いつかどこかの可惜夜で‐05 

 がつがつと、謎に甘ったるい匂いのするカップ麺を頬張る男は、食べ終わるまで、一度も顔を上げなかった。
 箸を放り投げるようにして、食べ終えたそれを地面に置いた男は、ぐい、と手の甲で口を拭った。

「あそこまで勢いよく食べられると、うまかったのではって思っちゃうぞ……」
「いや違うと思うぞ」

 手を合わせることもなく、男は黙って立ち上がる。
 その表情に、先ほどのような剣呑さはない。お腹が空いていると気が立つって言うけれど、この男にもそれは当てはまっていたようだった。

「えっと、コジョンド……さん?なんて呼べばいいのかな、」
「人間」
「え?」
「俺は人間って言いよっちゃ」

 ボールに入れられたことがそんなに屈辱的だったのだろうか。男は、忌々しげにわたしの手にあるマスターボールを睨め付けている。

「あなた、もしかして、ハーフ?」
「人間ち言いよっちゃろうが!聞こえんかったんか!!」

 髪の毛が逆立つような怒気だった。しかし、それもすぐにしぼんでいく。男はわたしの目をじっと見つめ……そして、少しだけ、視線を逸らした。
 気まずい、といった顔をしていたのが気になって、顔をよく見ようとさらに近づく。
 琳太が後ろからわたしの肩を抱いたのが分かったから、安心して近づけた。

「わたしはあなたと話がしたい」
「オレは何も話すことはない。逃がせ」
「いやです」

 舌打ちした男がわたしを睨んでいるが、もう怖くない。
 はなちゃんや紡希の顔が、あからさまに「逃がそう」と言っているが、はいそうですかというわけにもいかない。

「じゃあ、わたしと2人でだったら、おはなししてくれる?」
「おいリサ、」
「ふうん……」

 初めて男が、まともにわたしの顔を見た。品定めするような目つきだ。相変わらず、目は笑っていないものの、もう怒ってはいないようだった。
 ややあって、男は首を縦に振った。

「ええよ。オハナシしましょか」
「うん」

 この場から立ち去ろうとする男の肩をぐいと掴み、はなちゃんが引き留める。うっとうしおうにその手を振り払った男とはなちゃんが、向かい合った。

「俺達はボールに入って着いていく。いいな?」
「盗み聞きなんて趣味悪いわぁ」

 男がよよ、と口元に手を当てて、怯えた素振りを見せる。袖口の布がひらひらと、はなちゃんを挑発するようにはためいている。
 案の定、はなちゃんはよりいっそう苛烈な光を目に宿した。
 
「リサに何かったら困るからだ。お前には興味ない」
「しつこい男は嫌われるで?」
「は?」

 せっかく穏便に済みそうだったのに台無しだ。はなちゃんの気持ちも分かるけど、ここは堪えてほしかった……。
 紡希がはなちゃんを後ろから羽交い締めにしておさえ、わたしがボールに入った琳太だけを連れて行くということでその場は収まった。
 マスターボールはテントの中に置いておく、という条件も、男は呑んだ。
 

 男が大股で歩き出す。その背中を追い掛けていくと、彼は洞窟の中に向かっているようだった。わたしの歩幅など一切気にしていない歩き方で、痛む身体に鞭打って背中を追い掛けるので精一杯だった。
 口を挟むのもよくないと思い、黙って着いていくと、先ほどまでいた場所とはまた別の横穴から外に出ることができた。
 
「ご飯、おいしかった?」
「味が濃かった」
「そっか」

 地面から突き出した適当な小岩に腰を下ろし、足を組んだ彼は、洞窟とは反対の方向に顔を向けていた。落ち始めた陽を見て、目を細めている。
 わたしは洞窟に続く穴の前で棒立ちになって、その背中を眺めていた。

「もう笛は持ってないの?」

 男は無言で、懐からあのときも持っていた笛を取り出した。
 近づいて見てみると、その横笛は、木製でも金属製でもない。何でできているのだろう。
 笛を構えた男が、ちらりと振り向いた。わたしがそのまま黙っていると、男の、深く息を吸う音が聞こえてきた。
 流れ出した音色は、夕焼け色に染まった空気を、もの悲しく震わせた。

 やっぱり、この音色は悲しい。音を弄んでいるのだと思っていたが、よくよく間近で聴いてみると、逆だと気付いた。メロディーに、男の方が引きずられているような気がしたのだ。

 男の薄い唇が、笛からゆっくりと離れた。

「……飯代ってことでひとつ」

 変なものを食べさせたと怒られることを覚悟していたので、拍子抜けした。もしかしてアレ、本当にそう悪くはない味だったのでは……?
 
「あなたはさっき、自分は人間だって、言ったよね」
「せやな」
「わたしはね、半分人間で、半分ポケモンなの」

 男の柳眉が片方、くいっと持ち上がる。
 少し間を置いて、男はそれで、と言った。続きを促され、またわたしは口を開く。さっき、もっとお茶を飲んでおくんだった。口の中がカラカラだ。

「あなたがわたしの目を取ろうとしたとき……正直、賭けだったけど、無事だったのは、私のお父さんがゴーストタイプだったからだと思う」

 わたしの赤い右目を取ろうとした彼は、かくとうタイプのポケモンだ。彼が自分を人間だと主張するにしても、それでもやっぱり、ゴーストタイプ相手なら、わざが通じなかったり、身体をすり抜けてしまったりして、うまくつかめないことには得心がいく。

「アンタは自分も同じやって言いたいん?オレも混血やって、そう言いたいん?」
「そうじゃないかなって思ったけど、違うのかな……人間だって言ってたから、よく分からなくて」
「……。まあ、今のこの世界のルールでは、アンタがオレのアルジサマになってしまったみたいやからな……業腹やけど答えましょか」

 笛を仕舞い込んだ男の隣に座ると、男は夕日を見つめながら話し始めた。
 地べたから見上げる男の横顔は、作り物のように整っており、中性的な面差しをしている。

「オレの親は人間でな、じじばばも人間なんや。別にポケモンだったのを隠しとったわけじゃない。本当に、人間だった」

 妙に物覚えのいい子供だと、小さい頃はよく褒められていた。それが3歳の誕生日の日辺りから、自分の身体が窮屈に思えて仕方なくなった。
 気がつけば、自分には5本の指がなくなっていて、代わりに獣の手があった。

「そら、気持ち悪いから捨てられるわな」
「……」

 突然、自分の子供がポケモンになったのだ。幼いながらも、両親の狼狽と、自分を見る目の変化は明らかに感じ取れたことだろう。
 両親は互いに疑心暗鬼にも陥ったかもしれないし、彼に当たったかもしれない。実際、彼を捨てたのだから、彼のことをどうにかして消してしまいたい、なかったことにしたいという気持ちはあったはずだ。

「よりによってこーんな危ないトコに捨てるんやで?正気かっておもたわ」

 男は、後ろに手をついて、足をぶらぶらさせた。ややのけぞった喉仏が、くつくつと笑う度に震える。
 チャンピオンロードはポケモンなしで入るなんて自殺行為だと、わたしのお父さんとお母さんが教えてくれたのを思い出す。
 そして、擬人化は、少なからず人間との繋がりを感じているポケモンがすることだということも、同時に思い出して、息が詰まりそうだった。人間として生まれ、ポケモンとして捨てられる。人間との繋がりが、切っても切れないものなのに、その繋がりが彼をがんじがらめにしているように思えてならない。

「アンタ、ハーフか何か知らんけど同族意識で同情して仲間にしようとしたん?勘違いしてもら……」

 流し目でわたしの顔を見た男が動きを止めた。頬にかかる色素の薄い髪は柔らかで、少し癖がある。
 男は、今までで一番動揺して、目を大きく見開いている。それがにじんだ視界越しに見えて、ちょっと笑ってしまった。
 


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