いつかどこかの可惜夜で‐04
お湯を注いで3分、の間に、マスターボールのガムテープをちまちまと剥がしていると、まだ出しちゃだめだと釘を刺されてしまった。
最後の1枚を剥がそうかというときに、ちょうど3分を示すタイマーが鳴ったので、作業を中断した。
「いただきまーす」
申し訳程度の野菜と、お湯をたっぷり吸って膨らんだ油揚げ。ちょっとやわい麺は、スープの味がしみしみで、舌でも切れるくらいコシがなかった。これはこれで、結構好きだったりする。
好きなものは最後まで取っておく質だ。大ぶりのお揚げの下に箸をのばして麺をまさぐり、最後に油揚げをかじる。じゅわっとしょっぱい味が口いっぱいに広がる。
カップ麺って喉渇くよね。スープを飲むと余計に渇く。液体を飲んでいるのに液体がほしくなる不思議。
「一緒に食べれたらよかったけど……まだ無理かな……」
「さっきまだだめって言っただろーが」
「はーい……」
「何でリサ、あいつ捕まえちゃったんだ?」
「うーん、はじめはなんとか話し合いか、それがだめなら戦って、と思ってたんだけど……」
結局、両方だめだった。話し合いにも応じてくれないし、バトルにも勝てなかった。
他の適当なボールを投げてもよかったが、大人しく収まっていたとは思えない。せいぜい逃げるための時間稼ぎが出来る程度だろう。
だから、マスターボールがあってよかったと思っている。本当は、ゼクロムのために残しておくべきものだし、ここで使うべきではないと分かっていた。さっさとチャンピオンロードを抜けて、先に進めばよかっただけの話だ。寄り道をしてまで命を危険にさらす必要なんて、なかった。
「どうしても、外に連れ出したくなったの」
これはわたしの一方的で、身勝手な理由だ。でも、はじめに立てた旅の目的でもあった。あの色のないマゼンタに、陽の光を当てるとどんな色になるのか。
あのとき聞いた笛の音が、どれほど悲しいものだったかを思い出して、少し気分が沈んだ。思い出しただけでコレなのだから、もう一度聴いてしまったら泣き出しかねない。
どれほど猫なで声で厚化粧をしていても、笛の音だけは本心だった……と思う。
そう思うから、もう一度、あの瞳に色を宿したかった。
どうにもならなかったときに責任を持てるかと言われれば自信がない。手のつけられないポケモンだからといってボックスに仕舞い込むのは簡単だけれど、それでは兄も解決していないのと同じだ。彼の居場所があの洞窟からボックスの中に変わっただけのこと。それはわたしがやらなくてもできることだ。
マスターボールに図鑑をかざす。図鑑が反応して、『コジョンド ぶじゅつポケモン』と音を発する。
途端、激しくマスターボールが揺れはじめた。突然のことだったのでボールを取り落としてしまう。
しかし、ガムテープの最後の1枚によって、外に出ることは叶わなかったようだ。やがて、元通りに沈黙したマスターボールを恐々拾い上げたものの、もうびくりともしなかった。
「自分が呼ばれたって、分かったのかな」
「うーん、どうだろ。分かんないね」
琳太はしきりにボールを至近距離から見つめている。そんなに近いと、またボールが暴れ出したときに顔をぶつけてしまいそうだ。
図鑑をずっと見ていて、あることに気付く。このコジョンド、わざマシンの類いは一切覚えていない。誰かのトレーナーだったという可能性はなさそう、と考えていいのかな……。わたしみたいにわざマシンのこと知らなかったトレーナーっていう可能性もなくはないけど。
そのことをはなちゃんに伝えると、彼は難しい顔になった。
「まあ、わざだけで判断するわけにもいかねえだろ。トレーナーの中には、持って生まれた能力で選別してから、育てる個体を決めるってヤツもいるみたいだしな」
それで”不合格”と言われて人間不信になる個体がいても、不思議ではない。ましてやここはチャンピオンロード。それなりに実力のあるトレーナーがわんさかやって来るのだから、こんなところに放置されてはたまらないだろう。
「育て屋にも一度、能力が高いと言われていたとあるポケモンの個体が預けられてな。それ自体は別によかったんだが……盗まれかけた」
「えっそんなことあるの!?」
幸い、盗人はあえなくお縄になったそうだが、防犯用に監視カメラやセンサーライトを設置することになって、大変だったそうだ。
「リサ、また揺れてるわよ」
「あっ」
今度こそ取り落とさないように、振動する紫色の球体を抱え込む。
「ねえもう出した方がいいんじゃないかな……」
よく見ると、ガムテープが少し破れている。カタカタとボールの開閉口が音を立てており、今にも開きかねない。
みんなの返事を待つ前に、音を立ててガムテープが破れたものだから、もうわたしは諦めて、開閉ボタンを押してしまった。
ぱっくりと半分に割かれたガムテープ。歪に破れたそれの隙間から、光が溢れ、小さな身体が飛び出した。
すぐさま人型を取るなり、男はぎろりとはなちゃんを睨み付けた。負けじとはなちゃんもにらみ返している。……けんかしてほしいわけじゃないんだけどな。
「ね、お腹空いてる?」
「あ?」
ぐりん、と首を捻り、わたしの方を見た男。
陽の光の下で見ても、やっぱり彼の瞳は冷たい光をたたえていた。
男がおもむろに、すんすんと鼻を鳴らす。何かの匂いを嗅いでいるらしい仕草の後、顔をしかめながら、彼はゆっくり頷いた。はなちゃんの口の形が「まじかよ」と動いた。
「お湯、まだ残ってるよね」
「お湯はあるけど、カップ麺、コレしかないぞお」
チーズケーキ味。人数分は外れのないカップ麺を用意していたが、さすがに予備はなかった。まあ、チーズケーキ味の焼きそばを人数分の食料としてカウントしていなかっただけ、マシだと言える。それにしてもどうしたらチーズケーキ味の焼きそばを作ろうという発想に至るんだろう。
「……食べられそう?」
カップ麺の蓋を少し剥がして、男の目の前に差し出す。
匂いを嗅いだ男は眉をひそめたが、何も言わずにそれを受け取り、蓋を全て剥いだ。
止める間もなく、乾燥麺の一部を爪で砕いてかじる。
「まってまってまって」
食べ方を説明すると、再び投げるようにして容器を寄越された。作れということらしい。若干むっとしたものの、多分、カップ麺の存在を知らないのだろう。
「ホントに食べるのかあ?」
「こら美遥。シッ。余計なこと言わない」
お湯をもう一度沸騰させてから、容器に注ぎ、待つことしばし。剥がれた蓋をもう一度かぶせてから、麺がこぼれないようにそっとお湯を捨てた。あんまり傾けると、麺ごと地面にポトリだ。それが怖かったので、なんだか少し汁っぽいが、まあ仕方ない。
付属のタレを入れて割り箸でかき混ぜてから渡すと、箸をぎこちなく握り込んで食べ始めた。幼い子供がやるような箸の持ち方をこの男がしていることに、なんとも言えない気持ちがこみ上げた。
箸でものを食べることは知っているのに、その持ち方を知らないのだ、この人は。
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