the Noah's ark‐11 

むくむくと気力がわいてきて、琳太からそっと腕を離して起き上がる。しばらくそっとしておこう。またお風呂に入るときにでも、呼べばいい。

下に降りると、お父さんとお母さんがコーヒーを飲んでいた。わたしの顔色を見て、晩ごはん前とは違うことが分かったらしく、お母さんはほっとした表情で立ち上がった。

「コーヒー、飲む?」
「うん!」

お父さんの向かい側の椅子を引き、クッションが敷かれたそれに腰を下ろす。
目の前にコーヒーが置かれ、お母さんが座った頃合いを見計らって、わたしは口を開いた。

「わたしね、旅に出る目的が、見つかったの。何となく、やってみたいなあ、って思うんじゃなくて、ちゃんとした、目的をもって、旅に出たいと思うようになったの」

どういったいきさつで、どういう目的を持つようになったかはぼかして言うことにしていた。会いたい人がいるけれど、その人自体が危険だし、そんな目的はだめだって思われて当然だ。だから、泰奈と龍卉さんを探すという名目をカサに着て、この世界のいろいろなものを見てまわる傍ら、会いたい人を探すと説明した。罪悪感がないわけじゃないけれど、こればっかりは正直に話せない。旅に出してもらえなさそうだから。

「そう。ちゃんと、目標を持てたのね」

お母さんのその言葉と、お父さんの視線を受けて、ふたりがずっと待ってくれていたことを悟った。ただふらふらと歩き回るのではなく、しっかりと自分の目で、見たいものを見つけて、見定めて。この世界の片鱗を知って、わたしがある程度暮らしになじみ、自分の足で歩いて、外に目を向けられるようになるまで、待ってくれていたんだ。

「…あまり気は進まないが、そろそろだとは思っていたからな」

そう言って、少し不機嫌そうで、だけれど同時に嬉しそうな顔をしているお父さんが取り出したのは、名刺サイズの一枚のカードだった。戸籍云々で必要だと言われて撮ったはずのわたしの写真と、わたしの名前、それから出身などが表記されている。

「これは…?」
「トレーナーカードだ。ポケモントレーナーは皆、これを持たねばならない」

ポケモン、トレーナー。わたしが。琳太と一緒に居ながらにして、わたしはポケモントレーナーではなかったし、琳太にボールマーカーすらつけていなかった。そのわたしが、ポケモントレーナーに。
テーブルの上を滑るようにして受け渡されたカードに触れるわたしの手は、少し震えていた。
それから、とお母さんが取り出したのは、ポケモンを入れるためのボール。でも、わたしがよく見る赤と白のツートンカラーのそれではない。深緑色を黒が丸く縁取ったデザインのボールだった。

「これも、モンスターボール?」
「そうよ、これはダークボールっていうの。琳太くんは、洞窟にいたんでしょ?このボールは、暗闇に生きるポケモンたちにとって居心地がいいものなの」

ボールにも、色んな種類があるんだ。琳太、喜んでくれるかな。
フレンドリィショップなどのポケモントレーナー関連の建物は、トレーナー視点ではなかったために、今まで必要性を感じていなかった。でも、今度からはお世話になるのだ。つくづく知りたいことや知らなきゃいけないことがいっぱいだと、思い知らされる。

「ありがとう」

噛み締めるようにつぶやく。わたしと琳太のために、用意してくれたんだ。一枚のカードと、空っぽの主なきボール。それらを手に取ると、とても軽いはずなのに、ずっしりとした重みと温もりを感じた。
ポケモントレーナーになるということは、わたしがポケモンの、琳太の“おや”になるということだ。自分のポケモンに関する全ての責任を、ポケモントレーナーは背負わなければならない。たとえ子どもであったとしても。10歳から旅が認められるこの世界では、トレーナーカードを手にし、モンスターボールにポケモンをおさめた時点で、もう子どもではなく、ポケモントレーナーになるのだから。

わたしに出来るだろうか。琳太の“おや”になる資格が、わたしにはあるだろうか。バトルでまともな指示が出せる自信もなければ、琳太の力を引き出すような洞察力もない、あまりに不慣れなわたしが。

そうしてボールを握りしめるわたしの手に、そっと重ねられた小さな手を見て、わたしはぽたりと涙を落とすのだった。

「それ、なに?」
「ボール、だよ…琳太の、あなたの、ボールに…してくれる?」
「ん!」

いつのまにか側にいた小さな存在の前に、静かにわたしは膝をつく。かすむ視界を指で拭って無理やり晴らす。目の前には、もとの姿のわたしのパートナー。
震える手で、優しくボールを額に当てれば、暗い洞窟の光が琳太を包み込む。カタカタ、と手の中で微かに振動していたダークボールが大人しくなった瞬間、ぐっとボールの質量が増した。両手じゃなきゃ、持てないくらいに。
包み込むようにして持ったボールに、今度はわたしが額を当てる番だった。

「よろしくね」

かた、と一度だけ、琳太が返事をした。


 04.the Noah’s ark Fin.

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