朽だら野にただひとり‐09
レンブさんは、倒れたローブシンをしばしの間、見つめていた。ローブシンの指がぴくりと動くと、我に返ったように姿勢を正し、傷ついたパートナーをボールに収めたのだった。
「さすが、だな」
腰のボールホルダーを触りながら、レンブさんが歩み寄ってくる。
「お前には、強さを求める気持ちが、気概が、感じられなかった。……だから、勝ち進めたのもまぐれだと思っていた」
「……」
図星ではあった。
わたしは強くなりたいわけではない。強くなれと言われたことはあるし、強くならなければならないと思ったこともあるけれど、強いポケモントレーナーになりたいと思ったことはない。
気がついたらここまで来てしまっていただけだ。運がよかったのか悪かったのかは分からないけれど、それでもここまで来られたのだから、強くなっているというよりも、なんとかやってこれたという方がしっくり来る。
だから、レンブさんの言うとおりだと思った。きっと彼は、わたしがこうして1対1での勝ち抜きを許されていることすら、本心では不満だったはずだ。
「だが」
接続詞の違和感に顔を上げると、レンブさんは、想像していたよりも遙かに穏やかな表情をしていた。凪いだ笑みで、わたしのことを見ている。
「お前は強さのその先を見ているのだな」
「えっ……と?」
「きっとお前の持つそれは、”強くあれ”と誰かに望まれた強さだ」
きっとその強さは、誰かを救うのだと、レンブさんは続けた。
とてもそんな大層な信念を持った覚えがないので、思い切りうろたえてしまった。
ジムバッジを全部集めたい。ポケモンリーグに挑戦したい。そう思って日々強さを求めている少年少女は、きっとこの世界にたくさんいる。その中でここまで来れるのは、ほんの一握りだ。その一握りの中に、わたしが入ってしまってもいいのだろうか。それは何度も思ってきた。
だって、わたしの目標はチャンピオンロードにあって、その目的はもう、叶ってしまったのだ。今立っているこの場所は延長戦。大多数からは喉から手が出るほど欲しいと、替われるものなら替わってくれと望まれ妬まれ願われる立場にあることに、何も思うところがないわけではない。
誰か、替わりの人がいたらと、思うことも何度かあった。
「わたしは、ここにいてもいいんでしょうか。……”強さ”を求めたことのないわたしが」
「それは私が決めることではないな」
どこを自分の居場所と定め、どこで生きていくのかは、自分で決めろ。
レンブさんはそう続けた。
「ただ、お前を見ていると、そういうのは必要ないのかもしれないとも思った」
「……?」
「誰かに望まれるだけでも、自分の居場所を定めなくとも、お前は、お前達は、ここまでやって来たのだから」
そうだ。わたしはひとりじゃない。自分の居場所を自分で用意する必要はない。誰かに用意された椅子であっても、誰かが作ってくれた道であっても構わない。そこに座ると、そこに進むと決めるのはわたしの意思だ。
ときにはわたしが誰かの居場所を用意することだってあるだろう。道を示したことも、もしかしたらあったのかもしれない。
腰についたボールの重みは、わたしが用意した居場所の、そこを守ることの大切さが詰まっているから。
「この先に何があるのかは分かりませんが、……進んでみようと、思います」
「ああ。カトレアは、手強い。ゆめゆめ侮るなよ」
「はい!」
自分と同じくらいの年齢に見えた、金髪の少女。
それでも四天王の座についているのだから、侮れない。侮れるわけがない。
深緑色のボールに指を添えると、大丈夫だよとでも言うように小さく揺れた。目に見えないくらいの微かな振動だったけれど、それで十分だった。
与壱と2人でリフトに乗ると、それはなめらかに入り口まで動き出した。
彼はちらちらと遠くなっていくバトルフィールドに目をやっていた。
「何か下にある?」
「いんや。別に」
「そっか」
「……あれくらいオレでもできるし」
「あれ」が何なのかは分からないけれど、ここで突っ込んでも返事はないだろうから、聞こえなかったことにした。
そういえば与壱、はなちゃんが一生懸命戦ってる最中には全然茶化すようなこと言ってなかったような。心のどこかでは、はなちゃんのこと、認めてくれてるのかな。
「はなちゃんがローブシンの振り回してるやつの上にひょいって乗ったの、すごかったねえ」
ローブシンの石柱と、はなちゃんの蹄のぶつかった音が、今も耳の底に残っている。
昔話で読んだ、弁慶と戦ったときの牛若丸みたいな身のこなしだった。はなちゃんのあの動きは、橋の欄干を軽い身のこなしで飛び回り、弁慶を翻弄した牛若丸を彷彿とさせた。
とはいえ、それをはなちゃんに言っても通じないと思うんだよなあ。牛若丸も弁慶も、きっとこの世界には存在しないだろうから。
与壱の返事がないまま、入り口まで戻ってきてしまった。
やっぱりはなちゃんのことはそんなに好きじゃないのかな。急に仲良くなれと言われても無理な話だろうし、わたしの勘違いだったみたいだ。
「よい」
「あれくらい!オレでも!」
……できるし。
最後は尻すぼみだったけれど、今度ははっきりと、無視できないくらいの声量だった。
ぷい、と分かりやすくわたしから顔を背けている与壱の背中が、わたしよりもずっと大きいのに、とても幼く小さいものに見える。
こ、これはもしや……すねている……!
嫉妬と言ってもいいのかもしれないけれど、あまりにも子供っぽいので「すねている」の方がしっくり来る。
ついでに言うと耳の端が赤い。
しかしどこをどう指摘しても絶対に怒られる自信がある。どうしたものか。
「与壱、」
「……」
背中をつんつんすると、くすぐったかったのか、びくりと反応して振り向いた。口元は袖口で隠れ、右目は髪の毛で隠れ、唯一表情が読み取れそうなのは左目だけだ。
細められた左目がわたしを見たかと思うと、またすぐに顔ごと視線を逸らされた。
仕方がないので、空いていた左手を、わたしの右手で掴んだ。
与壱は大した抵抗もせず、されるがままになっている。一瞬睨まれはしたけど。
彼の手を引いて銅像の前に一度戻ってみたが、まだ銅像に変化はなかった。全員に勝って初めて、先に進む道が示されるのだろう。
「与壱も頑張ってくれてありがとね」
「はいはい」
はいはいって何だ。色々気を遣ったのにその結果わたしが相手にされてないってどういうこと?
ちょっと腹が立ったので、ぶんぶんと繋いでいる手を大きめに振って歩いてやった。少し眉をひそめた与壱は、それでも抵抗しなかった。
半ば強引に引っ張るような形で与壱を連れ、カトレアさんの部屋を目指す。そして扉の先にあったのは、超高級ホテルや海外の大豪邸にありそうな天蓋付きのベッドだった。
天井から垂れ下がるカーテンは縁起のいい末広がりで、その繊細なレースの隙間からは、ふかふかそうなベッドが覗いている。
ベッドに腰掛けていた少女は、緩くウェーブした金髪を揺らしながら、ゆっくりと立ち上がる。
「仲がいいのね」
「えっ」
わたしが何かする前に、与壱がわたしの手を振り払った。反抗期の息子か。
お母さんと一緒に手を繋いで歩いているのを同級生に見られたときの気まずさを体現したかのような、振り払いの早さだった。
たっぷりと豊かな金髪が、風もないのに波打っているように見える。
「アナタ……不思議な感じね……」
エスパータイプ使いというのは、みんなこんな風に不思議な雰囲気をまとっているのだろうか。どこかつかみ所がないのに、わたしのことは見透かしているような感じがする。不思議だと言いたいのはこちら側なのだが。
ひとつ、大きなあくびをしたカトレアさんが片手を上げると、審判が旗を持って現れた。
これ以上会話を続ける気はないらしい。続きを聞きたいような気はしたけれど、それはバトルの後でもできる。
ダークボールに手を添える。
「あくびが出ちゃうような、退屈な勝負だけは勘弁ね……」
硬質な床は、大理石のようにつるつるしている。部屋の奥にベッドがあるというのがとても気になるけれど、ここがバトルフィールドになるので間違いないようだ。シキミさんだって本に囲まれて部屋で戦っていたし、四天王の人達はここでバトルをすることを覚悟しつつも、自分の趣味で好きに部屋を改装しているのだろう。
「よろしくお願いします」
四天王最終戦開始の旗が、ついに上げられた。
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