がなりたてる刃‐07 

翌朝、ライブキャスターのアラームで目が覚めると、九十九はもうボールの外に出ていた。洗面所から首を振りつつ出てきたところを見るに、顔を洗っていたのだろう。それとも原型だから、水浴びでもしていたのかもしれない。水タイプだから水浴びが好きなのかも、という安直な考えが頭に浮かんだ。自然乾燥する気でいるのかそのまま足だけをタオルで拭いていたので、ちょっと待って、と声を掛けた。

『ひっ!』

わたしが起きているとは思わなかったのだろう。びくりと震えた九十九の体毛についた、僅かな雫がわたしの足に降りかかり、かすかな冷たさをもたらす。硬直してしまった九十九をそのままに、洗面所のフェイスタオルをふわりとかければ、九十九はきょとんとした顔で反射的にそれを受け取った。

「おはよ、九十九」
『お、おはよう…』

ごしごしと顔を拭く九十九を見届けてから、顔を洗う。タオル片手に戻ってくると、ちょうど琳太がベッドから起き上がってきたところだった。擬人化した琳太は、目を擦りながらもぞりと布団から這い出て、ぽてぽてと音がしそうな歩みでこちらに向かってきた。ぎゅっとわたしのお腹にしがみつく。

「おはよ、琳太」
「リサ、おはよ…つづらも、おはよ…」

舌足らずな挨拶をした琳太は、わたしのお腹のあたりにもう一度ギュッとしがみついてから、のろのろと洗面所へ向かっていった。顔を洗えば少しは目を覚ますだろう。洞窟で暮らしていたせいか、あまり朝には強くないようだ。対して九十九は、アラームが鳴る前から起きていたし眠そうな様子も見せない。でも、これって緊張して眠れなかったとか、不安でそわそわしているとか、そういうことなのだろうかと、かすかな不安が心をよぎった。
毛先についた雫ごと、不安を拭き取って、ミジュマルの分のタオルももらって片付けた。

「朝ごはん行こう」

開いたカーテンから差し込む朝陽のまぶしさに目を細めながら、琳太がいつもの返事をした。


朝食を終えればあとはもう、部屋をチェックアウトするだけだ。アラームのために枕元に置いていたライブキャスターを手に取ったとき、あ、と声が漏れた。どうしたのかと、ふたりが怪訝そうな顔で見てくる。

「お父さんたちに連絡するの忘れてた!」

昨日家を出るときに、カラクサタウンについたら連絡するようにと言われていたのだ。いろいろなことがあって、すっかり頭からそのことが消え去っていた。もう起きてるだろうから、連絡してみよう。それから、チェックアウトしてカラクサタウンを出よう。

「もしもし…あ、ほら、琳太!九十九も!」
「ん」
「なに?」

興味はあったのか、おそるおそる透明な画面をのぞき込んだ九十九の疑問に答えるかのように、ぱっと画面が切り替わった。わたしのお父さんとお母さんの顔が、映る。それにびっくりした九十九は一瞬顔をのけぞらせた。驚いた拍子に原型に戻ってしまって、座っていた私の膝の上に落ちるかたちとなった。

「おはようリサ。もうカラクサタウンには着いたの?」
「うん。昨日のうちについたんだけど、連絡するの忘れちゃって…」

まあ色々と初めてのことが多くて大変だったでしょ、と笑うお母さんとは対照的に、お父さんは少し心配そうな顔をしていた。無表情だからわかりにくいけれど、そんな気がする。わたしが家を出る前は、お母さんの方があれやこれやと心配していたのに、今ではすっかりお父さんの方が気を揉んでいるみたい。

「ね、ミジュマルがね、仲間になってくれたの!九十九って名前をつけさせてもらったんだ」
『えっ、ぼく?』

いきなり話を振られた九十九は目を見開いて、ちょっとだけ画面をのぞき込んだ。きっと向こう側から見たら、青い耳とつぶらな瞳がちらちらと見えているのだろう。それを想像するととても可愛らしくて、ふふっと笑みが零れた。

「ミジュマルさん、じゃなかった、九十九さん、リサをよろしくね」
『えっあの、は、はい…』

か細く返事をして、九十九はわたしの膝から降りた。かわりばんこで琳太の重みと体温を足に感じる。

「次はサンヨウシティか?」
「うん、そのつもり」
「そうか。…サンヨウシティの先に、育て屋がある。そこに寄ると良い」

育て屋、と呟いて首をかしげると、お父さんが説明してくれた。トレーナーからポケモンを預かって、代わりに育ててくれる場所なのだそうだ。育てるために預ける、ということは今のところ全く考えられないけれど、育てることを生業にしているというのだから、きっと的確なアドバイスをもらえると思う。特にわたしのような新米トレーナーには、確かな情報が必要だ。熟練者から教えてもらえるというのは、願ってもない機会に違いない。

「わかった、よってみるね!」

それからはぽつぽつと取り留めのない話をして、ライブキャスターの通話を終了した。再び画面が部屋の床や自分の足を映したときには一抹の寂しさがよぎったけれど、膝の上と傍らにいる温もりのおかげで、迷わずにライブキャスターをバッグに仕舞うことができた。

一晩お世話になった部屋を見渡して、忘れ物がないかを確認してから、わたしはルームキーを手に取った。ちゃり、と軽快な音がして、手のひらにひやりとした鍵の、かたい感触がした。


 06.がなりたてる刃 Fin.

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