朽だら野にただひとり‐01 

 身支度を調えて、ルームキーでしっかり戸締まりしたのを確認して、チェックアウトを済ませた。
 宿泊所を後にする際、ルームキーを受け取ったジョーイさんから「頑張ってくださいね」と言われたのが嬉しくて、建物を出た瞬間冷たい突風が顔面を打ち付けるまで、ずっと口元が緩んでいた。
 容赦ない強風は、ここが険しい山の上だということを思い出させる。ここは厳しい自然を切り開いた先にある、ポケモントレーナーの頂点を目指す場所。身の引き締まる思いは、寒さのから来るもののせいだけではなかった。

 ポケモンリーグの入り口には、昨日の男の人がいて、わたしの顔を見ると、軽い会釈をしてきた。小走りに駆け寄っていくと、昨日と同じように、一度挑戦を始めたら、勝ち抜くか負けるまでは出られないことを説明してくれた。
 次にここに帰ってくるとき、わたしはどちらの結果を残しているのだろうか。

『リサ、行こう』
「う、うん」

 ボールの中の琳太にうなずき返す。
 弱気になってちゃダメだ。わたしの目的は四天王じゃない。アデクさんとNに追いつくことだ。……と言うと、まるで四天王のことなんて気にしてないような言い方になってしまうけれど、彼らだってきっと、今まで戦ってきたジムリーダー達の何倍も強いはず。ただの通過点だとは、口が裂けても言えない。

 お兄さんの激励を受けつつ、リーグ内へと足を踏み入れる。
 中に入ると、巨大な誰かの銅像を中心に、4つの階段が放射状に伸びていた。
 それぞれの階段の先には、四天王が控えている。どこから入って挑戦してもいいが、一度入ればバトルが終わるまでは出られない。どこにどの四天王がいるかは、銅像に刻まれた文字を見て確認すること。
 ……と、聞いていたのだけれど。
 
 今、わたしの目の前には、銅像を背景に4人の人物が立っていて。彼らはどう見たって審判の服装でもなく、入り口にいたお兄さんのような様子でもなくて。
 きっと、彼らが四天王なのだと、見た瞬間に分かってしまった。

「あ、あの……」
「”その男、瞳に暗き炎をたたえ、ただひとつの正義をなすため、自分以外の全てを拒む”……先ほどの挑戦者を題材にしてみました」
「えっ?」
「やれやれ、2人目の挑戦者が戸惑ってるじゃないか」

 赤い表紙の重たげな本を持った女性が、うつむきがちに話す。何かの文章をそらんじているようだった。
 わたしが反応に困っていると、一歩、男がわたしの方に進み出てきた。
 カラスの濡羽色みたいな髪色をしている、鋭い目つきの男だった。黄色いストールがアクセントになっていて、よく似合っている。

「きみのことはチャンピオンから聞いているよ」

 すらりとした背丈から見下ろされると、思わず背筋がぴんと張る。
 翼のようなサイドの髪を軽くなで上げながら、その人は続けた。

「わたしは四天王のギーマ。こちらが同じく四天王の……」
「シキミといいます」

 詩のような何かをそらんじていた女性が、ギーマさんの言葉を引き継いで名乗った。
 思ったとおり、この人達が四天王で間違いない。
 残りの2人も、それぞれ自己紹介をしてくれた。ふわふわとした髪を揺らしている、どこか夢見がちな女性のカトレアさんと、武人であろうことが一目見て分かる、レンブさん。

 それにしても、どうして彼らがここにいるのだろう。
 入り口のお兄さんが説明してくれた状況と少し違う。わたしはそれぞれの四天王に1対1で挑んでいくのだと聞いたいたのに。

「ビックリさせてしまってごめんなさい。でも、アナタとはこうして話をするべきだと、4人全員で決めました」
「……チャンピオンは、”四天王は絶対中立”だと命令した。だから、わたしは正直、まだ反対している……が、多数決で決めたのだ。……おまえと、1対1で戦うと」
「え?」

 レンブさんが渋い顔をしながらわたしを見据えているが、言っていることがよく分からない。だって、1対1なのは他の挑戦者と変わらないことで……。

「アタクシ達の切り札を倒すことができたら、ここを通してあげる、認めてあげるってことよ」

 なるほど、使用ポケモンを1体に限定するということか。確かにそれなら、バトルの時間を短縮できるし、わたしが全員に勝ち抜いたとき、アデクさんのもとに到着する時間もぐっと早まる。

「どうだい?」
 
 ……でも、それでいいのだろうか。
 わたしがまぐれで4人の四天王に勝ち抜いてしまったら。フルでポケモンを出し合ってのバトルでは、負けていたかもしれないとしたら。そんな”もしも”を再現することはできないけれど、なんとなくわだかまりがある。
 それに、疑問があった。

「あの、ひとつ聞いても、いいですか?」
「なんだい?」
「どうして、四天王の方々が、アデクさんを助けに行かないんですか?わたしなんかよりもずっと、皆さんの方が経験もあって、強いはずなのにって……思って、しまって……」

 失礼だっただろうか。助けに行かないことを非難したいわけではない。純粋な疑問だったのだ。アデクさんに手を差し伸べられる、最も身近なトレーナー達といえば、彼ら四天王なのではないかと、思ってしまったのだ。

 少しの沈黙の後、レンブさんが口を開いた。怒っているような声ではないことに、少し安心する。

「チャンピオンからは中立の立場でいろ、と言い残されている。しかし、その命令があるからチャンピオンを助けに行かないわけでなはい。……必ずや勝ってくれると信じているのだ。信じなければ、ならないのだ」
「わたし達の上に立つのはアデクさんただひとり。彼以上のポケモントレーナーは、今現在このイッシュ地方には存在しない。そう信じているから、彼に助けなんかいらないから、行かないことを選んだんだよ」

 まあ、きみに早く先に進んでほしいからって特殊なバトル形式を提案している時点で矛盾しているけどね、と言って、ギーマさんは笑う。
 ”四天王”としての彼らと、アデクさんを心配する”仲間”としての彼らの折衷案が、今わたしに提案されているものなのだろう。
 断る理由はなかった。ここは今のわたしにとって通過点だ。

「分かりました。わたしも、そうしてくださるとありがたい、です。でも、もしわたしが今回のバトルで勝ち抜いて、チャンピオンの間まで行けるとしても、奥で”今現在のチャンピオン”に勝てたとしても、わたしはチャンピオンになりません」
「それは、どういう……?」

 不思議そうな顔をしてギーマさんに、続きを促された。
 とても挑戦的で、生意気な言葉だと思われるかもしれないけれど、ここで、はっきりさせておきたかった。口の中がカラカラだ。視線が皮膚に突き刺さるような感覚で身体が固まりそうだ。でも、話さなければならなかった。
 
「もう一度、ちゃんとしたやり方で、四天王の方達に、最初から、挑戦させてください」
「……なるほど」

 レンブさんの口元が、少し緩んだような気がした。笑って、る?彼が、片方の手で拳を作り、もう片方の手のひらで、それを包み込む。ぱし、と乾いた音が鳴った。

「……そのときは、いや、そのときも、全身全霊で迎え撃つとしよう」
「よろしく、お願いします」

 さっきまで撫で上げていた髪の毛を、ギーマさんがわしわしと崩すようにかき混ぜながらため息をつく。

「これじゃあわたし達の方が大人げないな。情けない」
「そんなこと……」

 ない、と言いかけたわたしを、ギーマさんが目で制す。

「今回の提案、非公式ということにしてもらえるのはこちらとしてもありがたい。でもね、よく考えてごらんよ。1対1ということは、せっかく6体のポケモンを連れてきたのに、途中交代もできないし、そこで負けたら次のポケモンも出せない。もしかしたら、普通のバトルよりも厳しい条件かもしれないよ?」
「い、いえ、……むしろ複数体の方がこちらには都合が悪いというか……」
「ん?もしかして少数精鋭派なのかな?」
「そういうわけじゃないんですけど、ね……」

 歯切れの悪いわたしの返答に対して、ギーマさんは怪訝そうな顔をする。
 言えない。6体連れてきたけどまともにバトルできるのは4体ですとか言えない。内心とても安心していたのだ。今回の提案に。
 
 


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