ローズマリーと子守歌‐06 

 再び電撃と火炎が衝突し、爆風を巻き起こす。
 煙が晴れると、地に足をつけた双龍がいた。どちらも肩で息をしている。牙をむき出して荒い呼吸を繰り返す両者は、膝をつくのもほぼ同時だった。

「引き分けかな」

 Nはそう言って、レシラムに下がるよう合図した。レシラムが、先ほど自分が突き破った壁の際まで下がる、
 ゼクロムが低空飛行でわたしの元へと帰ってきた。

「ゼクロム、お疲れさま」

 感謝の意を込めて、少し恐れ多かったけれど、腕の辺りを撫でた。ゼクロムは黙ってそれを受け取って、それから、ゆっくりと目を閉じた。

『少し、休む』
「うん」

 それきり、ゼクロムの呼吸がゆっくりになった。
 力を使い果たしたらまたダークストーンに戻ってしまうかと思ったけれど、そこまでではなかったようだ。

 ……次は、わたし達の番だ。モンスターボールを手に取る。
 Nの手からは、既にピンク色のボールが放り投げられるところだった。1拍遅れてわたしもボールを振りかぶる。

「いけ!……!?」
「えっなに」

 先にボールを放り投げたNの表情に違和感を覚えた直後、顔面にふかふかの毛並みが押し当てられた。投げ損なったボールを握りしめたまま、わたしは何かが上半身を中心にしがみついているのを感じた。
 なんだこのもふもふは。
 正直、自分の仲間にもふもふと呼べるものが少なくて、ちょっと憧れてはいた。まさにそんな感触。顔面で味わえるとは思っていなかったけど。

『リサっ!』
 
 りん、と澄んだ鈴の音が鼓膜を揺する。突然の感触に驚きつつも、叫ぶほどではないくらいの冷静さが残されていたのは、落ち着く響きを持った鈴の音があったからかもしれない。
 まあ、今口を開くと口の中いっぱいにもふもふの毛が入り込んでくるから話せないというのもあるけれど。物理的に厳しい。

『リサ!リサ!会いたかった……!』

 いたく感激してわたしの名前を呼んでくれているが、申し訳ないことに全く聞き覚えのない声だった。

 ……でも。
 耳元で揺れる鈴の音を聞いて、鞄についているそれが共鳴するように震えたから。

「……鈴歌?」

 くぐもった声でそれだけをささやくと、背中に回された腕の力が強くなった。
 頬をすり寄せられていたような動作が止まる。
 こつり、額同士がくっついた。

 わたしの背に回された、彼女の腕に手を乗せる。この手に触れる感触はすべて、本物だ。
 よろこびが胸の奥底から湧き上がり、いっそ鳥肌が立ってしまいそうだ。

 そっと鈴歌の肩を押して、見つめ合う。そうしてまた、額同士をこつりと合わせ。
 一瞬わたしのそれと合わさった彼女の瞳は、彼女のママと同じ、優しい光をたたえていた。

「会えてうれしい」
『あたしも』

 指切りで契った約束が、今、果たされた。
 目から溢れた雫が、彼女の毛並みに落ちて、弾かれて、また落ちる。
 ちっぽけなゾロア。わたしのポケモン。
 
 泣き笑いの顔で、ずっと額をすりつけ合っていたかったけれど、いつまでもそうしているわけにはいかない。

 名残惜しそうにわたしの身体から手を離した鈴歌が、Nへと向き直る。

「N、ごめんなさい。あたし、リサとは戦いたくない。あたしはポケモントレーナーであるリサの隣にいたいわ」

 だって、やっと会えたんだもの。
 鈴歌の柔らかな口調が、またわたしの心臓を揺さぶった。
 
「キミが探し続けていたトレーナーというのは、リサのことだったのか……!」
「そうなの。……だから、N、あたしはリサと戦いたくないし、あなたにも……戦ってほしくない」

 鈴歌は何らかの事情があって、わたしを探しながら、Nの手持ちとして同行していたのだろう。その辺はまた後で、ゆっくり教えてもらうとして。

「N、どういう事情かは分からないけど、……鈴歌と会わせてくれて、ありがとう」

 これだけは確実に言えることだった。もしも鈴歌がついていったのが、別のトレーナーだったのなら。わたしはもう、二度と鈴歌に会えなかったかもしれない。もしかしたら、ひどい扱いをされてしまう、なんてことだって。あるいは。
 その点、Nなら絶対にポケモンをないがしろにしないし、彼女の意見を最大限尊重してくれただろう。ポケモンの言葉が分かるから、細かな事情も分かる。

「彼女はとても強く、優しいポケモンだ」
「うん」
「ボロボロのちっぽけなゾロアだった彼女を拾って治療したのはボクだけど、彼女はもう、トレーナーがいるからとボクの誘いを断った」

 Nの言葉を聞いた鈴歌は、照れたように耳をぴこぴこと動かした。おかげで耳についているやすらぎの鈴が、しゃらしゃらとせわしない音を立てていた。
 バトルが起きない気配を察したのか、そっと後ろから琳太がやって来て、わたしの肩に手を置く。あの人は誰、と聞きたそうにしていたけれど、またNが口を開いたから、結局タイミングを逃してい何も言わなかった。

「キミはトレーナーに置いて行かれたんだとボクが言っても、彼女は聞く耳を持たなかった」

 ボールを抱えた状態でボロボロになっているポケモンを見つけたら、確かにわたしだってそう思うかもしれない。ボールごと捨てられてしまったんだと。

「でも、ポケモンがボロボロになってしまう原因なんて、全部人間のせいだというのは、ボクの思い込みでしかなかった」

 きらきらと光るきれいな色のボールと、いい音の鳴る鈴。それらを身につけていたせいで、奪おうとしてきた野生のポケモンに襲われてケガをしたのだという。

「……キミと初めて出会ったカラクサタウンでのこと」

 Nがわたしに1歩、近づいた。
 琳太の手に力が込められたけれど、それ以上Nが動く気配はなかった。

「キミのポケモンから聞こえてきた声が、ボクには衝撃だった。……彼は、”シアワセ”だと言っていたから」

 おれのことかな、とNには届かないほどのボリュームで、琳太が呟く。多分そうだ。
 ゲーチスのカラクサタウンでの演説。あの直後、わたしはNと初めて出会った。まだ琳太と九十九しかいなくて、2人とも進化もしていなくて。なんなら、九十九はバトルもできなかった頃だ。

「……ボクには理解できなかった。人間のことを好いているポケモンがいるなんて。そんなポケモンを知らなかったから。旅の中でも気持ちは揺らいでいった。心を通い合わせ、助け合うポケモンと人ばかりだったから」

 女神達の語ってくれた、Nの過去。
 それを思えば、確かに、Nは人間不審なポケモン達しか見てこなかったのだから、とても気持ちが揺れたことだろう。

「……そんな折、このゾロアークに出会った」

 ずっとわたしのことを探し続けてくれていた鈴歌。1人前になったら会いに行くと言ってくれた鈴歌。
 Nに、わたしのことをそういうふうに話していたのだろう。

「キミは鈴歌という名前だったんだね」
『ええ。リサからもらった大切な名前よ』

 誇らしげな顔をしている鈴歌を見て、わたしは少し、恥ずかしいなと思った。こうして好意を寄せられるというのは嬉しいけれど、なんだかそわそわしてしまう。

「……リサ、」

 ボクの負けだ。
 そう言った彼の表情は、どこかすっきりとしていた。憑き物が落ちたような、重荷から解放されたような。Nの顔が急に幼くなったような錯覚すらあった。

「それでもワタクシと同じ、ハルモニアの名前を持つ人間なのか?不甲斐ない息子め」
「!」

 般若の面。怒りにより変化した女の表情を模したそれ。
 まさにその面を顔に貼り付けたような面立ちで、ゲーチスがわたしの後ろに立っていた。

  30.ローズマリーと子守歌 Fin.

back/しおりを挟む
- ナノ -