朽だら野にただひとり‐03 

 今一度銅像に刻まれた文字を確認して、シキミさんの部屋がある方角に向かって歩き出す。
 目の前に立ちはだかる4つの扉、そのうちのひとつを開けると、そこにあったのは本、本、本。
 薄暗い照明に照らされた空間には、うずたかく本が積み上げられていた。壁一面にみっちりと本棚があり、そこからあぶれた本が、そこらじゅうに散らばっている。はしごや脚立なしでは到底届かない高さまで積み上げられている本達もあった。もはや塔だ。

 あまりの異様な光景に、ここがどこだか忘れてしまって立ち尽くす。
 シキミさんに話しかけられるまでずっと、わたしはドアを開け放したままの姿勢で入り口に突っ立っていた。

「どうぞこちらへ」
「は、はい」

 彼女はペンとノートを持っていた。
 よく見ると、ペンではない。万年筆だ。開かれたノートには、わたしが見ている間にも、文字が書き込まれていく。絶えず動かされている万年筆の音は、さらさらと静かで心地がいい。

「あの……」
「あっすみません!今メモを取らなきゃ忘れてしまいそうだったので!」

 何のメモだろうか。
 そういえば、彼女はNのことを何か難しげな言葉で比喩していたような。何かの記事や小説を書いたりしているのだろうか。それなら、この部屋の異様な量の書籍にも納得がいく。……いや、やっぱり多すぎると思う。この本の量。

「カノコタウンの、リサです」
「リサさん、ポケモンリーグへようこそ。ゴーストポケモン使いの四天王シキミ、お相手いたします!」

 ノートがパタリと閉じられる。その音を皮切りに、ぱりっと空気が張り詰めた。
 彼女が万年筆とノートを傍らに置き、立ち上がるともうそこには、”四天王のシキミさん”がいた。
 床が割れ、下からバトルフィールドが現れた。え、これ、本当にここでバトルするんだ……。本って痛まないのかな。砂地のフィールドを目にして、改めて心配になった。砂埃のお掃除が大変そう。
 
 審判の旗が上がる。
 同時に放り投げられた球体が弧を描き、部屋中を照らし出すほどのまばゆい光を放った。
 街灯のような、燭台のような……そして、シャンデリアのような。透けた身体からは青白い炎がゆうらりと立ち上っている。ライトのように薄黄色の目を見て、鮮やかな紫色が思い出された。
 きっと、燐架さんの本来の姿はこのポケモンなのだ。直感的にそう確信した。
 あのトパーズのような瞳の煌めき。それ肉レベルと、このポケモンの瞳は、ちょっとだけ色味が違う気がした。個体差、というものなのだろう。

「シャンデラ対ダイケンキ、試合始め!」

 シャンデラと呼ばれたそのポケモンは、好戦的に甲高い鳴き声を上げた。
 ゆらりゆらりと身体を左右に揺らしながら、宙を漂っている。
 空中に浮いている相手は、攻撃を当てづらい。なるべく接近戦に持ち込みたいところだ。

「九十九、アクアジェットで突っ込んで!」
「サイコキネシス!動きを止めて!」

 流水を後ろ足にまとわせて、ジェット機の様に噴射させて勢いよく突っ込んだ九十九の身体が、シャンデラの直前でぴたりと止まった。
 頭の剣、その切っ先が、シャンデラの目と鼻の先で影を落とすも、届くことはない。

「もう一度アクアジェット!」

 ごり押しでどうにかなるとは思えなかったが、何もしないよりましだった。
 サイコキネシスで身体の動きを封じた後のシャンデラが何をしてくるかは分からないが、2つのわざを同時に使ってくることはないはずだ。たとえそうだとしても、必ずサイコキネシスに使っていた集中力は少なくなる。
 力一杯もがくことで、サイコキネシスから逃れられれば儲けもの。そうでなくとも、サイコキネシスから他のわざに切り替える瞬間の隙を、向こうのタイミングではなく、こちらのタイミングで作り出せる……はず。

「たたきつけて!」

 九十九が暴れようと全身に力を込めているのが分かる。それでも、彼の身体はびくともしない。それなら……。

 どしん、と鈍い音がして、床へと九十九の身体が叩きつけられた。身体が持ち上がってから床にたたきつけられるまでの間、わずか1秒にも満たない。
 起き上がろうとする九十九の身体が、また宙に浮いた。

「あまごい!」

 突如、バトルフィールド直上に現れた雨雲。
 アメは、九十九の頭上にも、そしてシャンデラの頭上にも、等しく降り注ぐ。
 ジュッという何かの焦げるような、蒸発するような音がして、それからシャンデラの小さな悲鳴が聞こえてきた。

「みずのはどう!」

 シャンデラと九十九の間に生まれた水が、波紋を広げ、シャンデラに迫る。それとは反対に、九十九の身体はシャンデラから遠ざかって、やがて、すとんと重力に従い地面へと降り立った。

 みずのはどうはかわされてしまったが、これで九十九の身体は自由になった。
 けれど、サイコキネシスがある以上、うかつにシャンデラに近づくことはできない。
 高い場所にいる相手に、どうやって攻撃を当てればいい?
 
「今度はこちらから行きましょう。小説にも緩急、視点の変更は時に重要です。……シャンデラ、エナジーボール!」

 緑色に輝く球体が練り上げられ、九十九へと一直線に落ちてくる。流れ星のようだった。

「かげぶんしんでかわして!」

 ジム戦でも、プラズマ団との戦いでも、息をつく暇がないと思ったけれど、このバトルは今までのそれよりも、呼吸がうまくできない。
 わざの一撃一撃が重たいのが、はっきりと伝わってくる。わざが繰り出されるまでの隙の小ささ、威力の大きさ。

 シャンデラは炎ほのおを併せ持っているようだから、九十九を選んでいてよかったと思ったけれど、運がいいだけじゃ勝てない。
 エナジーボール。ゴーストタイプのわざでも、ほのおタイプのわざでもなさそうだ。わざわざそれを選んだということは、それが九十九にとって弱点になるタイプのわざだからだろう。でんきか、それとも、くさか。

 かげぶんしんの残像を、エナジーボールが消し飛ばす。さっきまで九十九がいた場所にあった影が、霧散した。バトルフィールドに、抉り取られたような跡が残る。かすりでもしたらひとたまりもなかっただろう。

「当たるまでやりましょう!エナジーボール!」

 まだわずかに残っている残像が消えるのも、時間の問題だ。
 ひとつひとつ、残像が撃ち抜かれては消えていく。相手が動揺している気配はなく、ただの時間稼ぎにしかなっていない。

 そして困ったことに、九十九が今、どの位置にいるのかが分からなくなっている。
 いままではかげぶんしんをしていても、なんとなく本体がどこにあるのかは分かっていたものだ。けれど、雨が降っているせいで視界が悪くて……。

「れいとうビーム!」
「だいもんじ!」

 細く、白い糸のように、けれど一直線に、れいとうビームがシャンデラめがけて放たれる。
 すかさずエナジーボールから大文字へと、わざが切り替えられた。本当に隙がない。まばたきした次の瞬間にはもう、大の字をかたどった巨大な炎が部屋を照らしていた。

 青白い炎で生み出されただいもんじは、か細いれいとうビームをものともせずに飲み込んでいる。

「威力上げて!思いっきり!」
『分かった!』

 シャンデラへと確実に当てるために、威力を絞り、命中を取っていたれいとうビームが、太く、力強くなった。大文字で白熱していた部屋の温度が、心なしか下がっていく。

「当たらなくてもいい!」

 張り上げた声に比例して、わざの威力がさらに上がった。
 途端、爆発したような音と共に、視界が白一色に包まれた。
 温度差で発生した大量の水蒸気と激しい雨が、ブラインドとなってバトルフィールド中に立ちこめている。

「もう一度大文字!全部蒸発させて」
「たきのぼり!上へ!」

 大の字に霧が薙ぎ払われて、一瞬視界が晴れる。
 シャンデラと、目が合った。だから、成功したと思った。

「九十九、シェルブレード!」

 真上から、水をまとった剣が振り下ろされる。
 遮るものがなく、わたしが見えたことにより、九十九がバトルフィールド上にいないと気付いたシャンデラが上を見上げたのと、シェルブレードがきらめいたのは、ほぼ同時だった。
 滝登りの勢いを利用して跳躍した九十九の全体重を乗せて、剣がシャンデラを切りつける。
 九十九がたたきつけるようにしてシェルブレードを振り抜くと、シャンデラは地面へと真っ逆さまに落ちていった。

 

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