ローズマリーと子守歌‐01 

 視界が開け、目の前に誰かがいると分かった瞬間、わたしの視界は再び真っ暗闇に覆われた。
 琳太のマント越しに、誰か……複数人の声がした。

「我らの王様に何かあっては一大事。ゲーチス様の完全な計画も崩れ去るというもの」

 琳太に腰の辺りを抱えられているから、うまく身動きが取れない。布の中で溺れそうになりながらも、なんとかもがいて顔だけを外に出す。
 髭を蓄えた、しわの多い顔が並んでいる。
 1、2、3……6人。いつかどこかの街で見かけたような気のする顔もある。プラズマ団の七賢人か。

「N様はがっかりなされるだろうが、我ら6人、ここでお前を倒してみせる!」

 彼らがじりじりと距離を詰めてきていることに気付くやいなや、与壱が目の前に飛び出した。手をガラス張りの床につけ、低く唸るさまは獣そのもの。今にも人のかたちのまま飛びかかりそうな勢いだ。

「そんなこと、できるのか?」

 あと一瞬、横から第三者が現れるのが遅かったら、与壱は目の前の老人のうち、誰かの首を折りにかかっていただろう。
 その場にいた全員の注意が、一斉に第三者へと向けられる。

「まだくたばってなかったか、リサ」
「ヤーコンさん!?」

 ニッと笑った恰幅のいい男の人が、ひょっこりとわたし達の後ろから姿を現した。
 
「貴様……ホドモエの……!?」

 七賢人のうちの1人が、ヤーコンさんを見て驚愕の表情を浮かべる。そこでわたしはようやく、その老人がホドモエシティの冷凍コンテナで凍えていた七賢人だということを思いだした。……名前までは思い出せなかったけど。確かわたしとチェレンに捕まってヤーコンさんに引き渡されたあと、ゲーチスが迎えに来てたような気がする。

「フン!オレさまだけじゃない!」

 ようやっとマントから抜け出せたところで、ぽんと両肩を後ろから叩かれた。
 振り仰ぐと、そこにはアロエさんの笑みがあった。

「悪いねえ……あたしらの方が強いのに、数まで多くってさ」

 好戦的な表情のアロエさん、その後ろから、ぞろぞろと今まで出会ってきたジムリーダーの人達が顔を出す。

「さあリサ。先に進みな!」
「アロエさん……」

 みんな、どうしてここに?
 わたしの疑問が顔に出ていたのか、アーティさんがひょっこりカミツレさんの後ろから顔を覗かせる。相変わらず気の抜けたような表情で、それでも頼もしいことこの上なかった。

「ベルに頼まれちゃったんだよねえ」
「ベルが!?」

 まさか、イッシュ地方中を回ってジムリーダーの人達を呼び集めてきてくれたのかな。
 デントさん達ががないのは、ベルが今、彼らを呼びにサンヨウシティへ向かっているから……?
 この場にいない彼女のことを思うと、喉元が熱くなる。
 ダメだ、泣くのはまだ早い。この涙は、ベルに会うまでとっておかなくちゃ。

「リサ、大丈夫だって!」

 アイリスちゃんが、弾ける笑顔でもって、わたしの背中を押してくれた。
 琳太がわたしの名前を呼んで、再び腰に手を回してきた。またマントの中に隠されるのかと思っていたら、そのまま小脇に抱えられる。え?これで移動するの?

「抱えていく。……与壱、」

 琳太はわたしを抱えて、ジムリーダー達の間をすり抜けていく。
 与壱のあまり大きくない足音が、後ろからついてくる。
 お腹を支点にだらりと垂れ下がっているわたしの身体が、結構な速度で移動している。いつもより間近に見える地面が、びっくりしたわたしの顔を映していた。

 階段にさしかかったとき、琳太がわたしをようやく降ろしてくれた。そのまま階段を上ろうとしたら、今度は膝を抱えて持ち上げようとしてくる。また抱えて移動する気だ。

「琳太、大丈夫!大丈夫だって!ひとりで歩けるよ!」
「ん」

 一瞬くちびるを尖らせたものの、特にごねられることもなく、琳太は頷いた。
 なんでこんなに抱えようとしてくるんだろう。臨戦態勢のことを考えるなら原型で背中に乗せてくれた方がいいし、擬人化した状態で抱えられるメリットはあまりない気がするけど……。

「リサが小さいから、ちょっと抱えてみたかった」
「いや琳太がでかくなったんだよ」

 確かに出会った頃よりわたしの身体は縮んでるけど。それよりもずっとずっと琳太の身体が大きくなってるんだよ。
 褒められたと思ったのか、琳太はふふん、と得意げだ。
 どうやらただただ本当にわたしのことを抱えてみたかっただけらしい。
 なんとも気の抜ける理由だ。

 緊張感が一気に失われ、よぼよぼと身体の力が抜けた状態で階段を上り、廊下を歩く。
 プラズマ団員が飛び出してきて襲い掛かってくるような気配もなく、廊下はいたって静かだ。3人分の足音だけが、ガラスのような素材でできたタイルとぶつかって反響していた。
 時折部屋に通じる道もあったけれど、いちいち覗いてみる気にはなれない。やぶ蛇だったら嫌だし、こういうのはとにかく奥に進むに限る……はず。

 そういえば、七賢人なのに、あそこには6人しかいなかった。……となると、ゲーチスはもっと奥の方にいるのだろう。Nと一緒にいるのかもしれない。

 一気に上まで登るのなら、琳太に乗って窓から最上階に突撃した方が早かったかな、などと邪道なことを考えていた矢先、再び背後から腰に手を回された。袖を縛る長いリボンがたなびいて、わたしの足に絡みつく。

「与壱!?」

 琳太と違って遠慮がない。お腹を握り潰されそうな圧迫感の後、内臓を持ち上げられるような浮遊感。わたしを強引に抱き寄せた与壱が跳躍したのだと気付いたのは、着地後だった。羽交い締めにされるような格好での着地だったので、今度は首が苦しい。変な唸り声みたいなものが口からあふれ出てしまうのも仕方ないことだと思う。
 
 いつの間にか、前を歩いていたはずの琳太が後ろにいた。
 そしてさらにその後ろに、見覚えのある男がひとり、立っていた。
 おそらくわたしが先ほどまでいたであろう立ち位置に、ダークトリニティがいて、わたしのことをまっすぐに見つめていた。
 与壱は彼のことを察知して、緊急回避をしてくれたらしい。荒っぽいとか思ってごめん。でもやっぱり次からはもう少し優しくしてくれると嬉しい。わたしのやわやわなお腹にあざができてるような気がするから。あと下手すると吐きそう。

 ダークトリニティは、ひとりだけだった。単独行動を見るのは初めてだ。そういえば、この人達に直接危害を加えられたことはない気がする。この城の中ではどうか分からないけれど。

「……安心しろ。戦いに来たわけではない」

 警戒するわたしたちをよそに、男はゆっくりとした動作で廊下の窓とは反対側の側面、部屋へと続くであろう入り口を指さした。
 
「……まずはあの部屋でポケモンを休めるがいい。お前がこの城の一番奥に進むことがNさまの望みだ……」

 えーと、こう言うのなんていうんだっけ。
 ……そうそう、”敵に塩を送る”だ。
 いや、もしかしたら罠かもしれない。部屋に入った途端プラズマ団員達が待ち構えていて……。

 信じるべきか悩んでいたら、いつの間にか男は姿を消していた。本当に忍者みたいな人だ。

「あの部屋、入ってみてもいいのかな……」
「……」

 わたしの問いかけには応えず、与壱が無言で部屋の方へと歩き出す。先に様子を見てきてくれるということだろうか。
 上半身だけ部屋の方に突っ込んだ与壱が、部屋に入らず振り向いた。

「何かおる」
「何かって?」
「人がふたり」
「それだけ?」
「敵意なし」
「う、うん……」

 具体的に大人なのか子供なのか、男なのか女なのかとかを聞いたつもりだったんだけど。まあ与壱が安全だと判断したのだから、きっと大丈夫なんだろう。



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