわけでもないし、淡々とした日々だったことは否定しようがない。けれど、側に誰もいないのは、もっとずっと味気ないものだった。

これからどうしようかと、見慣れぬ土地をふらふらさまよう。シンオウ地方のことも良く知らない、いや、覚えていないと言った方が正しいか。まあどっちにしろ、どこで置いていかれても、俺は路頭に迷うしかなかった。同じ種族がいるのなら、群れに入れてもらおうかとも考えたが、ヒトの匂いが染みついた自分の身体では、警戒されるかもしれない。それ以前に、この奇妙な目の色と奇妙な力は隠しようがないものだから、見た目からしてもう受け入れてもらえはしないだろう。

人間の中には、体毛が他の個体と違うものを集めたがるモノ好きがいると聞いたことがあるが、物珍しさに惹かれて捕まえようとしてくる人間というものは、あまり良い予感がしない。
自分は割と、いいトレーナーの下にいたのかもしれない。時々はフーズを手ずから作っていたようだったし、几帳面な性格をしていた。ただ、自分の容姿は彼の几帳面さの琴線に触れてしまったようだが。

さまよって、時々は人里に顔を出してはみたが、いつも眺めているのは誰かが料理をしている姿だった。自分でも未練がましいとは思う。けれど、もう自分と他人とをつないでくれるものは、これしかなかったのだ。
キッチンに立つ人間の姿を覗ける機会があるたびに、懐かしさとしょっぱさが心を締める。大して長い間一緒にいたわけでもないし、懐いていたとも思わない。愛情をもらった記憶もないけれど、やっぱり、恋しくないと言えばうそになる。
しかし、ヒトが俺の姿を認識すると、あまりいい顔をされたためしがなかった。奇妙な姿はやっぱり受け入れてもらえないらしい。必然的に、人里に下りる機会は減り、野山を歩き回ることが多くなった。

土地が豊かなおかげで、食料に困ることはない。他の種族のなわばりに踏み込んでしまったときはそそくさと争いを避け、別の寝床を探す、その繰り返しだった。
他の種族への接触を試みたこともあるけれど、人間と同様に、すぐに逃げられたり、素っ気ない態度をとられることが常だった。


今日はどこで寝ようかとうろついていたとき、茂みの向こうから、弾んだ声がいくつも聞こえてきた。自分の身体が磁石になってしまったのではないかというくらいに、その声たちがする方へ、身体が吸い寄せられていく。茂みを抜けると、自分を置いていったトレーナーよりもずいぶん幼い子供たちが、緊張した面持ちで俺の方を見ていた。その中でも俺の目が惹かれたのは、シンオウとホウエンとを繋ぐ海をとじ込めた瞳の少女だった。

逃げない。この子どもたちは、逃げることをしなかった。それだけで、小さな明かりが心に灯る。話しかけてみても、いいのだろうか。なんと話しかけたらいいのだろう、こんな時、人間は、何と言っていたっけか。
ああ、そうだそうだ、思い出した。



『…ども。こんばんは』



俺に、温もりを分けて欲しいとだけど。よかだろうか。



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