朽だら野にただひとり‐13
どちらが勝つかは、想いの強さで決まる。
Nはそう言い残して、階段を上っていった。
きっと玉座でわたしのことを待つつもりなのだろう。
ふと空気が緩んだ矢先、背後から急接近してくる足音がした。
振り向くと、やや青白い顔でこちらに駆けてきているチェレンの姿があった。
汗で額に髪の毛が貼り付いている。眼鏡も少しずれていて、必死なのが目一杯伝わってきた。
「チェレン!」
「リサ!ケガはないか!?」
「うん、わたしは大丈夫、だけど……」
最後まで言い切れなくて、アデクさんの方に視線を送る。わたしの視線をたどったチェレンが、アデクさんに駆け寄った。
チェレンも、四天王の人達に勝ったんだ。そうじゃなきゃ、ここにいるはずがない。たとえ外がどんな惨状になっていたとしても、きっと四天王達はただじゃ通してくれないはずだから。
「アデクさん、ボロボロですね。……チャンピオンらしくないよ」
チェレンの言葉に、アデクさんは力なく笑った。いつものように大口を開けて笑うものではなく、どうしたらいいか分からないからとりあえずそうした、という表情だった。
自嘲しているようにも見えるそれが痛々しくて、何と声を掛けたらいいのか分からない。
「よく、ここまで」
「……なんとかポケモンリーグを勝ち抜けました。なかなかタフでしたけど」
チェレンが、アデクさんに手を差し伸べる。
「自分のやることが分かったから、強くなれたんです」
それもNが言うところの、想いの力だと思う。
やることが分かった、つまり、自分の目標が、夢が何なのか、はっきりと分かったから、チェレンは強くなれた。
あれほど強さを求め、ひたむきに努力して、それ故に戸惑っていたチェレンが、今や迷いのない瞳でポケモンリーグを突破している。
わたしのやること。
わたしは、Nを止めなくてはならない。それが今の自分の目標だ。
……でも、そこにわたしの想いはあるのかな。
琳太と離ればなれになるのは嫌だ。ポケモンと人とが切り離されることには耐えられない。どちらにもなれないわたしやサツキが漂っていられる場所を、もう奪わないでほしい。与壱のようにひとりぼっちで置いて行かれて泣く子供を、これ以上増やさないでほしい。
これはわたしの願いだ。
これを想いと呼んでもいいのだろうか。
「リサ!Nに伝えてよ。ポケモンといることで強くなれる人間がいること。ポケモンも僕と一緒に学び、強くなれたってことを」
「わたしで、いいの……?」
「僕は、君じゃなきゃダメだと思う」
「わたし、強くない。本気で夢を追い掛けたことも、ないのに、」
ああもう、わたしのばか。
こんなに背中を押してくれる人がいるのに。たくさんの人に協力してもらっているのに。それでもまだぐずぐずと二の足を踏んでいる自分のことが、本当に嫌いになってしまいそうだ。
「やかましいわ」
「ぐっ……!?」
ぐい、と髪の毛を鷲掴みにされて、首がぐりんと上を向く。勢い余ってのけぞりそうなほどだ。
わたしの髪の毛を掴んでいる張本人は、わたしの目を覗き込むようにして、真上から見下ろしている。
白くてふわふわした、長い髪が、わたしを外の世界から隔絶する。
マゼンタの瞳がきゅっと細く眇められて、わたしを射抜いた。
真っ暗闇に、マゼンタが2つ、ぽっかりと光っている。言葉を忘れるほどに、やっぱりどうしようもなく、わたしはその目に惹かれてしまうのだった。
「オレはアイツを1発
くらさんと気が済まん。行くぞ」
「あの、は、はなして……」
「い く ぞ」
「あい……わかっ、はなし、」
後ろに引かれる力が強くなり、頭皮からみしみしと音がするような心地だった。このままだと禿げる。喉が引きつって変な声しか出ない。返事をしないといつまで経ってもこの姿勢だと判断したので、可及的速やかに肯定の返事をして解放を要求する。
解放された瞬間、頭に集中していた血液が一気に降りていくのが分かった。ちょっとめまいがする。
「リサ、大丈夫?」
「うん、大丈夫。わたし、行くよ」
チェレンがなんとも言えない顔で見つめている。そんな目で見ないでほしい。確かに話の途中でうやむやになってしまったし、いきなり相当変な姿勢になってしまったし、手持ちのポケモンからの扱いひどくない?って思われたかもしれないけど、気持ちがリセットできたからよしとする。何より早く忘れてしまいたい。
「リサ。心しろよ。いつだって世界を変えるのは夢を本気で追い掛けるヤツだ」
「……はい」
わたしの願いがどこまで通用するのか分からないけれど。
わたしの願いが想いの力として、どこまで強くなれるのかも分からないけれど。
こうして背中を押されているのだから、いけるところまで行ってみよう。
Nにも、行くって返事をしたのだから。
「うじうじしてごめんなさい。行こう、与壱」
返事はなかったが、与壱がわたしの隣に立った気配がした。
琳太に手を伸ばすと、するり、人のかたちを取って、先に階段へと歩き出した。
「チェレン」
「ん、んん……琳太か?」
「ん!いってくるね」
「ああ」
階段を少し上がって振り向いた琳太。
突然声を掛けられて驚いたチェレンは、けれどそれが琳太だと分かると、驚きの色はそのままに、生返事をして手を振った。
「琳太、でかくなったな」
「うん。とっても頼もしくなってくれたよ」
きっとチェレンの仲間達だって、頼もしく成長してくれたに違いない。いつかゆっくり、互いの旅の話がしたい。どういう出会いがあって、どういう冒険をしてきたのか。もちろんベルも一緒に。
翻った黒いマントの裾を追い掛けて、階段を上っていく。
強い風が吹いて立ちすくむと、そこには手すりもない階段が、野ざらしで奥の建物に通じていた。下を見ると谷底がぽっかりと口を開けていて、見なければよかったと後悔した。
なるべく階段の真ん中を歩くようにして、正面の建物を見つめる。ポケモンリーグよりもずっと高い建物だ。最初ここにやって来た頃、こんな建物はなかったはずだ。Nの台詞を思い出し、その直後に轟音が響いたことを考えるに、きっとこの城は地面の中に隠れていて、Nの言葉で浮上したのだろう。
いつから地下にこの城が潜んでいたのかは知らないが、城が出来上がるまで、相当な年月がかかったに違いない。
風が吹く度に幾度もはためくマントを見つめながら、黒い階段を踏みしめる。
前を向いたまま与壱に声を掛けると、小さい返事が聞こえてきた。
「失望した?」
「何が?」
「さっき背中に感じた殺気がすごくて……」
「アンタがあそこであの男に跪いて許しを請おうもんなら殺しとったけど」
与壱のワードセンスがいちいち殺意に満ちてるの、そろそろ馴れた方がいいんだろうか。
「わたしに怒ってたわけじゃないの?」
「あの男がいけ好かんかったっちゃ。」
わたしを睨んでたんじゃなかったんだ。
Nのことが相当気に入らなかったらしい。与壱がNと会うのは、さっきが初めてのはずだけど。あの一瞬でそんなに彼のことを嫌いになる要素があっただろうか。
殺伐とした視線を向けられたわけでもないし、自分が傷つけられたり、何かを奪われたわけでもない。
与壱の嫌いセンサーに何が反応したのか、皆目見当がつかなかった。
「Nのこと、そんなに嫌い?」
「しましまのっぽより好かん」
おい待てコラ!というはなちゃんの叫びが聞こえた気がした。
現に、腰にものすごい振動が伝わっている。場所が場所なだけに、わたしに配慮して出てくることは控えてくれているものの、文句を言う気持ちは抑えきれなかったのだろう。
与壱が楽しげに喉で笑う音がして、思わず溜め息が漏れる。
本能のままに生きすぎだと思うんだよね、彼は。
残り一段。
黒い手袋をつけた手が、わたしの方に伸ばされる。わたしのよりも一回り以上大きなその手を取ると、軽く引っ張られてマントの下に隠されるような格好で、懐に入れられた。
……落ち着く匂いがする。
深呼吸をして、重みのある黒い布をかき分ければ、そこはもう、城の中だった。
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