ローズマリーと子守歌‐02
部屋にいたのは2人の女性で、わたしを見て微笑みかけてきた。
知り合いにこんな人はいなかった。桃色の髪の人と、クリーム色の髪の人。誰だろう。
与壱の言うとおり、敵意はなさそうだ。それどころか、わたし達を歓迎している空気すらある。
「私は愛の女神、バーベナ……。Nとことを構えるトレーナーよ。さあ、どうぞこちらで休みなさい」
あいのめがみ。愛?
プラズマ団にそういう役職が、あるのかな。
それ以上突っ込むのも気が引けたので、わたしは差し出されたキズぐすりを受け取ってみんなを回復させることに集中することにした。
「あの、ここは……」
「ここは安全な場所です。安心してください」
机の上に飾られた花はみずみずしく、よく手入れされていた。
その鼻に優しく触れながら口を開いたのは、”平和の女神”と名乗ったクリーム色の髪の女性、ヘレナさんだった。
与壱センサーが反応していないので、とりあえず全員をボールの中から出す。
はなちゃんと九十九を集中的に回復させることに専念していると、紡希がクリーム色の髪の方……ヘレナさんと話しているのが聞こえてきた。
「アナタ、ここで何してるの?プラズマ団って感じの見た目じゃないわね」
「私達はNのお世話をしている者です。……Nは幼き頃より人と離され、ポケモンと共に育ちました。それも、悪い人に裏切られ、虐げられ、傷ついたポケモンと」
「それはわざと?」
「……ええ。ゲーチスは、あえてそうしたポケモンばかり、Nに近づけていたのです」
人間ではなく、人間不信のポケモンばかりに囲まれて育ったN。
彼の生い立ちを考えると、ポケモンと人とを離さなければならないという考えになるのも納得がいく……?
「Nは、ポケモンのことだけを考えるようになりました」
いや、納得できない。Nがあそこまで大きくなるまでの間に、少なからずポケモンとの絆があったはずだ。他でもないN自身が人間なのだから、人間とポケモンとの間にも絆は存在するということを、Nは分かっているはずだ。人とポケモンは一緒に生きていけると、分かっているはずだ。それなのに。
ヘレナさんからの言葉を受け取って、バーベナさんが続ける。
「本当は、Nも気付いているのです。トレーナーが戦うのは、決してポケモンを傷つけるためではありません。けれど……」
一度口を閉ざしたバーベナさんの面差しは、悲しみに満ちていた。
「心の奥底では気付いているのに、それを認めるにはあまりにも悲しい時間を、この城で過ごしたのです……」
Nはこの城で育った……?
とすると、少なくとも10年以上前からこの城はこの場所に存在し、ずっとずっと機会を窺っていたことになる。
Nがポケモンの解放を目指す思想を持った少年に成長し、プラズマ団の団員を増やして活動を活発化させ、真実を司るポケモン、レシラムにたどり着く。
この城は、そこまでのシナリオを描くための舞台だったのだろう。
用意周到かつ執念深い。
急にこの城すらもが恐ろしく思えてしまい、背筋が粟立つ。
はなちゃんに小突かれるまで、吹きかけていたきずぐすりが空っぽになってしまっていることにも気付いていなかった。
……並大抵の覚悟では、こんなことできやしない。
人ひとりを育て上げることも計画のうちにあるその思考が全く理解できない。
『リサ、顔色悪いぞお』
「そうかな?だ、大丈夫だよ!」
高い背もたれのある椅子に止まっていた美遥が、心配そうにわたしの顔を覗きこんできた。
反射的に顔を上げて返事をして……紡希の表情が固まっているのを見て、それから、バーベナさん、ヘレナさん。皆一様に、ぽかんと口を開けてわたしの顔を見つめていた。
「……貴女、」
紡希が額に手を当てて目を閉じている横で、与壱がしきりに手を首の横でスライドさせる動作を繰り返していた。親指を、首に当てて、スパッと。
「与壱、だめ」
口封じする?といういジェスチャーだったことに気付き、慌てて止める。
何も考えずに立ち上がったから、膝に乗せていた空のキズぐすりボトルがガラガラと辺りに散らばって転がった。
治療の終わったはなちゃんが擬人化して、呆れたようにため息をつきながらボトルを拾い集めてくれている。ごめんね。
ボトルを拾うべく再度しゃがむと、目の前に影が差した。
「貴女も、Nと同じなのですか……?」
切羽詰まった声が振ってくる。
顔を上げると、バーベナさんが膝をついてわたしに顔を近づけているところだった。
「いえ、わたしは、その、なんというか……」
人間に育てられたし、人間に傷つけられたポケモンばかりに囲まれていたわけでもないし……ただ、自分が半分ポケモンだったってだけで。
「Nみたいな人は……本当にまれだと思います」
「そう、ですね……」
できればもう、Nと同じような環境で育てられる人がいないことを願うばかりだ。
同じような育ち方をしたからといって、みんながみんな、Nと同じ考え方をするようになるとは限らないけれど。
だって、あまりにも悲しすぎる。
お世話をしてくれる人は愛も平和も冠しているのに、当の世話されている本人には、当たり前に与えられるはずのそれが許されていないのだから。
「わたしはNとは違います。でも、ちょっとだけ彼の気持ちも分かる気がして……でもやっぱり、認められないんです」
Nの考え方は間違っている。少なくともわたし達にとっては、自分達の在り方を否定するものだから。
プラズマ団の掲げる思想が現実のものになってしまったら、どちら側にも振り切れないわたしが存在できる場所が、この世界のどこにもなくなってしまう。
「Nの心はあまりにもピュアでイノセント。……イノセントほど、美しく怖いものはないのに」
胸の前で手を組み、うつむいたヘレナさん。祈っているようなその仕草がよく似合う。
Nの育ってきた環境には同情する。でも、今のNを止めない理由にはならない。
純潔で、潔白な心を持つ少年。きれいなものに包まれて、きれいな心で生きる者。聞こえはいいが、それ故に、潔白でないものを許容できず、ベクトルの違うものを排除してしまう。
今のNは何ものにでも染まる白ではなく、決して自分以外の色を許さない、全てを塗りつぶしてしまうそれだった。
「ポケモン達が傷ついたら、またいつでも戻ってきてください」
「ありがとうございます」
この人達は、Nを止めてほしいのだろう。
自分達ではもうどうしようもないほど遠くに行ってしまったあの少年が、彼自身の心の奥底に秘めたものに気づける日が来ることを、彼女たちは祈っている。そんな気がした。
「与壱は?」
「もう治った」
ギーマさんのキリキザンに少なからずダメージを受けていたようだし、自分で腕の毛も噛みちぎっていたからどうかなと思ったけれど、毛の再生と共に、本当に体力が回復してしまっていたらしい。へたなキズぐすりよりずっと効果的だと思う。
与壱と琳太以外をボールに戻し、ドアを開ける。
廊下に通じる壁から、琳太が頭だけを覗かせて周囲を窺った。
「私達が言うのもおかしな話ですが……どうか、気をつけて」
「はい」
安全だと判断した琳太が、先に廊下へと出て行く。
わたしが振最後に一度だけ振り向くと、見えなくなるまで見送ってくれるつもりなのか、2人の女神がわたしに微笑みかけていた。
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