朽だら野にただひとり‐11 

「やっぱりアナタ、不思議だわ」
「そう、ですか……?」

 もしかして、ハーフであることをうっすら感じ取っているのだろうか。
 さっきふわふわとモンスターボールが浮いていたのを見るに、この人ももしかしたら、と思わないこともなかった。自分よりもずいぶん顕著な特徴を持っているような気がするけれど、訓練すればあんな風になるのだろうか。あるいは、わざを使えるようにもなったり、なんて。
 ……自分から聞こうとは思わないけど。

「でもこれ以上は何も言わないわ。きっとアナタはこれまで自分の存在自体に悩み、苦労してきたこともあるのでしょう。それでも、今のアナタはとてもエレガントでエクセレントなトレーナーよ」

 まるでわたしの旅を、人生を見聞きしたかのような口ぶりに、喉が引きつるような感覚をおぼえた。口の中が乾いていく。
 ほめられて、いるのに。喜ぶべき言葉をたくさんもらっているのに、
 探るような目つきでもないのに、どことなく見透かされているような気がして、目が合わせられない。

「ごめんなさい、怖がらせてしまったかしら……」
「い、いえ、あの、」

 びっくりしただけです、と言いたかったのに、言葉がうまく出てこない。
 差し出された手を、握手かと思って反射的に握ると、優しく両の手で包み込まれた。握られているというよりは、包まれているという感覚の方が正しい。
 綿雲のように柔らかく、シルクのようになめらかな肌で、同性なのに、なぜだか居心地が悪くなるくらいどぎまぎしてしまった。
 どれくらいの間そうされていたのかは分からなかったが、ふと目が合ったかと思えば、ゆっくりと、カトレアさんの手が離れてった。
 気付けば、呼吸も落ち着いて、カトレアさんの目を見ても、恐怖を感じなくなっている。さっきのアレは一体何だったのだろうと思えるくらいに、今のわたしは落ち着いていた。

「アナタならきっと大丈夫よ。あまり多くは言えないけれど……。ああそうそう、広場の中央にある銅像を調べてみて。そうすれば、チャンピオンの部屋に行けるわ」
「ありがとう、ございます……」

 アタクシはもう一眠りするわ、と言うなりカトレアさんは天蓋付きベッドに潜り込み、ベッド周りにあるカーテンを閉めてしまった。
 衣擦れの音も、やがて静まっていく。

「ほ、ほんとに寝たの……?」

 思わず声に出してしまったが、返事はない。
 仮にもイッシュ地方の一大事かもしれないというのに、と思いもしたが、立場上、彼女はここから離れられないのだろう。それに、ここから離れないことを、とっくの昔に彼女たちは選択していたのだということを思い出して、先ほどの思いを振り払った。
 四天王の人達の選択に、わたしがとやかく言う資格はない。
 終始無言でそばにいた与壱に声を掛け、カトレアさんの部屋を後にした。

 広場に戻ると、銅像から光が漏れていた。
 わたしが条件を満たしたことによって、何らかの仕掛けが作動したのだろう。

「これ、調べるっていっても、どうやったらいいんだろ」

 銅像の真正面に、向かい合うようにして立ち、巨大な何者かの姿を見つめてみる。これ、初代チャンピオンの銅像だったりするのだろうか。少なくともアデクさんには全然似ていない。

「知らんけど調べろってことは近くで見ろってことか」
「うーん、そうなるのか……なっ!?」

 1歩前に出て、銅像に顔を近づけた瞬間、ガタンと地面が揺れた。どんどん視界が低くなって……ちがう、銅像の周りが地下へと潜っている。
 地下へと続くエレベーターの役割を果たしているのだろう。銅像の台座ごと、わたしと与壱の身体は下へ下へと降りていく。

 ずりずり、ごりごりと石壁の削れる音を聞いていると、程なくしてそれが止んだ。どういう原理かは不明だが、床を突き抜けてなおそのまま空中に浮いている台座は下降を続けている。
 視界が開け、長い階段が目の前に広がった。横幅も長いが、段数も相当ある。どうせエレベーターで降りるのなら、階段の上に到着するように設計してくれてもよかったのでは?と思わなくもない。
 地下に降りたはずなのに、そうとは思えないほど明るい。
 そして、既視感がある。

「……紡希」
「ええ、そっくりね」

 つむぎをボールから出して確認してもらう。やっぱりそうだ。
 長い年月を感じさせる床の石も、少し土埃で煙たいところも、リゾートデザートにあった古代の城にそっくりだ。階段の途中、踊り場にあった朽ちている柱も、どことなく見覚えのあるものだった。

「同じ時代に作られたのか、それとも真似をしたのか……いずれにしろ、よく似ているわね」
「うん」

 階段を上っているうちに、背中が暖かいことに気付く。振り抜くと、うっすらとした西日が差していた。地下に潜ったと思っていたのに、階段を上るウチ、地上に出ていたらしい。どういう構造になっているのだろう。
 もともとチャンピオンロードを抜けた時点で相当な高さにある場所だったから、少し下に潜ったくらいではまだ地下のうちに入らないということだろうか。

「もう、少し、ね……!」
「ご、ごめん紡希!戻って戻って」

 息を切らし始めた紡希に気付いて、慌ててボールをかざした。
 バトル前に体力を使い切ってしまっては意味がない。チャンピオン戦となれば、彼には必ず出てもらうと最初に決めていたのだから。

 そろそろ膝が笑い始めるかというところで、神殿のような大きな建物が見えてきた。砂漠の国にありそうな、ドーム型の屋根をもつ建物だ。
 ドアはなく、柱の間を通り抜けるようにして中に入ると、荘厳な神殿を思わせる内装が目に飛び込んできた。
 白を基調とした、重厚感のある石造りの建物。正面には開けた場所があり、そこがバトルフィールドであることは、向かい合っている2人の影をみとめずとも、明らかだった。
 
 どちらが勝ったのだろうか。それとも、まだ勝敗は決していないのだろうか。
 駆け寄ったわたしの目と鼻の先で、アデクさんが膝をつくまで、わたしはいかに、自分が楽観視していたかを思い知らされた。
 
 四天王が信頼しているチャンピオンが、負けるはずがない。
 わたしよりももっとアデクさんは強いのだから、きっと大丈夫だ。
 わたしだってNに勝ったことがあるのだから。
 自分はまぐれで四天王の人達に勝ってきたけれど、結局応援に駆けつける、傍観者の気分でいた。
 それが許されないのだと気付くには、あまりに遅すぎた。

「……終わった!」

 完全勝利を表す第一声。
 Nの、興奮からかわずかに震える声が、フィールド内に反響する。

「もう、ポケモンを傷つけることも、縛り付けることもなくなる。トモダチ、レシラムのおかげだ!」

 ……Nが、勝ったんだ。
 うつむいて膝をつくアデクさんの姿があまりにも小さく見えて、言いようのない虚しさがこみ上げる。

「チャンピオン……アナタは優しすぎるんだ。数年前、パートナーだったポケモンを病で失い、心の隙間を埋めるため、イッシュを彷徨っていた……」

 本気で戦ったのも、久しぶりなんでしょう。
 Nの言葉は柔らかくて、けれど、冷たくて素っ気ないものだった。
 アデクさんがパートナーを失っていた事実を、わたしは知らなかった。けれど、それがどれだけ苦しくて恐ろしいことなのかは、少しだけ、分かっているつもりだ。

 アナタのそういう部分は嫌いじゃないけど、と続けたNの目は、もうアデクさんを見ていなかった。もっと遠い、別の場所に目を向けている。
 
 今この瞬間、イッシュ地方で最も強いポケモントレーナーは、Nだ。
 しかし、彼がチャンピオンという立場を欲しがっているわけではないということは明白で、それがそら恐ろしかった。
 彼の目に見えているものはきっと、他の誰にも見えていないものだ。誰にも追いつけない、理解しえない世界を見ているのだ。
 ポケモンはトモダチ。けれど、人から切り離されるべき。矛盾しているようにしか思えない考えなのに、彼の中で、それはイコールになっていて、繋がっている。
 
 姿形は同じなのに、全くの別世界から来た人のようだと思って、それが直後、自分の胸を貫いた。
 ……わたしだって余所者なのに。



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