いつかどこかの可惜夜で‐12
窓際に均等な間隔で並べられたボールを眺める。
緑、赤、赤、赤、赤、紫。
もっと凝ったボールにすればよかったかなって今更思ったりもしたけれど、九十九は最初からモンスターボールだったし、はなちゃん、美遥、紡希はバトルしてゲットしたわけでもないので、モンスターボール以外を使う理由がない。
……鈴歌には、ピンク色の可愛らしいボールを渡したんだっけ。それでもバトルをしたわけではない。
正真正銘、わたしが戦って捕まえられたのは、マスターボールの与壱ただ1人だけだった。それも、投げたんじゃなくて、ほぼ殴りつけるように直接ぶつけただけだ。コントロールも何も、そもそも投げていない。
ポケモントレーナーとして、一度くらいはちゃんと捕まえてみたかったなあと言う気持ちはある。
でも、これ以上仲間が増えたらわたしキャパオーバーすると思うんだよね。
反対側にごろりと寝返ると、琳太が目を開いたまま、仰向けになっていた。
わたしの身じろぎに気付いて、横を向く。さらりと長めの前髪が琳太の顔の輪郭を覆った。ときどき、琳太の顔立ちや体つきが、どきりとするくらいに”男の人”だと感じることがある。
少しだけつり目気味の目つきに、骨張った手。昼間と違って寝間着に着替えているから、ゆったりとした袖口から血管の浮いた手首と、大きな手が見える。手袋をしていない手の爪は、きれいに切りそろえられていた。
どうしたの、と口の形だけで琳太が問いかけてくる。
小さく首を横に振る。なんでもないよ、と伝えれば、琳太はまた仰向けになった。
一房、二房と頬に流れてきた髪の毛を後ろに流しながら、わたしも天井を見つめる姿勢に戻った。
耳を澄ましてみるが、寝息らしきものは聞こえてこない。かすかに衣擦れの音が聞こえてくるだけだ。さすがにどっちのベッドからの物音なのかを判別することは難しくて、小さい音なら与壱の方からだろうと耳をそばだててみるも、やっぱりよく分からなかった。
そうこうしているうちに、冷えていた手足の先が、ぼうっと温かくなってきた。まぶたが重たい。
せめて、与壱が安心して眠ってくれているのを確認してから寝たかった……。
翌朝目を開けると、見慣れた天井が視界に映った。しかしそれにしても寒い。顎を引いて自分の身体を見ると、布団を被っていなかった。寒いわけだ。自覚すると一気に身体がぶるぶると震え出す。早くあったかい羽毛布団に包まれたい。
布団の端っこを引っ張るも、何かに引っかかっているようで引き寄せられなかった。
くんっと抵抗のあった羽毛布団の方を見ると、白い背中が見えた。髪まで白い。
与壱がわたしのベッドで、わたしの羽毛布団を抱え込むようにして寝ていたのだった。
慌てて時計に目をやると、まだ朝の5時。みんなが起きるまで……もとい、はなちゃんが起きてしまうまで、あと2時間くらいはある。
寝ている今なら、ボールに戻してしまえるかもしれないけれど、後で起きたときに怒るだろうなあ。
わたしじゃ抱えきれないし、琳太をそっと起こして与壱を元のベッドまで運んでもらおうか。それともいっそ、わたしが与壱のベッドで寝た方がいいかな。
琳太を起こすのも申し訳ないし、わたしが与壱のベッドに行こう。夜中に入れ替わったことにしておけばいいだろうし。
何より、寒い。
意を決してベッドからそっと足を降ろす。ひんやりとしたフローリングの感触に、足のつま先からずずっと冷たさが伝わって、全身が震えた。
つま先立ちで、そっと琳太のベッドの前を通って、抜き足差し足、空いているベッドに向かう。たった数歩の距離なのに、すっかり身体は冷え切ってしまったし、ベッドが遠くに感じられた。
静かに動いているつもりだけれど、もしかしたら、と思って琳太の方を見ると、ばちり。マゼンタと目が合った。
寝ぼけたまなざしの琳太は、数度まばたきをすると、今度はしっかりとわたしの目を捉えて目を細めた。
ぬっと手が伸びてきて、わたしの手首を掴む。抵抗する間も、声を出す間もなく、わたしは琳太の腕の中へと押し込められてしまった。
……暖かい。とんでもなく暖かい。琳太の体温が移った羽毛布団はふかふかで、背中に回された琳太の手も温かい。
すり、と寄せられた首筋も胸板も、何もかもが温かい。
額を琳太の胸に寄せると、体温と、それから鼓動が伝わってきた。わたしよりも少しゆっくりめで、重たげな鼓動。
羽毛布団が周囲の音を遮断して、琳太の鼓動と息づかい、それから、微かな衣擦れの音だけに、鼓膜が満たされていく。
前は、わたしが抱きしめて眠っていたのになあ。
そう思っているうちに、再び温まってきた身体が沈むような感覚をおぼえていく。
寝入るまでにそう時間はかからなくて、身体を揺すられて起こされるまで、本当にぐっすりと眠っていた。
布団から出ると、既に着替えている琳太におはよう、と言われた。
「おはよう。全然気付かなかった」
「リサ、ぐっすり寝てたから、起こせなくて」
わたしを起こすのが申し訳ないと思って、そっと布団から抜け出したらしい。それでも気付きそうなものだけど、よく気付かなかったなわたし。
与壱も既に起きている。起きてはいるが、眠たげな様子で、心なしか顔色が悪い。どうやら朝に弱いタイプのようだ。九十九から渡された湯気の立つマグカップを、ずっと睨み付けている。入っているのはインスタントのコーンスープだ。
「はい、リサも。おはよう」
「ありがとう九十九」
温かいマグカップを受け取り、ソファに身体を沈める。隣にいた与壱は、わたしがコーンスープに口をつけたのを見て、ようやく自分のマグカップを傾けた。
「熱い?」
「熱い」
猫舌なのだろうか。与壱は諦めてマグカップを机に置いた。ソファに背中を預けて、だらしない姿勢で座っている。
そうだ、与壱に文句言うの忘れてた。
「そういえば、なんでわざわざわたしのベッドにいたの?寒かったんだからね」
「人肌の方があったかいと思って」
「いやそれはそうだけど」
布団さえあれば寒くはなかったと思うんだよね。それに、琳太の方がベッドは近かったと思うけど。
「じゃあ琳太の方が近かっただろ」
「いやですわあ狭いやん」
再度マグカップに手を伸ばしながら、与壱がはなちゃんに言葉を返す。
小さく舌打ちをして、はなちゃんが勢いよくコーンスープを飲み干した。眉間のしわが深い。多分、まだ熱いのに半ば無理矢理飲み込んだからだろう。
にんまりと笑った与壱は、ちびちびとコーンスープに口をつけ始めていた。
これ、本当にこのまま四天王に挑んでもいいのだろうか。シングルバトルだけだと聞いてはいるけれど、だからといって仲間内がギスギスしていていいことにはならない。
それに、与壱にゆっくりポケモンバトルのことを教えている暇もない。なるべく他のメンバーで戦うしかないだろう。
「みんな、体調は大丈夫?」
「ん」
「ちょっと寒いけど大丈夫だぞお」
底にたまった塊をスプーンで溶かしながら、ぐいっとマグカップを傾ける。
これで最後だ、という実感はない。不思議と緊張もしていない。実感がないからなのかもしれない。
みんなもいつも通りの表情で、緊張はしていないようだった。いつもジム戦前は、多少なりともピリピリそわそわした空気が流れていたのに。
……もしかしたら。
わたしが緊張していたから、それがみんなに伝わっていたのかもしれない。
緊張は伝染する。もちろんその逆も。
ずっと演者のままではいられない。わたしの立場はきっともう、指揮者みたいなものなのだ。
うまく指揮できるかは別として、みんなの持ち味を活かすことがわたしの役目。
昨日のわたしが考え違いをしていたことに気付く。わたしは1人でステージに立つんじゃない。みんなと一緒に舞台に立って、戦うのだ。
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