朽だら野にただひとり‐12
Nが1歩、アデクさんへと近づく。
力の差を見せつけるような構図に、余計アデクさんが萎縮して見える。
「ボクはチャンピオンよりも強いトレーナーとして、イッシュに号令を掛ける。”全てのトレーナーよ、ポケモンを解き放て”と!」
「頼む!ポケモンと人を切り離す……それだけはしないでくれっ!!」
ようやく顔を上げたアデクさんが口にしたのは、心からの懇願だった。
それを見ているのがなぜだかとても辛くて、わたしは自分の靴に視線を落とした。
「ボクとアナタはお互いの信念を懸けて、力を振り絞って戦った。そして、ボクが勝った。……もう、何も言わないでほしい」
そうしてNは、緩やかに視線を動かして、わたしをその視界に捉えた。
さっきのアデクさんに対するそれとは違い、しっかりをわたしに焦点を当てて、わたしの目を見ている。
Nにとって、わたしは視界に入るに値する存在なのだと気付いてしまい、それが疎外感を加速させていく。ちがう、わたしは違うのに。
「ああ、待っていたよ」
もうわたしのことを見ないでほしい。
あなたとは、別の生き物だと思わせてほしい。
わたしがここに来ることを予見していたかのような口ぶりで、Nはわたしへと向き直る。腰につけているモンスターボール、そのうちのひとつに手を添えたNは、確信を持ったように頷いた。
「キミもストーンを手に入れたんだ」
Nの言葉に反応したのか、それとも近くにレシラムがいるからか、鞄の中からわずかな振動が伝わってくる。
今までうんともすんとも言わなかったそれが反応を示していることは、喜ばしいことなのだろうか。
でも、Nがわたしを見ているのは、このダークストーンがあるからなのだと思えば、ずいぶん気が楽になった。これがなければ、きっと彼はわたしに見向きもしないだろう。
この瞬間、Nと戦う権利を持っているトレーナーは、わたしだけだ。わたしが、Nを止めなくちゃならない。
なのに、わたしの手はぴくりとも動かなくて、それ以前に、指先の感覚がない。神経が焼き切れているみたいだった。
かといって、ダークストーンを投げ出す気にもなれない。これを探し出すのにどれだけの人が協力してくれて、どれだけの時間がかかったことか。
その重みを投げ飛ばす力なんて、わたしにはない。
なけなしの勇気でもって歯を食いしばってみたけれど、それでも腕は動いてくれなかった。
後ろから与壱の視線が突き刺さっているのが分かる。視線というよりも、もはやそれは殺気に近いものだった。こんな及び腰なトレーナー、後ろから刺されても仕方あるまいと思ってしまうほどに、冷たい気配を感じる。
「決着をつけたいところだけれど、伝説のドラゴン達にふさわしいのはここじゃない!」
Nが両手を大きく広げ、空を仰ぐ。
「地より出でよ!プラズマ団の城!」
直後、地面がひっくり返ってしまうほどの衝撃と、耳の中を埋め尽くす轟音が響き始めた。ざらざらとした巨大な振動と音が平衡感覚を狂わせる。
バランスを失って尻餅をつきそうになったところに背中を支えてくれたのは、与壱だった。振り向きたいけれど、その余裕がない。両手で二の腕をがっしりと痛いほどに握られて、支えられている。
与壱の手首を掴んで、なんとか自分の足で立ち上がり、一呼吸置いてからダークボールに指先を乗せる。それだけで琳太は外へと飛び出し、再びひっくり返りそうになっているわたしを背中に乗せた。
「与壱ありがとう、戻って!」
わたしの声は、得体の知れない轟音でかき消されてしまったから届いていないだろうけれど、珍しく彼は抵抗しなかった。……嫌な顔はされたけど。
空中にいれば振動は関係ない。ようやく人心地けたものの、建物の柱は今にも倒れそうなくらいきしんでいるし、わたしが揺れているのかと錯覚するほどに、視界に入る全てのものが小刻みに震えている。
避難すべきだろうか。ならば、せめてアデクさんも一緒に。
言葉は届きにくいと判断して、琳太の背を手のひらで叩き、アデクさんを指さす。琳太はわたしの意図を汲んで、アデクさんのもとへと浮遊した。
2人、乗せられるだろうか。少し避難するくらいなら、紡希と美遥に任せてしまった方がいいかもしれない。そう思って腰の辺りに手を伸ばしたとき、一際大きな音がして、目の前が土煙で覆われた。
とっさに琳太の背中にしがみつき、姿勢を低くする。細かい破片がいくつも頭にぶつかる感触がした。
ブラウスの袖で口と鼻を覆って顔を上げる。夜目が利く方だからといって、土煙の向こう側まで見渡せるわけではない。視界が晴れるまでにそれなりの時間がかかったものの、すっきりとした視界になる頃には、振動も轟音も止んでいるようだった。
「……!」
Nの立っている場所、そのすぐ横に、黒い階段が出現していた。もともとあった仕掛けが作動した訳ではなさそうだ。それは、壁をぶち破ろ、柱をなぎ倒して生えてきたもので、侵略の意図を持っているのが見て明らかだった。
がれきにまみれた足元を意に介することもなく、平然とNは変わらずそこに立っている。
「今現れたのが、プラズマ団の城!」
「城……?」
「今やこのポケモンリーグはプラズマ団の城に囲まれている」
この階段の先に、城がある……?
よりにもよって、こんな、ポケモンリーグという、イッシュ地方で最も強いポケモントレーナー達が集まる場所に?
チャンピオンに膝をつかせ、ポケモンリーグを侵略する。
Nがこれを?
そう思うと同時、重たいマントをまとった背の高い男の、嫌な感じのする笑みが脳裏に浮かんだ。
きっとこれは、あの男が描いたシナリオなのだろう。
「王の言葉……あの高みから下々に轟かせる」
王。Nは自分のことを”王”と言った。チャンピオンではなく、王様。どちらも頂点に立つものを表す言葉だけれど、ニュアンスが違って、だからこそ異質だった。
チャンピオンは、勝者。そこに仕える者はなく、手を伸ばす意思さえあれば、誰にでもその座を求める権利がある。
片や王様というのは、仕える人達がいて、民草がいる者。選ばれし者。みんなが目指せるものじゃない。
Nが目指しているのは勝者ではない。
チャンピオンに勝ったのは、言葉に重みを加えるためのスパイスに過ぎない。発言力を増すための手段に過ぎない。
そもそも、言葉を発するのは王でなければならない。号令を掛けるのは上の立場の者でなければならない。
元々王の資格があったからこそ、Nはチャンピオンを打ち負かしに来たのだ。
では彼は、誰の王なのか。
プラズマ団を従える、プラズマ団の王?どうにもそれはしっくりこない。団員はNのことを敬っているようだけど、王様として崇めているような感じはなかったように思う。わたしが気付かなかっただけで、本当はそういう構図があるのかもしれないけれど。
「キミも城に来るんだ」
そこで全てを決めよう。
わたしに向けて放たれた言葉は、どこまでもまっすぐだった。
チャンピオンに勝ったのだから、もうわたしに見向きもしないでいいはずなのに。どうしてか、Nはレシラムとゼクロムにこだわっている。
やろうとしていることを考えると、今ここでわたしを倒してしまって、もいいはずだし、そうしなくても、無視して城へと逃げてしまえばいいだけのことなのに、それをしようとしない。むしろ、わたしやアデクさん達からしてみれば、挽回のチャンスと受け取れるような状況を、N自らが生み出している。
それが余計に、ゲーチスとNの考え方の違いを浮き彫りにしていた。
ゲーチスならば、迷わずわたしをここで潰すなり、何らかの策を講じていることだろう。
ダークストーンを探せと言って積極的にわたしに関わってきたのもNだ。ゲーチスではない。ゲーチスは、Nに従っているようなフリをしながらも、こちらを潰す機会を虎視眈々と狙っているのが明らかだった。
琳太がNを威嚇するように、アデクさんの前に移動して、低い唸り声を上げた。
黒い背中から滑り降りるように着地すると、思いのほか、両足はしっかりと踏ん張ってくれた。
「わたしが勝ったら、ポケモンの解放を、やめてくれる?」
Nは鷹揚に頷いた。
「……分かった」
だからわたしは是と言わなければならない。
この、シナリオライターと演者との間にできたほころびを、わたしが広げなければならない。
崩すのはわたしじゃなくてもいい。でも、このほころびに気付いているのがわたしだけなら、どうか、それに他の人が気付くぐらいは、誰かの手が入り込む余地くらいは、用意しなければならない。
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