いつかどこかの可惜夜で‐09 

 またしても降りかかってきたいわなだれ。
 かわしてばかりというのもいい加減限界がある。はなちゃんは持久戦に不向きだ。耐久力に優れた種族ではない、と本人も言っていたし、性格が短気だし、……あれ、今のは悪口だな。

 交代しようかとモンスターボールを手に取ったとき、その手を誰かに押さえられた。布に隠れて手の形が分からない。こんなの、与壱しかいない。
 リコリス色の瞳と、目が合う。その瞳に、人をからかっているような気配はなかった。

「えっ……?」
「出てもいいか?」
「う、うん?」

 疑問形で頷いてしまった。さっき断ってたのに。はなちゃんに戻るよう声をかけて、代わりにマスターボールを手に取ると、一瞬嫌そうな顔をしたものの、原型に戻って中に入ってくれた。
 相手に手を挙げて合図し、交代を告げる。

「はなちゃん、お疲れさま!……与壱、お願い!」
『テメエェェ!?』

 はなちゃんが断末魔のような叫び声を上げて、モンスターボールの中に吸い込まれていた。ごめん、与壱が急に出たいって言い出すから。だって、この機会を逃すともう二度と戦ってくれないかと思ったし。

 身軽にバトルフィールドへと躍り出た与壱は、わたしの言葉を待たず、一直線にイワパレスめがけて突っ込んでいく。
 そういえば、与壱がちゃんと原型に戻っているのを見たのはこれが初めてだけれど、と気付いたものの、それどころではない。与壱は既に、腕から伸びた、鞭のようなものをしならせて攻撃態勢になっていた。
 何のわざかは分からないけれど、イワパレスの動きが止まる。
 ええと、図鑑で見たときは何を覚えていたんだっけ。少ししか見ていないから、まだ頭に叩き込めていない。
 あのわざマシン覚えてもらいたいな、と思ったんだけどなあ。そういうどうでもいいことばかりが出てくる。何か大事な言葉を思い出せないときって、大概どうでもいい周辺情報だけぽんぽん出てくるけど、まさに今そんな感じ。

「イワパレス、シザークロスで弾き飛ばせ!」
『おっそいなァ』

 呆れたような、見下したような声をこぼした与壱は、ひらりとイワパレスのハサミをかわした。大ぶりのハサミが空を切る。

『ほなもう一発』

 振り向きざまの回転を利用して、再び鞭がしなり、イワパレスに打ち付けられた。

「与壱、ちょっと、」
『すーぐ終わるわこんなん』

 与壱の猛攻は止まらない。それどころか、どんどん激しさを増していく。相手が動かないのをいいことに、与壱はひらりひらりと舞うようにイワパレスを痛めつけていた。

「イワパレス、しっかりしろ!」

 トレーナーの声に反応して、わずかにイワパレスのハサミが動いた。それを見逃さず、与壱は距離を取る。
 その手には、光の球。今なら分かる。あれははどうだん。威力・命中共に高いわざだ。
 またもやわたしが何か言う前に、与壱が光の球を撃ち出す。それはイワパレスに真正面から激突し、あの重たげな身体が弾き飛ばされるほどの威力だった。
 とどめの一撃、のつもりなのだろう。与壱はもう一度、はどうだんを放つ構えを取っていた。
 けれど、相手のトレーナーはもう、イワパレスをボールに戻そうとしていたし、わたしにはそれが分かっていた。
 わたしを見て、焦った顔の彼が片手を上げているのが見えたからだ。

「与壱、ストップ!」
『今面白いとこなんやけど』

 わざを放つ姿勢を崩そうともせず、与壱が言った。止める気がないみたいだと判断してすぐさま、わたしは与壱をボールに戻した。

 バトルの賞金を丁重にお断りして、ぺこぺこと頭を下げる。取り返しのつかない大けがを負わせていたかもしれないのだ。幸い、ただ気絶しているだけで、手持ちのアイテムで回復できると相手のトレーナーは言ってくれた。心底ほっとしながらもう一度頭を下げる。

「ほんとにすみませんでした……」
「いやいや!君のコジョンド、すごく強かったよ!」

 ……でも、ちょっと怖かったかな。そう苦笑交じりに伝えられて、ああこちらが本音なのだと悟る。
 トレーナーの背中が洞窟の暗がりに消えていくのを見届けるまで、しばしわたしは放心していた。
 
 ポケモンバトルとは何か。
 与壱はきっと、それを知らない。そこまでわたしの考えが至っていなかったから、ああいうことになってしまった。
 わたしが説明する必要なんて、今までなかったのだから。
 琳太たちは、当たり前にポケモンバトルがどんなものかを知っていた。少なくとも、命をかけた殺し合いでも、一方的な暴力でもないということだけは。

 けれど与壱はどうだろう。
 生き延びるための戦い方しか知らないのであれば、それは相手が弱ければ、一方的な暴力でしかない。そんなの、ポケモンバトルじゃ、ない。

「与壱、ケガはない?」
「……」
「与壱?」

 ボールから出るなり擬人化した与壱は、何も言わずにわたしのことを見ていた。見ていたというより、凝視していたと言った方が近い。眉間のしわは、不満をあらわにしていた。

「何で邪魔した」
「もうバトルは終わってたよ。与壱、ポケモンバトルはね、」
「あいつらが俺らを殺しにかかっとったらどうすっと」
「そんなことないよ」

 わたしが言い切ると、与壱は理解できないというふうに首を何度も横に振った。少し癖のある髪が、やわらかく揺れる。
 どうしたら納得してくれるだろう。
 ポケモンバトルはトレーナーとポケモンが一心同体で挑むもので、それを通じて仲良くなったり、絆を確かめ合ったりするもの……だと、どこかで読んだ。受け売りの言葉だけれど、わたしもそう思う。バトルで取り返しのつかない大けがをさせてしまうことはいけないことだし、かといって手を抜いてしまえば負けてしまう。加減が難しいけれど、だからそのために審判がいるし、そうでなくともある程度バトルをこなせば、引き際は分かってくる。

 世界は、きみが思っているよりも平和だよ。

 そう言いたいのに、この世界よりも平和な場所で生きてきたわたしには、それを言う資格がない。

「ポケモンバトルは、命を奪うものじゃないよ」
「……」

 やっとこれだけ言うのが精一杯だった。与壱がどう思ったのかは分からないけれど、反論はされなかった。暗がりを見つめる彼の目に、色はない。とても鮮やかな色の瞳を持っているのに、どこか色褪せて見えるのだ。

「よく分からん」
「ごめんね、説明が下手で」

 きっとどれだけうまく説明できる人がいたとしても、今の与壱に全てが伝わるとは思えないけれど。そう言うしかなかった。
 これは確信を持って言えることだけど、与壱はとても強い。手加減を知らないまま強くなってしまったから、余計にポケモンバトルでの加減が理解できないでいるのだろう。

 チャンピオンロードを抜けるまでずっと、与壱は、わたしと琳太たちがポケモンバトルをする様を眺めていた。特に言葉を発することもなく、わたしの後ろについて、眺めているだけ。

 はなちゃんは、さっき半ば強引に引っ込められたことを気にしていたけれど、その後のバトルで出番を増やすということで溜飲を下げてもらった。わたしとしては、あの機会を逃していたら、今後もっと大変なことになっていたと思うし、あのタイミングしかなかったと思っている。早めに与壱の認識のずれを知ることができてよかった。

 洞窟を抜けた先には、バッジチェックゲートよりも大きくて立派な建物が構えていた。どっしりとしたその姿に、思わず姿勢を正してしまう。
 とっくに日が暮れていて、ポケモンリーグは下からの照明でライトアップされていた。
 建物の雰囲気は、博物館や、図鑑で見るような大昔の神殿に近い。神聖な場所、という感じがひしひしと伝わってくる。

 ……ついに、ここまでやってきたのだ。

 

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