朽だら野にただひとり‐05 

 四天王の人達が手を抜くことはないと、重々分かっている。
 それでも、彼の視線に射抜かれて、思わず挨拶の言葉に詰まった。気圧される、とはこういうことか。このまま視線が絡み合っていたら、呑まれてしまいそうだ。

 両者こちらへ、という審判の声がなければ、わたしはいつまでもそこに立ち尽くしていたかもしれない。

 赤い絨毯から離れて、モノクロのタイルの床へ。カツカツと鳴る足音が小気味よい。
 そのままバトルフィールドに立つ。シキミさんのところとは違い、テニスコートのような、砂ではない地面になっていた。材質は違えど、ここまで同じようにモノクロの模様になっていて、チェス盤のようだった。これから向かいに立つ相手を倒すのだから、もはやこれはチェス盤そのもの、なのかもしれない。

「旗が上がるまで動いちゃダメだからね」
『耳タコちゃ、それ』

 今か今かと震えている紫の球体を、旗が上がると同時、放り投げた。
 指先からボールが離れるのと、ボールから光が溢れ出すのはほぼ同時だった。
 しなやかに身体をくねらせながら、与壱がフィールドへと降り立つ。

「さあ、行っておいで」

 ギーマさんが放り投げたボールから現れたのは、初めて見るポケモンだった。
 赤いヘルメットを被っているように見えるが、そのヘルメットからは鋭い刃が伸びている。ヘルメットというよりも、兜に近い。それに、鋭い刃は頭だけではなく、胴体にも生えていた。触れただけで切り刻まれてしまいそうだ。

「キリキザン対コジョンド、試合開始!」

 人型に戻ってもダメ、フィールドを出てもダメ。バトルの直前に再三言い含めていたことをもう一度言おうとしたら、与壱が心底うっとうしそうな視線を向けてきた。
 言いかけていた言葉を飲み込んで、代わりに、指示を出す。

「ねこだまし!」
「つじぎり!」

 パァン!と心構えができていても飛び上がってしまいそうなほどの破裂音。しかし、ねこだましを真正面から受けても、キリキザンはほんのわずかにしか止まらなかった。白く鋭い爪が、与壱の細い身体に食い込む。

『ッち!』

 キリキザンの爪が振り抜かれる前に、与壱はかろうじて身体を捻り、後ろへと跳躍した。バトルフィールドのラインぎりぎりに着地し、再び前方へと跳躍する。

 キリキザンは、確かにひるんでいたはずだ。でも、そこからの立て直しが予想よりもはるかに早かった。初手でこちらのペースに持ち込もうと思ったのだが、作戦は失敗した。それに、ねこだましは威力も高くないし、キリキザンに対しての相性もよくない。
 現時点ではどちらかというと、相手の方に分がある。

「おやおや、よくかわしたものだ」

 ギーマさんの声には、余裕がにじみ出ている。実際余裕があるからなのか、それとも、ポーカーフェイスがうまいのか。それが分かるのは、わたしが優位に立てたとき。

「じゃあ次は、どうする?……つばめがえし!」

 つばめがえし。空を飛ぶツバメを一閃、刀で切り落とすように。あるいは、ツバメが空中で素早く身を翻すさまを体現するように。それは避けることを許さない、必中の一撃。そして、与壱の弱点とする、ひこうタイプのわざでもあった。
 与壱は覚えているわざの数が少ない。わざマシンを使う余裕も、使いこなす時間もほとんどなかったからだ。覚えたてのわざを試せるほど、この勝負は甘くない。

「とびひざげり!」

 リスクの高いわざは嫌いだ。反動をもらえば痛いし、外せば窮地に追い込まれるわざだってある。でも、でも、向こうが”決して避けられない一撃”で向かってくるというのならば、それは”相手が必ずこちらに接触してくる”ということだ。

「なるほどそう来るか」

 与壱の丸くゴム毬のような膝が、弾丸のように飛び出す。あんなものが顎に当たってしまえば、一生目を覚まさない自信がある。
 白くきらめく刃が振り下ろされるが先か、とびひざげりがキリキザンの身体に食い込むのが先か。
  衝突の瞬間はほんの一瞬で、お互いの攻撃が果たしてどれくらい通ったのか、全く分からなかった。

「与壱!」
 
 与壱はとびひざげりの勢いを利用して、ぐるりとバク宙、着地した。
 
 身体の動きを見るに、大きなダメージを負ったわけではなさそうだ。しかし、それは相手のキリキザンも同じこと。
 キリキザンは与壱から目を離さないまま、ゆっくりと後ろに数歩、下がる。
 
 与壱の着地音が聞こえたか聞こえてこないかのうちに、再び与壱の身体が跳ねる。今度は、身体全体がゴム毬のように丸く飛び跳ねた。
 両腕から伸びている鞭のような毛が、ひらひらと振袖のように舞う。
 再び接近戦に持ち込むべきか、それとも。

「はどうだん!」
『殴りたいっちゃけど』

 文句を言いつつも、ふわりと身体を広げた与壱が光の球を撃ち出す。
 わざの反動を利用して着地した与壱の背中が少し、傾く。いつもなら気付かなかったかもしれないけれど、はどうだんの光で浮き彫りになった影が少し不自然だったから、かろうじて気付くことができた。

「与壱、まだ動ける?」
『は?』

 これは「何を言ってるんだお前、殴るぞ」の『は?』だ。与壱は苛立たしげに地面をはたき、思わず顔をしかめたくなるような音を立てている。痛そう。
 まだまだ元気そうなので、ダメージのことは心配しなくてもよさそうだ。
 ここからさき、心配する余裕があるかどうかは分からないけれど。

 はどうだんをいなしたキリキザンが、再び鋭い爪を振りかぶって与壱に迫る。
 先ほどと同じモーション、つばめがえし。さすがに、そう何度もとびひざげりで帳消しにするわけにはいかないだろう。
 しかし、あれをどうにかしなければ勝てないのも事実。
 ……と、目を疑う光景が。

「何してるの」
『邪魔ちゃ』

 そういう問題か?という言葉は飲み込んだ。代わりに「はあ」という生返事を吐き出す。そうしている間にも、ぶちぶちと鈍い音がして、与壱の腕はどんどん軽量化されてく。先ほどまで地面に打ち付けていたストレス解消グッズもとい腕の長い毛を全て抜いている。
 しかも、手でちぎるのではなく、口で噛みちぎるようにして抜いている。なんとなく頭に浮かんだのは、動物ドキュメンタリー番組の肉食獣が捕食しているシーン。それぐらいのワイルドさがある。……いや、なんで?
 
 痛くないのだろうか。脇目も振らず抜いているそれを止めようという気持ちが起こらない。そういうことを考える分のキャパシティもすべて「なんで?」という疑問に圧迫されている。もう容量オーバーだ。ただでさえバトルの最中で緊張していて、必死に思考を巡らせていたというのに、突然こんなことをされて柔軟に対応できる新米トレーナーがいたら是非教えてほしい。
 
 リストカットを彷彿とするそれに戦慄したが、ギーマさんも審判も止める様子がない。ギーマさんはむしろ、愉しげに与壱の行動を見守っているかのようにすら見える。これバトル中断させてない?大丈夫?

 ぽいぽいっと長い毛を最後の1本まできれいにちぎり終わった与壱の腕は、なんだか少しさみしい感じがした。いや、なんで抜いた。しかも今。なんで?本当になんで?
 
 キリキザンは突然の与壱の行動にも動じることなく、静かに全てが終わるまで待ってくれていた。それもなんで?バトル中に相手が毛を抜いていたら手を出すなっていうルールがあるの?
 わたしからすると、相手が律儀に待ってくれるほどの行動にも見えなくて、余計に混乱する。

「やる気満々だねえ」
「そ、うだといいですけど……」

 思わず他人ごとのような返しになってしまうのも許してほしい。後で図鑑を確認しておこう。
 ……腕の毛がちゃんと生えてくるかどうかについて。



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