朽だら野にただひとり‐04
終わっただろうか。
審判の方を見ている余裕はない。もしシャンデラがまだ起き上がってくるようならば、よそ見が命取りになる。
布のはためく音がした。
「シャンデラ、戦闘不能!」
審判の合図があった直後、実感がわかず、審判の言葉を口の中で復唱した。
上がった旗がこちら側だったのを見て、泥だらけの地面に落下したまま動かないシャンデラを見て、ようやく、勝ったのだと理解した。それでも、指先の感覚は全くなくて、呼吸ひとつですら意識しなければ忘れてしまいそうなほどだった。
シャンデラから1拍遅れて着地した九十九に駆け寄ると、彼も泥んこになっていた。着地したときに跳ねた泥がついたのだろう。特に足がひどかった。
「九十九、ありがとう」
わたしの意図を読み取ってくれて。
たきのぼりは本来、滝を登るような勢いを利用して相手に突進するわざだ。それを攻撃ではなく、跳躍するために使ってほしいと思って叫んだのだけれど、九十九は本当によく汲み取ってくれた。
『ううん、こちらこそ……ッ』
「九十九?」
こちらへと近づいてきた九十九の顔が歪んだ。頭を垂れ、ぐっと身体を丸めるような動作。
一瞬、九十九の兜、その先にある剣から、火花が上がったように見えた。シャンデラの遺しもののような煌めきの火花だ。
『ちょっと、火傷したみたい……』
だいもんじが掠ったとは思えない。おそらく最後のあの……シェルブレードを当てたとき。シャンデラの身体に触れたから、そのときに炎の熱で火傷してしまったのだろう。
きっとシェルブレードで決めきれずにバトルが長引いていたら、火傷でじわじわとこちらが追い詰められていたに違いない。勝ててよかった……。勝てたのはもちろん、九十九のおかげだけど。本当によく、頑張ってくれた。
「ありがとう、九十九」
やけどなおしを吹きかけると、九十九の表情が和らいだ。
応急処置のためにキズぐすりも吹きかけて、ボールに戻す。あとはゆっくり休んでね。お疲れさま。
ぬかるんだ地面に横たわっているシャンデラを、泥だらけになることも厭わずシキミさんが抱き起こす。
「シャンデラ、痛い思いをさせてしまって本当にごめんね!ゆっくり休んで……」
『いいんだよ。でも、悔しいなあ……』
シャンデラの言葉は、シキミさんにとって鳴き声にしかならない。けれども、シャンデラが伝えたいことはちゃんと伝わっていると思えた。
「アナタ、グレートです!」
四天王の人達に勝っても、バッジのような勝利の証をもらえるわけではない。
けれど、1勝は1勝。嬉しいことに変わりない。
「こちらこそ、ありがとうございました……!」
握手を求められてそれに応えたとき、自分の肩ががちがちに固まっていたことに気付いた。自分が思う以上に緊張していたらしい。気付いてしまうと、そういえばさっきのバトルのあの場面で、もっとうまい声のかけ方があったな……と思うところも出てきた。
でも、初戦突破のおかげでずいぶんと緊張はほぐれたと思う。
「先ほどの挑戦者……彼も、確かに強かった。でも、人には人の、ポケモンにはポケモンの物語があるんです!そして人だけ……ポケモンだけのお話よりも、人とポケモンが助け合うお話のほうが絶対におもしろいんです!」
言いたいこと、伝わりますか?と不安げに尋ねてきたシキミさんに対して、わたしは大きく頷いた。
「わたしも、そう思います。だから……先に、進みます」
「はい!がんばってくださいね!」
シキミさんに見送られて、わたしと与壱は本にまみれた空間から、また元の銅像の前まで戻ってきた。
与壱はさっきのバトルを、どう思っただろう。
「ねえ与壱」
歩きながら小さく振り向いて、与壱の顔を見る。
表情からは何を考えているのか、相変わらず分かりにくい。
「やっぱりよく分からん。特にメリットもなくただ痛い思いしとるだけやん」
「確かにわたし達は声しか出さないけど、九十九達には痛い思いさせてる。それは分かってる」
初めてポケモンバトルをテレビ越しで見たとき、わたしもそう思った。
でも、実際に生で見たポケモンバトルは、全然違った。戦うことが目的の、野蛮な文化なんかじゃない。
ある種スポーツのようなものだと、わたしは解釈している。
トレーナーの指示に応え、精一杯戦うポケモン。状況を把握し、ポケモンの目となり頭脳となる、トレーナー。お互いの息が噛みあってこそのポケモンバトル。
初めて見たバトルは、きっと全然ハイレベルなものじゃなかった。今のわたしのバトルの方が、もしかしたらうまいかも、なんて思ってしまうくらい。
「でも、ポケモンバトルってすごいんだよ。ポケモンと人間とのね、繋がり?みたいなものが、すごくよく分かるの」
「ふうん……」
「もちろん無理に戦えとは言わないけど」
九十九だって初めはバトルが苦手だった。
与壱は戦いこそするものの、ポケモンバトルが好きかどうかはまた別の話だ。だから、ポケモンバトルをやれとは無理強いしたくない。でも、ポケモンバトルと、相手を傷つけることはまた別物なのだと、分かってほしかった。
「ま、そのオサムライさんとあんたが仲よさそうなんは分かったけど」
「おさむらいさん」
そういう呼び名は初めて聞いた。確かにわざは剣のようなものを扱っているし、擬人化したら和服だけど……。
でもまあ、仲がいいっていうのがさっきのバトルで伝わってたのなら、わたしの気持ちは米粒1つ分くらいは伝えられただろう。
「次、戦ってもらうけれど、やめたくなったりしてない?」
「別に」
ギーマさんの部屋に向かいながら尋ねると、素っ気ない返事が返ってくる。
やる気満々、というわけではないけれど、完全に期待や興味を失った様子でもない。
部屋の扉を開ける直前でマスターボールを与壱にかざしたとき、初めて彼の表情が動いた。すごく嫌そうな目つきに。
「しょうがないでしょ。ちょっと我慢して。あと、審判の人が試合開始って言い終わるまでは動いちゃダメだからね。失格になるから」
「……」
めちゃくちゃでかいため息をついて、与壱は渋々マスターボールに触れた。
与壱の姿が球体の中に吸い込まれきったのを確認して、先ほどよりもいささか素早い動作で扉を開けた。
なんとなく、与壱に早くしろとせっつかれているような気がしたからだ。
いや、気のせいではない。ボールがカタカタと揺れている。
慌てて開けた扉の先には、モノクロのタイルが敷き詰められた床。ふかふかの赤い絨毯が一直線に前へと伸びていて、その先に、ギーマさんがいた。
ギャンブルをするようなところ、カジノとか、そういうところ。本物は見たことないけれど、多分そういったところに雰囲気が似てると思う。
見上げると、天井からはシャンデリアがつり下がっていた。とても豪華な作りの部屋だ。
他の部屋もきっと、四天王の人達それぞれの特色がよく現れているのだろう。
「やれやれ……今日はどういう日かな。続けざまに挑戦者がやってくるとは……」
すらりとスラックスに包まれた長い足を動かして、ギーマさんがわたしの方へと近づいてくる。
絨毯がふかふかだがら、互いの足音がしない。無音なのが、妙に緊張感を駆り立てた。さっきのシキミさんとの戦いで緊張は取れたと思っていたのに、またぶり返してきそうだ。
「手は抜かないよ」
ギーマさんがそう言って、モンスターボールを構えた。
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