ローズマリーと子守歌‐05 

 わたしの”理想”が、果たしてゼクロムにとってどれほどの価値を持つのか、わたしには分からない。けれど、ゼクロムは確かに、応えてくれた。

 熱気が全て、ゼクロムの眠っている球体の中に吸収された頃、風が止んだ。ダークストーンが、一回り、二回り、みるみるうちに大きくなっていく。
 いつしか弾ける電撃は目視できるほどに成長して、肥大し続ける球体の周りをうごめいていた。
 はなちゃんの電撃もすごいけど、これは何というか……格が違う。同じものに思えない。青白い電撃のひとつひとつが、身体を貫きそうなほどに鋭くて、近づくのすらためらわれる。直視すれば視線が焼き切れてしまいそうだ。
 
 鼓膜を弾いていたばちばちという音が、やがて唸り声のようになり、地響きに共鳴していった。これから巻き起こるであろう衝撃を想像して、ひとりでに身体が震えた。

 目覚める。

 頭にその言葉が浮かんだと同時、目の前が真っ白になった。
 スパークした電撃があまりにも眩しくて、視界がバグを起こしたようだ。
 琳太のマントの裏側で何度もまばたきをしたが、光が収まってもしばらくは、もうあるはずのない電撃の残滓が、視界の至る所で弾けていた。

 マントの外側に出て、ダークストーンだったものを見る。
 わたしが手を伸ばせば届くほどの距離まで近づくと、丸まっていた身体をゆっくりと広げ、ゼクロムが目を開けた。目が合う。
 さなぎが羽化するような、大輪の花がほころぶような、神秘と期待がきらめく瞬間だった。
 レシラムとは対照的な、黒い身体に赤い瞳。
 真実を体現した龍が持つ羽のような軽やかさはなく、身体の端々まで重厚感がある。頭から伸びる1本の角のような突起物の先端は青く光っており、落ちてきたばかりの稲妻を思わせた。
 やがて地に足をつけたゼクロムは、ゆっくりとまばたきをして、それから、ぐるりと辺りを見回した。

 このポケモンが、理想を司るポケモン、ゼクロム。
 もう一度視線がかち合って、身がすくんだ。
 問い掛けるように少しだけ首を傾げた黒龍を、わたしは見上げた。

「……ゼクロム、」

 思ったよりも小さな声しか出なかった。
 でも、ゼクロムにはちゃんと届いていたようで、わたしの声を聞き取りやすいように、身を屈めてくれた。
 
「わたしは英雄ではないけれど、この先、人とポケモンがずっと一緒にいる理想の未来のために、力を貸してくれますか」
『それがお前の理想を守ることになるのなら』

 声が震えないようにするので精一杯なわたしの言葉に、ゼクロムはゆっくりと頷いた。
 身じろぎの度に、ぱちぱちと電気が弾ける。触れたら、それだけで感電死してしまうかもしれない。
 
 聞きたいことは、たくさんあった。
 
 今まで目覚めてくれなかった理由、今になってわたしに力を貸してくれる理由、それから、あなた自身が、本当はどうしたいのか。
 英雄じゃないと言ってしまったわたしに力を貸すのは、渋々じゃないのかな。本当は嫌だと思っていないのかな。
 でも、本当に嫌だと思っているのなら、目覚めなければいいだけの話なのに、ゼクロムはそれをしなかった。
 
 今ここにいることを選んだのはゼクロムなのだから、その選択を尊重するのなら、ゼクロムが話してくれるまで、もう何も聞かないでおくべきだ。

「レシラムとゼクロムは、もとは1つの命……1匹のポケモンだった」

 正反対にして、全く同じ存在。
 レシラムもゼクロムも、英雄と認めた人物の元に現れる性質は共通している。

 Nはゼクロムを見上げ、目を細めた。
 何を思っているのだろう。自分と同じように、伝説のポケモンに認められた存在が表れた喜びか、それとも、対抗心か。その両方かもしれない。

 わたしはそう思っていなくても、ゼクロムは認めてくれたのだ。たとえこの瞬間だけの気まぐれだとしても、奇跡に近いそれが、どれほどありがたいことか。

「ゼクロムは理想を持たない人間にキバをむくらしい。けれど、そうしないということは、やはりキミは」

 ゼクロムが体勢を変えた。わたしに背を向け、Nとレシラムに対峙する。
 昔のイッシュを一瞬にして荒廃させたと言われている伝説のポケモン2体が今、向かい合っている。

「……あ、」

__それらは向かい合い、大きく口をあけて威嚇しあっているように見えた。__
__神々しい青い雷のようなものを纏う黒龍に、煌めく赤い炎を纏う白龍。__
__今にも互いのエネルギーがぶつかり合いそうなほどの臨場感だ。__

 わたしを育ててくれた世界で、ラスコーの壁画に成り代わった、あの壁画。その続きを今、わたしは見ている。
 懐かしく感じて当たり前だ。気に入って当然だ。
 わたしは、ずっと前からあなたたちのことを。

「ボクは絶対に勝つ!」

 Nがレシラムに手で合図を送った。わたしもゼクロムの隣に立つ。
 もう、迷いはない。わたしはここに、立つべくして立っていると分かったから。

「わたしも、負けたくない」

 ゼクロムを見上げる。頷いたゼクロムが、やや前のめりになって、レシラムを睨みつけた。
 漆黒の体躯の表面を、青い電流が奔る。翼から、爪から、足先から奔ったそれが、尾へと収束していく。
 円錐のようなかたちをした尾に集まった青い光が、美しく白い床を染めていた。

「レシラム!」
「ゼクロム!」

 尾から火を噴き、レシラムが飛んだ。ロケットのような急加速、そして、流星のように落ちてくる……!
 与壱が後ろにいなかったら、わたしはひっくり返って後頭部をしたたかに打ち付けていただろう。それぐらいの、地面を底からひっくり返すような衝撃があった。
 レシラムの衝突を、ゼクロムが受け止めている。

 これはポケモンバトルなのか?
 人間が口を挟んでいいモノではないような気がした。
 けれど、Nが指示を出してくるならば、こちらも対抗しなければ。本来ポケモンバトルにおいては、トレーナーの指示を受けてポケモンが動くというのが決まりなのだから。そうしなければフェアでない。
 そう思ったけれど、Nの方を見ると、彼は一心にレシラムとゼクロムの攻防を見つめていた。2匹のドラゴンがどう動くのか、見守るつもりなのだろう。

 始めに直感で思ったとおり、やっぱり口を挟む隙がない。そもそも、Nはともかくとして、わたしはゼクロムの使う技を知らないし。言えて「かわして」「がんばれ」がせいぜいだ。

 はらはらとした気持ちを抱えながら、白黒のドラゴンの動きを目で追う。
 突進をやめたレシラムが、口を大きく開けた。燃えさかる火の玉があふれ出る。
 紡希が生まれた時のような、皮膚を灼く高温が空間中を満たす。

 対抗するように、ゼクロムも大きく口を開けた。
 電流を圧縮したような球体が生まれ、それがレシラムの火球と衝突した途端、あまりの衝突音の大きさに、鼓膜が破れたかと思った。とっさに耳を塞ぐと、その動作に意味があったのかというくらいの轟音。視界はとうの昔に真っ白だ。
 平衡感覚も吹き飛び、自分が立っているのか座っているのかもよく分からない。

 琳太が何かを言いながら、わたしの肩を押して歩かせる。危ないから下がれということだろう。爆心地からある程度遠ざかったところで振り返ると、今度は空中戦が繰り広げられていた。

 ぶつかっては距離を取り、またぶつかっては距離を取る。時に火の玉を、あるいは電流をぶつけ合い、かと思えば身体ごとぶつかり合う。
 あのときの壁画が動き出したような光景だった。

 目覚めたばかりのゼクロムの方が不利じゃないかと思ったものの、今のところはお互い互角の勝負といったところだ。 

   

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